今日は国連の「家族の日」 | 情けは人の為ならず、巡り巡って我が身に還る。

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虚偽DV,子の連れ去り、打倒離婚ビジネスなどの解決に向けわずかながら取り組んでいます。
1月30日に,TEAM「愛のある家族」は「子の連れ去り問題、面会交流及び親権」について、日本初の全面勝利を得ました。この判例により今後は家庭裁判所も変わりつつあると思います。



5月15日は国連が定める「家族の日」だそうです。

家族について考えたりしましょう・・らしい。


話しは変わりますが


本日、数名の議員さんから「直筆による意見書が欲しい」と要請がありました。

以前の意見書使い回すなんてできるわけないし、頑張って書きあげるしかないか・・。


まぁ、特に難しいことは当初から述べてないし、ごく当たり前の事しか訴えてないんですが、世の中が歪過ぎてて当たり前の事が難しい時代なんですかね。


当方のブログを当初から読まれていただいてる方々には、既にご理解いただいてるとは思いますが、昨年からの予定通りの流れかと感じます。


自分に与えられた使命はやり抜きますね。

運否天賦にまかせた成り行きでは達成できません、純粋な願いが美しいとも限らないし、道徳・倫理観に沿っていても正義ともいえない。

私が想うのは・・怒ったり、憎んだりの想いを持つ者が減り、相手を想う者が増えればと願う。

裁判はある意味争いかもしれない、でも争いを避ける事が争いに勝つ事ではないだろうか・・

戦争は政治だと言われる、戦勝国が正義とされた・・

しかし今は違う、戦争そのものが「敵」なのだと思う。

争った時点で、両者が大事なものを失うのだから。


戦争を避ける事自体が勝利することではないのだろうか。
争いを避けるとは、相手側にミサイルのボタンを押させない事だ。
つまり今で言う「核」ですよ。

争い「核」の撃ち合いになれば・・そこに勝者は存在せず、ボロボロにになった両者が残るだけ。
争いに巻き込まれた弱者が一番の被害者となる。両者は守るべきものを見失うから争いに走るのだと思う。

争うべきは「自分自身」、闘うべき相手も「自分自身」
そうして自分の戦争に勝ってこそ「核」を保持できる。

通常兵器でドンパチやってるうちは、互いの時間と財に負担がかかりベトナム戦争の様に泥沼化する一方、もし争うなら全て失う覚悟をもたないと勝ちは遠い気がします。

戦争させるのは政治(裁判所)戦争でいい思いするのは武器商人(弁護士)・・結局泣くのは・・

まず内なる自分と向き合い「守るべきものは何か」を再確認してみて、それが自分のエゴであれ自分が正しい、自分のやりかたに信念があるのなら突き進めばいいと思います。

注意したいのは、誰だって自分が可愛いのです、「自分のことが嫌いだ」って言ってる人さえその実、自分が嫌いという意識、自分に興味があるのですから、自分が可愛いと変わりません。
自分自身を愛するように、自分以外の者を愛せたら・・・と思います。なかなか出来ませんけどね。
自分が可愛いうちは、ある一線を越えられないし、どこか偏ってしまう、そこに注意したいものですね。


とか言ってますが、私自身「自分大好き、自分が可愛い人間」でしたけどね。
そりゃ20代の頃なんて「自分の為に働き、自分が楽しむため」行動してましたから。

政治?カンケーねーよ、ニュース見ても無関心。

興味あるのは天気予報、「明日いい波立つかなぁ」なんてノリで波乗り三昧。


30代になると金儲け「人間の悩みの8割は金で解決出来る」(今もその考えは変わりませんが)ビジネスに燃えて勝ち組意識してましたから。

人間らしく?なったのってホントここ数年ですよ。

余命宣告されて考えたね・・

生きる意味っか生きてきた事。