三種の神器 | 知っとうや(真実を求めて?!)

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※この記事の内容には間違いがあります。2012年5月28日に軌道修正した記事をアップしました。


三種の神器

万世一系と伝えられる皇室の証。

その起源は皇祖神:天照大神から代々伝授されていると聞きます。

三種の神器をWIKIで調べてみますと、

三種の神器(みくさのかむだから、さんしゅのじんぎ)とは、天孫降臨の時に、天照大神から授けられたとする鏡・剣・玉を指し、日本の歴代天皇が継承してきた三種の宝物である。
三種の宝物とは、「八咫鏡」「八尺瓊勾玉」「天叢雲剣(草薙剣)」のこと。


と書かれています。

 <WIKI:三種の神器>
   http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E7%A8%AE%E3%81%AE%E7%A5%9E%E5%99%A8

三種の神器
(画像はレプリカ)

三種の神器の概要は次のとおりです。

・八咫鏡(やたのかがみ)
 天照大神が天の岩戸に隠れた岩戸隠れの際、石凝姥命が作ったという鏡。
 天照大神が岩戸を細めに開けた時、この鏡で天照大神自身を映し、興味を持たせて外に引き出し、再び世は明るくなった。
 のちに鏡は天照大神が瓊瓊杵尊に授けたといわれる。
 現在は、伊勢神宮のご神体となっていると伝えられている。

・八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)
 大きな玉で作った勾玉であり、岩戸隠れの際に玉祖命が作り、八咫鏡とともに榊の木に掛けられた。
 現在は、御所の中の天皇の寝室の横に剣璽の間があり、そこに剣とともに安置されているとされる。

・天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)
 「草薙剣」(くさなぎのつるぎ)とも言う。
 須佐之男命(スサノオノミコト)が出雲・簸川上(ひのかわかみ)で倒したヤマタノオロチの尾から出される。
 その後、倭姫命から、蛮族の討伐に東へ向かう倭建命(ヤマトタケルノミコト)に渡された。
 この時、倭建命が野火攻めから脱出する為に、この太刀で草を薙いだ事が草薙剣の名前の由来とされている。
 倭建命が病死したのち熱田神宮に祀られた。

いずれも日本神話から伝わる皇室所有の宝物で、各々、前述の場所に現存すると言われております。


一方、古代イスラエルにも三種の神器があったとされます。
「モーゼの十戒石板」「マナの壺」「アロンの杖」

古代の謎について多くの著書がある漫画家、飛鳥昭雄氏によれば、

・モーゼの十戒石板
  絶対神ヤハウェから授かった10の戒めが刻まれている石板  

・マナの壺
  マナ(甘い食べ物)を入れた黄金の壺
  
・アロンの杖
  アロンはモーセの兄。祭祀を司るレビ族の民。
  一瞬にしてヘビに変わるなど数々の奇跡を起こしたとされる。

としています。

この古代イスラエル三種の神器は、エルサレムにあったソロモン神殿に、ひとつの黄金の箱の中に置かれていたそうです。

この箱が、いわゆる「契約の箱」
「契約の聖櫃アーク」と呼ばれるそうです。

「契約の箱」は四国剣山に隠されているという噂もありますが、キリスト教と日本の関わりは今後のテーマと考えています。

古代イスラエル時代は、約3100年前以降の話になります。
<参照:イスラエル十二支族>
  http://calseed.blog31.fc2.com/blog-entry-83.html

飛鳥氏は、皇室の三種の神器について、日ユ同祖論を有力とする立場から古代イスラエルの三種の神器が伝わったものではないか?
と推測しているようです。

これに対して、私は、日ユ同祖論も部分的に正しいとは思っていますが、それはスサノオ・アマテラス文明より後の話ではないかと考えています。
要は、スサノオ・アマテラスから継体天皇に至る間の2千年間のどこかで、渡来人が天皇として活躍した時代があったのではないか?
(これについては、今後、記事にしていくつもりです。)


皇室の三種の神器は、前述のように日本神話が起源となっています。

日本神話に登場する人物は、スサノオ、アマテラス、オオクニヌシなど、これまで書いてきたとおり実在した人物。

その時代は約3500年前に遡ることとなります。

単純に歴史だけ考えると、皇室の三種の神器が、古代イスラエルの三種の神器より古い事になります。

従って、私は、三種の神器は古代イスラエルから伝わったものではない、と考えています。

それでは、起源はどうなのか?

おそらく三種の神器は、ギザのピラミッドを造った時代、約1万4000年前頃の倭人が使っていたものではないか?

それが、その後、倭人の移動とともに1万2000年前後に日本に伝わったと考えています。
古代イスラエルも同じように伝わったはずです。

ゆえに、古代イスラエルの三種の神器は、皇室の三種の神器と起源は同じだった可能性があります。
時代の変遷とともに、その地で興った宗教に応じて使用方法が異なったとの推測しています。

倭人が使っていた頃の三種の神器については、使い方の詳細は分かりませんが、ネット上などを調べ私なりに推測してみます。

以前、勾玉について記事を書きました。
<勾玉の謎>
   http://calseed.blog31.fc2.com/blog-entry-62.html

この記事を書いた頃は、勾玉の使い方についてはよく分かっていませんでした。
その後、幾つかの情報を得ました。

また、一昨日、この勾玉の記事に対してコメントをいただきました。

「勾玉は測定のための定規のような物であるそうです。装飾品となったのは、その技術が失われた後だったようです。」

驚くべきピラミッドの建造方法を夢見した情報をコメントいただいた、あれこれさんが、遺跡発掘のバイトをしていた頃、聞いたそうです。

私もネットで調べたりした結果、どうも古代の倭人は、勾玉を含む三種の神器を天体観測測量に使っていたようです。

例えば、勾玉の穴に糸を通して現代の測量で使われている水糸のようなものを引き、開拓地の傾斜角度を測っていたようです。

また、鏡の使い方の一つとして、鏡のくぼみに水を引き、剣の先から糸でその鏡を吊るし、水平器として使ったりもしていたとか。

他にも、鏡に太陽光を反射させて直線を引くなど、さまざまな使い方ができるようです。

三種の神器ではありませんが、皇室の十六菊紋は、分度器として利用し、三種の神器と一緒に測量に用いられていたものの名残のようです。

菊紋

このように三種の神器は、単なる装飾品ではなく、もともとは測量ツールとして利用されていたようです。

木内氏が調べている大阪の枚方・交野一体の神社の位置は、(将来の)西暦535年の天の川付近の星空を、左右反対に正確に表現しているそうです。
実際に当地には天の川という川が流れています。

ちなみに、その後、535年が実際に到来して、隕石によって枚方・交野一体が壊滅してしまいます。

<参照:西暦535年>
   http://calseed.blog31.fc2.com/blog-entry-43.html

神社を配置した人々は、そのうような惨劇が将来起こるとは思いもしなかったでしょう。
不思議な出来ごとです。

この枚方・交野の文明が「古代の人は微分積分くらい簡単にできた人たち」という木内氏の言葉に繋がっているようです。

三種の神器を使って天体観測・測量を行う技術が1万4000年くらい前の倭人から伝わっていたのですね。

凄い事です。

三種の神器は、国家を形成するために必要かつ重要な測量ツールとして、皇室の証とされたのでしょう。

一方、古代イスラエルの三種の神器は、旧約聖書の広がりとともに、より宗教的なツールものに変わったのだと推測します。
しかし、そのツールが日本に隠されている?
ますます謎が深まります。


最後まで読んでいただきありがとうございました。