「でな、実は前々から考えてたんだよ。お前に何かしてあげられることはねぇかって。それで…」
ここで旦那は羽賀さんの方をちらりと見た。私もつられて羽賀さんの方を見る。羽賀さんはにこりと笑って、首を立てに振った。どういう合図だろう。
再び旦那のほうを見る。すると、また意を決したように話を始めた。
「でな、知り合いのひろしさんに相談したんだよ。ほら、娘さんが花屋やってて、愛妻家だった」
あ、あのひろしさんか。奥さんが病気で亡くなってしまい、そのときに自分も死ぬんだと自殺騒ぎを起こしたことがある。ひろしさんはそれだけ奥さんのことを愛していたんだ。
「でな、ひろしさんは、それならオレよりいい人がいるからって羽賀さんを紹介してくれたんだよ。そしたら、羽賀さんってこの前お酒を買いに来てたお客さんじゃねぇか。まぁそれですぐに意気投合してな。で、いろいろと話をして、今日ここに連れてくることになったんだよ」
なんと、びっくりだ。まさか旦那が羽賀さんにそんなことを相談していたとは。
「あなたもそうだったの」
「あなたもって、どういうことだ?」
「実はね、私も羽賀さんにいろいろと話を聞いてもらったの」
言ってしまった、と思った。旦那のことだから、どういう話だと突っ込んで聞いてくるに違いない。まさか、旦那に不満があるなんて、ましてや熟年離婚を考えていたなんてこと言えるはずがない。けれど旦那はこんなふうに私に言った。
「そうか、お前もいろいろと悩みがあるんだな」
なんか不気味だわ。けれどその理由はすぐにわかった。
「でな、話を戻すけどよ」
なるほど、旦那の頭の中は自分が話したいことでいっぱいなんだ。結局私のことなんかどうでもいいんだ。旦那は自分のことが優先なんだわ。
ちょっとムッときてしまったが、旦那の次の言葉に驚かされた。
「でな、実は前からずっと思っていたことがあったんだ。お前に何かしてあげられることを考えて、羽賀さんに相談して、そうしたらここのコーヒーを飲めばそれがきっと出てくるはずだって。だから、お前が感じたことを教えて欲しいんだよ。オレはさっき黒いクッキーを食べたときには、お前の喜ぶ顔が見えた。これがオレの望んだ未来か、ってのがわかったよ。そして白いクッキーを食べたとき。このときにはオレがしっかりとお前にこのことを伝えねぇとってのがわかったんだ。だから今、こうやってお前に話をしている」
一気に喋った旦那は、コーヒーを手にして一気にノドに流し込んだ。よほど緊張して私に喋ったんだろう。ホント、お酒のことは起用にこなすのに、こういうことに関しては不器用なんだから。このとき、かなり昔のことを思い出した。
この人と結婚をする前のこと。私にプロポーズをしてくれた時もこんな感じだった。ついさっきまで偉そうにベラベラと喋ってたと思ったら、突然黙りこんで。そしてどもりながら私にこう言ったんだった。
「お、お、オレとい、一緒になってくれないか。そうしたら、おまえを幸せにするから。そして一緒に年をとって、手をつないで旅行に行ったりしてぇんだ。だ、だから、オレと、け、結婚してくれ」
ふとその時のことを思い出しちゃった。そしたら、なんだかおかしくなってつい笑ってしまった。
「おい、何笑ってるんだよ」
私が笑ったのが気に食わなかったのか、旦那はちょっとムッとした顔をした。
「ごめんなさい。あなたって、ホント昔から変わってないなぁって思って。こういうのは不器用なのよね」
「う、うるせぇ」
照れながら私に背を向ける旦那。
そっか、そうだった。この人のこういうところが好きになって結婚したんだ。それを承知で結婚したんだった。そのことをすっかり忘れていたわ。
「で、おめぇが望むものはなんなんだよ」
旦那は背を向けたまま私にその質問を投げかけてくる。私はさっきシェリー・ブレンドを飲んだ時に見た光景を思い出した。
そうだった、私は自由な時間が欲しかったんだ。でもそれを今、旦那に言っていいものだろうか?困ってしまって、ふと羽賀さんの方を向いた。すると羽賀さんはゆっくりと首を縦に振る。私の思いを感じとってくれたようだ。
意を決して旦那に今の私の思いを伝えることにした。大丈夫、何かあっても羽賀さんがついてくれてるから。
「私がコーヒーを飲んでみたもの、それはね、ふわっとした自由な時間。いろんなところに行って、いろんな人と出会って、いろんなものを食べて。もっと私に自由が欲しいの。もっと甘い時間を私に欲しいの。今はお店に縛られて、さらに…」
ここで孫のかずきをちらりと見た。 するとここの店員のマイさんがすかさずかずきにこう言う。