昨日の続きです。
私には、姉と弟がいます。
あまり仲が良いとは言いにくい関係でした。
特に弟夫婦とは、絶縁状態が20年近くになります。
それは、両親にも同じでした。
身勝手としか思えない。許せなかったんです。
親にも寂しい思いをさせてしまっている弟夫婦。
私の家族が全面フォローをしてきました。
でも、私が離婚をして実家に戻ってきた時、私はなんて「私は正しい」を振りかざしていたんだろう…と気付きました。
世間一般と比べて批判をする。私はちゃんとやっているのに…やらない相手が悪いと。
その仲違いのまま、今回の母の葬儀で、弟家族と再会する事になりました。
私は弟家族を何も責めるつもりもなく、何事もなかったようにスッと馴染める事が出来ました。
とにかく弟を頼りに動いてもらいました。
そして勇気を出して奥さんにも「今まで嫌な思いをさせてしまってごめんね」と謝りました。
素直に謝りたいと思えました。
私が離婚をしてなかったら、まだ怒りを握りしめていた事でしょう
その夜、父と弟は斎場に泊まりました。もう飲まないビールを自分から出してきて、弟と酌み交わしていました。
父はこれがしたかったんだろうな
母の采配だと思いました。
こうでもないと、私達の和解は訪れなかったと思います。
母は私が実家に帰って父と暮らしている事を、安心して喜んでくれてました。
父はずっと、自分が先に死んでしまったら、継母が一人ぼっちになると心配していました。(そんなことはしませんが)
そんな父の心配も汲んでくれ、私が帰ってくるまで待ってくれていたのかも知れないな…とさえ思えました。
私達の家族の為に、自分の使命を全うされたんだろうな…と思います。
「ありがとう」しかありません。
あの場にいた人達、皆同じ気持ちに包まれました。
安らかに、眠っているような可愛い可愛い顔でした
母の生き様は素晴らしかった。
施設でも皆から愛される人でした。
言葉にしなくても、沢山の事を教えてもらいました。
最後に。
何年か前ですが、ある方のセッション⁉️で
今のお母さんは、亡き母が連れてきてくれたみたい。お父さんの落胆が大きすぎて命を失う可能性があったくらいで。
そして、百合栄さんはこの後から来たお母さんの影響が大きく出ている。と。
その時はピンと来なかった。
亡き母の存在を握りしめて離せなかったから。
今なら少しずつわかる。
ばあちゃんしか作れない味ご飯の味。お寿司も。みんな大好きな味。私には真似出来なかった。
その人が作るエネルギーに私達は惹かれるんだと。
私は二人の母に守られて生きていける。なんて有難い人生
全てが必然で本当はどんな時も最善最高になっているんだと、改めて思った母の葬儀でした
長い文章を読んで下さった方、ありがとうございました
実家の庭からの景色。