二人の母を亡くし、たくさんの愛情をもらっていた事に気づき、ふと、自分も母である事に気づいた訳です。
今日、一人暮らしをしている娘(大学3年生)と久しぶりにやりとりをしていました。
娘は芸術大学に通っていて、作品(課題)を仕上げるのに追われて忙しい毎日。
提出期間はあるのに、構想を練っている時間ばかりが過ぎていき、何も出来ていないはいつもの事
そこが苦しいんですね。
無いものから生み出す作業は、本当産みの苦しみです。そして自分で納得出来ないと進まないし。
自分と向き合う事にもなります。自分の嫌な性格を否定したくなったり。
先生からも、否定されたり。
周りがどんどん出来ていく焦り…もあり。
去年の初めにある方から
「今年は親離れ子離れと出ていますね」
と言われました。
へー、どんな年になるのかなぁ❓とピンと来ませんでしたが
その年に結局離婚をして、娘は大学の近くで一人暮らしをすると言う選択をしました。
その選択が娘にとっても「これで良かった」と言ってもらえた事が有り難かったです
すんなりと親離れ子離れになってしまいましたが、もし、あのまま一緒に生活していたら、娘の苦しさにどっぷり浸かって、あれこれ心配ばかりしていただろうな。
そして、娘も、心配ばかりしている親を見て自分が情けなくなってしまうだろうと思う。
ある意味距離があるから、黙って辛くても頑張っている娘を応援するしか出来ない。
それが「見守る」娘を信用する…って言う事なのだろうな。
あ、息子も二人おりますが、同じ気持ちです
いろんな感情を超えた作品には、その人が現れてきます。
この写真は娘が今年の初めに三重県熊野市の鬼ヶ城で撮ってきた写真です。
お店に飾ってありますが、この写真を見ると、どんな感じの人が撮ったのか想像できませんか❓
そして右下の写真は、「龍🐉」にしか見えない笑
本人は全く意識していないのですがね。
娘らしい作品だと思います。親だから…だけじゃなく、見た人が惹かれる何かがあると思います。
本人にはわからないと思います。
みんな自分の事はわからないんです。当たり前すぎて。
人から教えてもらえるようになっているそうです
私は自分の事ばっかり考えていて、子供に対しては薄情かも知れません…(と、時々思います)
でもそれしか出来ないし、子供達に見ていてもらいたいと思って頑張っています
…あ⁉️子供達に見守られているのは私かも知れない笑