情けは人の為ならず、巡り巡って我が身に還る。 -15ページ目

情けは人の為ならず、巡り巡って我が身に還る。

虚偽DV,子の連れ去り、打倒離婚ビジネスなどの解決に向けわずかながら取り組んでいます。
1月30日に,TEAM「愛のある家族」は「子の連れ去り問題、面会交流及び親権」について、日本初の全面勝利を得ました。この判例により今後は家庭裁判所も変わりつつあると思います。


親子断絶防止法の議連の議員さんの面会要請に応えて、先程京都入りしました。
私はNPO法人でもない一般市民故に交通費も今日の仕事の損失分も自己負担。
いわばボランティア。

政治家の先生方は『責任ある仕事』。
しっかりと国民の声を聴き取り、問題解決に励んでもらいたいものです。

その為にこうしてお金と時間使ってるんですから。




5月15日は国連が定める「家族の日」だそうです。

家族について考えたりしましょう・・らしい。


話しは変わりますが


本日、数名の議員さんから「直筆による意見書が欲しい」と要請がありました。

以前の意見書使い回すなんてできるわけないし、頑張って書きあげるしかないか・・。


まぁ、特に難しいことは当初から述べてないし、ごく当たり前の事しか訴えてないんですが、世の中が歪過ぎてて当たり前の事が難しい時代なんですかね。


当方のブログを当初から読まれていただいてる方々には、既にご理解いただいてるとは思いますが、昨年からの予定通りの流れかと感じます。


自分に与えられた使命はやり抜きますね。

運否天賦にまかせた成り行きでは達成できません、純粋な願いが美しいとも限らないし、道徳・倫理観に沿っていても正義ともいえない。

私が想うのは・・怒ったり、憎んだりの想いを持つ者が減り、相手を想う者が増えればと願う。

裁判はある意味争いかもしれない、でも争いを避ける事が争いに勝つ事ではないだろうか・・

戦争は政治だと言われる、戦勝国が正義とされた・・

しかし今は違う、戦争そのものが「敵」なのだと思う。

争った時点で、両者が大事なものを失うのだから。


戦争を避ける事自体が勝利することではないのだろうか。
争いを避けるとは、相手側にミサイルのボタンを押させない事だ。
つまり今で言う「核」ですよ。

争い「核」の撃ち合いになれば・・そこに勝者は存在せず、ボロボロにになった両者が残るだけ。
争いに巻き込まれた弱者が一番の被害者となる。両者は守るべきものを見失うから争いに走るのだと思う。

争うべきは「自分自身」、闘うべき相手も「自分自身」
そうして自分の戦争に勝ってこそ「核」を保持できる。

通常兵器でドンパチやってるうちは、互いの時間と財に負担がかかりベトナム戦争の様に泥沼化する一方、もし争うなら全て失う覚悟をもたないと勝ちは遠い気がします。

戦争させるのは政治(裁判所)戦争でいい思いするのは武器商人(弁護士)・・結局泣くのは・・

まず内なる自分と向き合い「守るべきものは何か」を再確認してみて、それが自分のエゴであれ自分が正しい、自分のやりかたに信念があるのなら突き進めばいいと思います。

注意したいのは、誰だって自分が可愛いのです、「自分のことが嫌いだ」って言ってる人さえその実、自分が嫌いという意識、自分に興味があるのですから、自分が可愛いと変わりません。
自分自身を愛するように、自分以外の者を愛せたら・・・と思います。なかなか出来ませんけどね。
自分が可愛いうちは、ある一線を越えられないし、どこか偏ってしまう、そこに注意したいものですね。


とか言ってますが、私自身「自分大好き、自分が可愛い人間」でしたけどね。
そりゃ20代の頃なんて「自分の為に働き、自分が楽しむため」行動してましたから。

政治?カンケーねーよ、ニュース見ても無関心。

興味あるのは天気予報、「明日いい波立つかなぁ」なんてノリで波乗り三昧。


30代になると金儲け「人間の悩みの8割は金で解決出来る」(今もその考えは変わりませんが)ビジネスに燃えて勝ち組意識してましたから。

人間らしく?なったのってホントここ数年ですよ。

余命宣告されて考えたね・・

生きる意味っか生きてきた事。


人それぞれに夢中で取り組む何かがある、またはあったはずだ。

学生の時甲子園目指し白球を追った日々、志望校目指し寝る間を惜しんで勉強した日々、金を稼ぐためがむしゃらに働いた時・・夢中になるというのは目標があればこそなのだと思う。目標は夢でありその過程は夢の中、まさに夢中になり無我夢中。

達成する者、しない者・・違いはひとつ

達成する者は「我欲」以外の他者への想いをもっている。
達成せず挫折する者は「我欲」しか持ち合わせていない。

医者になって良い暮らしがしたいと思う者は医者になれないか、なれても名医どころか大した事の無いヤブ医者で終わる、だが人の為に医者として貢献したいと想いのある者は、何故か環境に恵まれる。

不器用な外科医がオペに限界を感じ挫折しても、医学で世の中に貢献したいとの思いがあれば環境に恵まれ、天祐を授かれる・・・IPS細胞が確立した経緯のようにね。

我欲だけなら、いつでも自分の歩みを止められる、諦めれる。なぜなら自分自身で納得すりゃいいだけだから、大概辛くなって諦めるのがこのパターン。

使命感とか感じたりしたら、もう自分だけの問題じゃないから、諦めるどころかより奮起する。

親子の引き離し問題でもそうだけど、ただ会う会わないの問題で終わらせるなら、私自身ここまでしてはいないと思う。

親子・家族・・それは国家の存続に関わるおおきな問題でもある、維新の杉田議員から連絡も頂いたが、あの方が言わんとする事はよく理解できるし賛同します。

右寄りと言う者も少なくないが、そうした者はもっと愛を持ち正しい歴史認識を持ち「親子・家族・地域・そして国家」のありかたについて学び考えるべきではないかと思うのです。

そうすれば命を賭してまでとは言いませんが、強大な原動力と恵まれた環境、そして天祐に授かることができます。


太平洋戦争で多くの若者が尊い命を散らしました・・

愚行ですか?狂気ですか?

残された者に再起の道を残すため、愛する者の為命を散らした英霊に感謝すれど、愚行などと言えようはずがない、多くの人を守るため犠牲となった者を尊ばない者は人にあらず。

終戦と共にアジアの国々はアメリカ、ヨーロッパの国々の植民地支配の奴隷から解放されました、日本は戦争に敗れたものの、勝負には勝ったのです。

今、私達には言論の自由、仕事を選ぶ自由、色んな自由があります。

当たり前の「自由」ですが、犠牲となった英霊の方々がいなければ手に出来なかった「自由」です。

今こうした自由の中で、この国は亡国への道を突き進んでいます。

親子を引き離し、国家の根幹たる「家族」を崩壊させ、国家崩壊への道をひた走っています。

親が子を殺し、警官が盗みをはたらき、裁判官が悪行し、教師が誤りを教え、弁護士は正義を忘れ金儲け・・。

もう目をそらすこと出来ない末期症状。

立て直しきかないなら、いっそ富士山噴火して地震津波で日本沈没した方が幸せかも・・誇りある日本としての生き方として・・。
現状は拉致大国日本で外国の親子まで引き離してるから。

あぁ、また過激とか言われるるんでこのへんにしとこ