「すべての人間が救われる本当の教え」とは | カフェ点のブログ/福井片町/洋生焼き菓子・クッキー・チョコレート製造販売・カフェ/日曜・祝日定休 営業11:00~20:00

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福井銀行本店さんの後、徒歩1分の所(西側・片町)にあるカフェ点です。近辺にコインパーキング(有料)があります。
お勘定が税別で¥900以上のお客様にはコインお車1台に(¥100)1個差し上げます。出来事などを気ままに書かせていただきます

今日は福井も

「強雨警戒」の予報が出ています。

 

今のところは不気味な静けさですが

 

 

 

 

 

それでは、

 

今日は本当の仏教「善知識」の教え

「渡部隆史講師」のお話を参考に

 簡単にですが、少しだけ書かせて頂きます。

 

 

この世のすべての物質というものは

「固定不変な物体」というものはない。

 

それが我々の生きている

       この世界というもの。

 

間違いなく実態があるように感じても

         事実はそうではない。

 

 

『お釈迦様』

 今から約2600年前に

こういうお言葉で表現されていたそうです。

 

 

 

 

 

 

 

私たちにも実態がないのです。

 

そんなことはない!

俺が、私がここにちゃんとあるではないか。

     

と、思っても

 この私というものは

 「固定不変なもの」ではなくて

  生命の実体というものは

 どんどん変わっていくものなんです。

 

私たちの肉体でも

 脳細胞でも7年たつと

  すべてが変わってしまうそうです。

 

ですから、

 私と言うものの実体は本当は無いそうです。

 

ところが、

 私たちはいろんな物に

  これは私の物、俺の物・・・

 

これは私の 俺の・・・と、

 ついつい執着をしてしまうのです。

 

 

この執着によって私たちは苦しむそうです。

 

 

全ての物は

『諸行無常』

 必ず滅んでいくものですから

  私たちがどんなに執着をしても

  

大事にしたって、

 大切にしたって失われていくのです。

 

これは物だけではありません。

 

大切な人もそうです。

 

そして、心もそうです。

 

人の「心」もどんどん どんどん

   変わっていってしまうのです。

 

 

どんどん どんどん移り変わっていく・・・

 

 

ところが、

 私たちはなかなかそれが認められないのです。

 

いつまでも、自分の物だ。

 

これは私の物だと執着したい・・・

 

これを「煩悩」というのです。

 

 

そういう「執着」を断って

    全ての物に執着しない。

 

 

『空』というさとりの境地、

 果たして、私達がそんな気持ちになれるでしょうか?

 

つまり、

 

それは「煩悩を断つ」という事なのです。

 

 

「煩悩」をなくさなければ、それは出来ないのです。

 

 

『親鸞聖人』が仰っています。

 

我々人間は

「煩悩具足の凡夫」

    「煩悩の塊」だ。

 

欲に目鼻を付けたようなものが

 我々人間だと、こう仰られているのです。

 

 

その欲を邪魔されるとグワッと腹が立つのです。

 

金儲け話も

 誰かに邪魔をされてふいになってしまったら

     あいつのせいで!

 

「欲の心」

 激しい怒りに変わるのです。

 

その怒りをぶっつけようがなくなると

 今度は妬み、嫉みのいやらしい

  『愚痴の心』なるのです。

 

 

自分を勝る者の足を引っ張ろうと思ったり

 いろんな煩悩が私たちの心に渦巻いているのです。

 

それが私たちの実態なのです。

 

 

 

今日は時間が少なくなりましたので

  つずきは次回にさせて頂きます。

 

 

最後までご覧いただき

  ありがとうございました。