内宮には天照大神が祀られ、外宮には豊受大神が祀られています。何故、この二神が祀られているのでしょうか?
天照大神は日神であり、伊勢神宮内宮に皇太神(皇祖神)として祀られていますが、そもその何故天照大神が皇太神になったのがきちんと書かれていません。
記紀では天照大神誕生以前に別天津神(ことあまつかみ)や神代七代(かみよななよ)のように、明らかに天照大神より各上の神が存在しています。それなのに何故、天照大神が皇太神なのでしょうか?
<WIKI:別天津神>
また、内宮(皇大神宮)の創建は紀元前4年(垂仁天皇26年)ですが、外宮(豊受大神宮)の創建は478年(雄略天皇22年)とされており、約500年の差があります。何故、雄略天皇は外宮を創建したのでしょうか?
天照大神のご神託による、と言われればそれまですが、その背後には何らかの理由があるはずです。
豊受大神(豊宇気毘売神)は食物神とされていますが、記紀には詳細は書かれていません。おそらく天照大神と関係が深い神なのでしょう。
さらに、事が複雑になっているのは、神社の起源が天照大神や豊受大神が存在した約5000年前から4000年前前後とは異なり、約2100年前の上代に入ってからだからです。
<参照:神社の起源>
神社の元を造ったのは、イエス(豊城入彦命)とイスキリ(豊鍬入姫命)です。神社とは、元は神様を祭る場所ではなく、地域の中心となる場所でした。現在で言えばコミュニティセンターといったところでしょうか。それを普及させていったのが、イエスとイスキリで、その場所が神社とされたのはイエス、イスキリの死後のことです。イエスやイスキリを称えて祀ったものが神社になったのです。2000年前以降のことです。
伊勢神宮内宮、外宮には天照大神と豊受大神だけではなく、神社の誕生に関わったイエスとイスキリも祀られているのです。天照大神の魂の流れがイエスで、豊受大神の魂の流れがイスキリです。雄略天皇はそのことを知っており、外宮を創建し豊受大神を祀ったのでしょう。
<参照:伊勢神宮-驚愕の真実>
このことが伊勢神宮の本質を見極めるのに、さらにややこしくしているように私は思っています。
もともとは、天照大神は倭大国魂神(やまとおおくにたまのかみ)とともに、時の天皇が構えた宮中内に祀られていたのです。これが変わったのが、約2100年前の第10代崇神天皇の時代です。崇神天皇は正式な天皇ではなく、金星系が侵略した偽の天皇です。
<参照:欠史八代と崇神天皇>
侵略した崇神天皇は、宮中に祀られていた天照大神と倭大国魂神の二神の波動の高さに苦しみます。金星系は学びが少ないため波動が低いのです。従って、崇神天皇はこのニ神を宮中から放り出させ、別のところに祀らせようとします。
これが記紀には別の表現で書かれています。淳名城入媛命(ぬなきいりびめのみこと)が、崇神天皇の命により、紀元前92年に倭大国魂神を宮中外に祀ろうとしますが、髪が抜け落ち、体も痩せて祭祀ができなくなった、というくだりです。
<WIKI:淳名城入媛命>
淳名城入媛命は金星系の魂にウォークインされてしまい、金星系トップの崇神天皇の命令に従い、宮中外に倭大国魂神を祀る場所を探すのですが、ご神体のあまりの波動の高さによってウォークインから解放されてしまうのです。その様子を改竄して書いたのが記紀の表現ということになります。
結局、宮中から放りだされた格好になった天照大神と倭大国魂神のご神体は、豊城入姫命(イスキリ)が奈良の笠縫邑に祀ったのです。これが最初の元伊勢です。
<WIKI:元伊勢>
元伊勢とは、本来宮中に祀られていた天照大神と倭大国魂神の二神を、金星系に宮廷が侵略されたために、仕方なく二神を祀るのにふさわしい別の場所を探し回って祀ったことがきっかけだったのです。
しばらく(33年間)は、笠縫邑に祀られて落ち着いていたようですが、その後、そこで斎宮をしていた豊鍬入姫命が、金星系の魂によってウォークインされてしまい、二神を笠縫邑から金星系の都合のいい場所へ転々と動かしていきます。これが豊鍬入姫命による元伊勢巡礼です。
その中の元伊勢の一つに和歌山市の濱宮(はまのみや)がありますが、ここの主祭神は天照大神以外に、天懸大神(あまかかすおおかみ)と国懸大神(くにかかすおおかみ)を祀っています。
<WIKI:濱宮>
濱宮本殿。
この聞きなれない二神は、同じ和歌山市にある日前神宮(ひのくまじんぐう)、国懸神宮(くにかかすじんぐう)の主祭神(日前大神と国懸大神)と同一祭神とされています。天懸大神=日前大神になるのでしょう。
<WIKI:日前神宮・国懸神宮>
この二つの神宮のご神体は、日前神宮が日像鏡(ひがたのかがみ)、国懸神宮が日矛鏡(ひぼこのかがみ)とされています。
日像鏡と日矛鏡とは、三種の神器の一つで伊勢神宮内宮の(天照大神の)ご神体でもある、八咫鏡(やたのかがみ)と同等のものとされています。
八咫鏡は高天原にいる天照大神の分身とも言える神器です。八咫鏡と同等のご神体とされる日像鏡。それに対応する神、日前大神(天懸大神)は天照大神のことなのだと思われます。
一方で、国懸神宮の日矛鏡。これに対応する神、国懸大神こそ倭大国魂神なのです。
倭大国魂神は、天照大神から分身した神だと思われます。
日本神話でもっとも有名な神話に、天岩戸隠れのシーンがあります。素戔嗚尊の横暴な行動に怒った日神、天照大神が岩戸に隠れてしまい高天原が暗闇になってしまいます。困った高天原の神々が、思兼命の発案に従って天照大神を岩戸から連れ出そうとします。その時に使われたのが八咫鏡。天照大神は、八咫鏡に映った自分の姿を見て、「尊い神がいる」と思い、興味深く岩戸の中から身を乗り出します。この瞬間、天手力雄神に手を引かれ岩戸から出てくるシーンです。
<WIKI:天岩戸>
天手力雄神に手を引かれた瞬間、八咫鏡に映っていた天照大神から、もう一人の神、天照大神が分身したのです。八咫鏡には分身させる能力があるのだと思われます。これが、月にいるとされる、もう一人の自分に繋がっているのかも知れません。
この分身した神が倭大国魂神なのだと思います。そこから、天照大神は高天原を守護し、倭大国魂神は日本列島を守護するようになったのです。ちなみに、似たような名の神、大国魂神(おおくにたまのかみ)は倭大国魂神とは別の存在だと考えています。
天皇とは、人の頂点である仁(覚醒者)として、地球上の大地、人間界を治めるために神国日本に誕生したのです。従って代々の天皇は、皇祖神である天照大神と倭大国魂神の二神を宮中に祀っていたのです。それが、崇神天皇の時代に途切れ、宮中外に二神を祀るようになったのです。それが元伊勢だったのです。
元伊勢は、最初は豊鍬入姫命が笠縫邑に祀り、その後転々とします。豊鍬入姫命の死後は、それを引継いだ倭姫命が、二神を祀るのにふさわしい場所を探し、長い旅に出て、各地に元伊勢が出来ます。
そして紀元前4年に現在の伊勢神宮内宮に落ち着いたのです。
最後まで読んでいただきありがとうございます。