日本武尊 | 知っとうや(真実を求めて?!)

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⚡2900年続いた人類中心文明は、近い将来、五六七(弥勒)時代となり、本来あるべき姿に戻ります。それまでは産みの苦しみが続きますが、見事に成就して欲しいものです。⚡

先週土曜日は名古屋勉強会でした。満席で55名の方に参加していただきありがとうございました。





勉強会で各地を回っていますと、会場の雰囲気には地域性が伝わってきます。これも波動でしょうか?(笑)





参加者は愛知県を初め近隣県の方が多かったのですが、大変和やかな雰囲気でした。特に男性の方は他地域に比較して大変大人しい方が多いように感じました。大変有意義でした。








せっかく名古屋に行くことになりましたので、熱田神宮を参拝することにしました。





熱田神宮は、伊勢神宮に次ぐ地位にある神社と位置づけされているようです。


<熱田神宮HP>





主祭神は熱田大神





三種の神器の一つ、草薙の剣(クサナギノツルギ)をご神体とする稀有な神社です。天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)とも呼ばれています。


<参照:三種の神器>





相殿神(あいどのしん)として、天照大御神(アマテラスオオミカミ)素戔嗚尊(スサノオノミコト)日本武尊命(ヤマトタケルノミコト)宮簀媛命(ミヤスヒメノミコト)建稲種命(タケイナダネノミコト)を祀っています。





こちらが参道。素晴らしい雰囲気でした。

知っとうや2-熱田①






こちらは弘法大師が植樹したとされる大クス。私はもの凄いエネルギーを感じました。

知っとうや2-熱田②




知っとうや2-熱田③





こちらが本殿。来年に遷宮予定ですので仮本殿でした。正直言って、こちらには神気を感じませんでした。

知っとうや2-熱田④





一方、こちらの湧水があるお清水。ここは独特の雰囲気がありました。神気も強いです。

知っとうや2-熱田⑤





知っとうや2-熱田⑥





こちらはおまけ。鳥居のそばの木の上に三羽の鶏。まさしく鳥居です。鳴いていました。

知っとうや2-熱田⑦






熱田神宮のご神体とされている草薙の剣は、日本神話ではスサノオノミコトがヤマタノオロチを退治した際に、ヤマタノオロチの尻尾から出て来た剣とされています。







その後、アマテラスオオミカミ、ニニギノミコトを通じて皇居に所有されていたが、第12代垂仁天皇の時代に倭姫命(ヤマトヒメノミコト)から東国征伐に向かう日本武尊命(ヤマトタケルノミコト)に手渡されたとされています。


<WIKI:天叢雲剣>




ヤマトタケルという人物は、小さい頃から聞いていた名前でしたが、いつの時代にいた人物なのかなど最近までその詳細は知りませんでした。




調べてみたら第12代景行天皇の息子小碓尊(オウスノミコト)とされています。





その小碓尊が埋葬された地ではないかと推測される場所には、強いエネルギーがありました。この場所です。




知っとうや2-熱田⑧





この社殿の真後ろに一本の木がありますが、この木の周辺の空気が歪んで見えました。一緒に行った数人も同じように見えたようです。これまで凄い神気の場所には何度も行ってきましたが、空間が歪んで見えたのは初めてでした。驚いた時間帯でした。




日本神話では、ヤマトタケルは東征や西征などをし、日本全国の蛮族を制圧していったとされていますが、実はヤマトタケルは一人ではなかったようです。




津田左右吉氏によれば、「ヤマトタケルは4世紀から7世紀にかけて実在した複数の人物を統合したもの」という説をとっています。




私もこの説に賛成です。さらに言えば、日本武尊(ヤマトタケル)は、人物の名前ではなく勇猛無比に闘った武将の称号なのです。




これは卑弥呼も同じです。したがって卑弥呼も複数名います。




複数のヤマトタケルが誰だったのかは、いまだにはっきりしませんが、おそらく、ヒコイマスアメノヒボコオウスノミコト聖徳太子当たりではないかと考えています。




前2者は、金星系に支配されていた日本を復活させるため、朝鮮半島から呼び寄せた渡来系倭人です。そして邪馬台国につながっていたのだと思います。




熱田神宮は、これらのヤマトタケルが使用したとされる草薙の剣を御神体としているのです。







最後まで読んでいただきありがとうございます。