「つくし様、あの…扶様が書斎に
来ていただきたいと」
検診から帰ってきたらお手伝いさんに
そう言われた。
私は類や類のご両親の名前で
呼び出されても応じないように
キツく厳命されていた。
その日、用件を伝えにきたお手伝いさんの
様子がちょっと変だと思った。
私は外出着から着替えるとゆっくりと
おじ様の書斎へと向かった。
(こんな平日の明るい時間におじ様が
家にいらっしゃるなんて珍しい。)
そう思いながら何の疑問も持たずに
書斎へと足を運んだ。
「失礼いたします」
書斎のドアに手をかけ遅くなったことを
詫びながら中に入る。
だけどおじ様の声は聞こえない。
きょろきょろと周囲を見渡せば
ソファーの脇に立つお祖母様の
姿が見て取る事が出来た。
「え…?」
頭の先からつま先まできちんと
整えられた身なりのお祖母様
「あの…?」
そう問いかけたのと同時に
まさかという思いが胸の中に宿る。
私をここに呼び出すために
おじ様の名前を騙った?
背筋がゾクッとするような
寒気を感じた。
「どうせ私の名前で呼び出しても
応じるなと言われてるだろうから
息子の名前で呼び出しました。
あなたにお話があるから
失礼を承知でお呼びしたの」
穏やかな表情でにっこりと笑った
お祖母様は笑うと類やおじ様に
とても良く似ている。
「貴女に話があるのよ牧野つくしさん」
フルネームで自分の
名前を呼ばれ
ドキリと鼓動が跳ねる。
その声色ははっきりとしていて
真剣味を帯びていた。
にこやかに話してはいるけれど
おばあ様のお話は決して
いいことではないだろう。
何となくそう感じて少し
警戒心が沸き起こる。
「私に…話ですか?」
有無を言わせない迫力に閉口する。
「ええ、貴女と類の今後のことについて
私の話を聞いてほしいのよ」
……欲しい。
伺いを立てるんじゃなくて
これはきっと命令なんだ。
そしておばあ様は私と類の関係を
知っているし彼が今どんな
状況なのかもきっと把握している。
まっすぐ見つめられて告げられた
その言葉の意味を察して
肩がピクリと震える。
きっとおばあ様は類の現状を知って
ここまで来たのだろうと思う。
恐らく、類のご両親には内緒で。
それの意味することは恐らく
余りいい話ではないのだろうって
経験上なんとなくわかる。
今話を聞くことを拒んでも
きっと避けては通れない道
なんだと思う。
「お話、聞かせてください」
顔を上げて真っ直ぐに
おばあ様を
見つめ告げる。
聞きたくない、
今は何も……考えたくない。
怯える心を必死に奮い立たせながら。
何度も心の中で類の名前を呼んだ。
書斎へ温かいお茶が運ばれてきた。
私の前にはホットミルクが置かれる。
私とおばあ様は向かい合って
応接セットのソファーに座っていた。
何を話していいのか分からず
俯いてしまう。
「唐突だけど私は貴女と類の
結婚には反対です」
面と向かってバッサリと
切り捨てられた。
本当に唐突だった。
当たり前だよね。
ギュッと拳を握りしめる。
「類はこの家の跡取りなの
類以外花沢の後継者はいないのよ
しかも一人っ子……
その為にも、それなりの家柄の令嬢と
結婚してもらいたいと
思っているのよ」
そうおばあ様に告げられ私は
思ったよりも冷静だった。
心の中では分かってはいたけれど
認めたくなかったんだと思う。
私と類の住んでいる世界が
違うのだということを。
こうしてはっきり口に出されて
ショックで呆然としてしまう。
「もし、貴女が頷いてくれたなら類には
新しい道が開けるのよ?息子や栞さんは
貴女をこの家に類の相手として
受け入れようと
しているみたいだけれども」
類は貴女のことを忘れているそうね?
そう口に出されて心が凍りつく。
「いい機会なのではなくて?」
「それはどういう意味ですか?
何を以っていい機会なのでしょうか?」
声の震えが止まらない。
ギュッと拳を握りしめて震えを
止めようと努める。
「貴女も類もまだお若いわ
今、別れて別々の道を歩んでも
差し支えないと思うの」
それは類との関係をなかったことに
しろって言いたいのだろうか?
