人それぞれに夢中で取り組む何かがある、またはあったはずだ。
学生の時甲子園目指し白球を追った日々、志望校目指し寝る間を惜しんで勉強した日々、金を稼ぐためがむしゃらに働いた時・・夢中になるというのは目標があればこそなのだと思う。目標は夢でありその過程は夢の中、まさに夢中になり無我夢中。
達成する者、しない者・・違いはひとつ
達成する者は「我欲」以外の他者への想いをもっている。
達成せず挫折する者は「我欲」しか持ち合わせていない。
医者になって良い暮らしがしたいと思う者は医者になれないか、なれても名医どころか大した事の無いヤブ医者で終わる、だが人の為に医者として貢献したいと想いのある者は、何故か環境に恵まれる。
不器用な外科医がオペに限界を感じ挫折しても、医学で世の中に貢献したいとの思いがあれば環境に恵まれ、天祐を授かれる・・・IPS細胞が確立した経緯のようにね。
我欲だけなら、いつでも自分の歩みを止められる、諦めれる。なぜなら自分自身で納得すりゃいいだけだから、大概辛くなって諦めるのがこのパターン。
使命感とか感じたりしたら、もう自分だけの問題じゃないから、諦めるどころかより奮起する。
親子の引き離し問題でもそうだけど、ただ会う会わないの問題で終わらせるなら、私自身ここまでしてはいないと思う。
親子・家族・・それは国家の存続に関わるおおきな問題でもある、維新の杉田議員から連絡も頂いたが、あの方が言わんとする事はよく理解できるし賛同します。
右寄りと言う者も少なくないが、そうした者はもっと愛を持ち正しい歴史認識を持ち「親子・家族・地域・そして国家」のありかたについて学び考えるべきではないかと思うのです。
そうすれば命を賭してまでとは言いませんが、強大な原動力と恵まれた環境、そして天祐に授かることができます。
太平洋戦争で多くの若者が尊い命を散らしました・・
愚行ですか?狂気ですか?
残された者に再起の道を残すため、愛する者の為命を散らした英霊に感謝すれど、愚行などと言えようはずがない、多くの人を守るため犠牲となった者を尊ばない者は人にあらず。
終戦と共にアジアの国々はアメリカ、ヨーロッパの国々の植民地支配の奴隷から解放されました、日本は戦争に敗れたものの、勝負には勝ったのです。
今、私達には言論の自由、仕事を選ぶ自由、色んな自由があります。
当たり前の「自由」ですが、犠牲となった英霊の方々がいなければ手に出来なかった「自由」です。
今こうした自由の中で、この国は亡国への道を突き進んでいます。
親子を引き離し、国家の根幹たる「家族」を崩壊させ、国家崩壊への道をひた走っています。
親が子を殺し、警官が盗みをはたらき、裁判官が悪行し、教師が誤りを教え、弁護士は正義を忘れ金儲け・・。
もう目をそらすこと出来ない末期症状。
立て直しきかないなら、いっそ富士山噴火して地震津波で日本沈没した方が幸せかも・・誇りある日本としての生き方として・・。
現状は拉致大国日本で外国の親子まで引き離してるから。
あぁ、また過激とか言われるるんでこのへんにしとこ