そんなことできるわけない 。
類に拒絶され何度もこの家から
出て行こうと考えた。
彼は私の命の恩人。
そこまで深く愛してくれた人を
忘れられたからって傍を離れる
ことができないのが現状。
実際に私のことを何も思い出せなくても
類は類であることに変わりはないと
思っている。
やっと自分の存在を受け入れてもらえた。
忘れたなら何度でもやり直せばいい。
そう前向きに考えられるようになったのに。
「……できません、たとえ私のことが
分からなくても覚えていなくても
私は類さんのお傍にいるつもりです」
誰かに言われたからといって
それに従うつもりはない。
「息子が認めても私は認めません
類には婚約者がいるのです
貴女には類を諦めていただきます」
表情を崩さずにおばあ様はそういった。
そしておばあ様は無言で席を立つと
部屋の奥から誰かを連れてきた。
その人は女性で私にもとても
見覚えのある人だった。
かつて私がその潔い生き方に
感嘆を覚えた綺麗な憧れの女性。
「」…静さんどうしてここに?
フランスにいらっしゃるのでは?」
ひたすらショックで声が掠れる。
藤堂静さんの登場に私は
思い切り動揺した。
類の婚約者が、静さん?
「お久しぶりね、牧野さん」
掛けられた声の優しい響きは
あの頃と変わっていない。
けれどあの頃と違うのは
静さんの瞳の輝きだった。
何かを諦めたようなどこか
醒めた色をして私を見つめていた。
彼女を見た途端、心臓を
鷲掴まれるような痛みを覚える。
「類の婚約者は生まれながらに
彼女と決まっているの」
有無を言わせない口調で
おばあ様は私を追い詰めてくる。
「もう一度言います、類との
交際も結婚も認めません!
今すぐ
別れてここを出て行きなさい」
もしも、赤ちゃんのことを
この人に知られたらどうなるだろうか?
不意にそのことが頭の中を過った。
「……」嫌です、別れません」
私は突如芽生えた不安に
背を向けるように反論していた。
その時だったノックもせずに
類がおじ様とお祖父様を連れて
書斎に飛び込んできたのは。
「つくし!」
類は部屋に入ってきて真っ先に
私を抱きしめる。
「類」
「ねえ!俺は静と結婚なんてしないよ?
勝手に決めないでくれる?
俺とつくしの間にはもう子供がいるんだ!」
え?
なんで知ってるの?
「……戻ったもん、記憶」
「うそ……」
私は絶句して凍りつく。
「ねえ、婆ちゃん俺の子供からも
両親を奪うつもり?アンタが子供の
俺から母親を取り上げたようにさ……」
「それは……ッ」
「俺はもう何も出来ない子供じゃない
守りたいものを護れないそんな家なんて
存続できなくてもいいよ?」
「何を言うの?貴方は!」
「とにかくつくしとじゃなくちゃ
結婚はしない、許嫁なんて要らない
そういう訳だから!」
行こうと肩を抱かれて部屋を出る。
「待ちなさい、類ッ」
お祖母様の金切り声が追いかけてくる。
それでも構わずに類は歩みを進めた。
書斎からだいぶ離れた空き部屋に
類は私を連れ込む。
ドアを閉めた瞬間、彼は私を
思いきり抱きしめた。
「ごめん、婆ちゃんが酷いこと言って
間に合ってよかった」
「うん、それより記憶……戻ったって…」
「ホントだよ?思い出した、全部」
私を見て微笑む類。
その笑顔を見た瞬間ブアッと
今までのことが甦って涙腺を
思っきり崩壊させる。
「それに覚えてるよ?最後にシたとき
もしもデキてたら産んで一緒に
育てようって言ったことも」
「ばか!」
「うん、俺は莫迦だね」
「嗤うな」
「ごめん」
「約束、守ってくれるの?」
「当たり前でしょ?」
「類、おかえり」
「うん、ただいま」
私達はそのまま抱きしめ合う。
ちょっと大きくなったお腹が邪魔して
密着できなかったけど……
しっかりとお互いの温もりは
確認できた。
