先日、東京15区で補欠選挙が行われた。
百田尚樹氏が立ち上げた日本保守党の飯山あかり女史が、検討したが虚しく立憲民主もとい、立憲共産党の候補者が当選した。
ここは、自民裏金問題で議員辞職した後釜を選ぶ選挙であったが、投票率が40.7%に留まった。
詰まり、6割以上の馬鹿が投票に行かなかったという事である。
これだけ政治腐敗、売国奴自民党に全国民が怒りを覚えいてるなか、結局庶民は選挙にいかないのである。
なら、黙って奴隷と化せや!!!ではないか?
一生懸命真面目に働いて、税負担率が6割あたりとなり、江戸時代中期の五公五民を凌いでいて、自民党の馬鹿共は政治資金の名の元に金を集めて脱税しても逮捕されず、使途不明金もOKという体たらくだが、国民は引導を渡さずに無関心!!!
ああ、失われた30年間がこの先続くのか?
岸田文雄はこの30年間の無能首相の中でも飛び抜けた馬鹿である。
国会中継で、与野党の国会議員が政府とヤリとしているが、まあYouTubeでも現政権の無能さが観られるので是非観て欲しいのだが、果たしてこれって必要なの???
この答弁だが、予め質問する内容を知らせている出来レースである。
これに一日数億円掛けているのなら、それこそAIにやらせた方が金も掛からないし、時間も節約できると思うってしまう。
馬鹿な大臣共は官僚の書いたカンペを棒読みしているだけである・・・
そこに魂の遣り取りは無いのだ。
それならAIの方がましでしょう?
しかし、噂によると衆議院の解散は6月後半で、総選挙は7月であろうという予想がある。
何故なら、姑息な自民党は政党助成金の配布を6月に前倒しする法案?を決めたという。
通常は7月に配布なのだが、1月前倒しなのが、解散総選挙に臭いがする。
更に、何と自民党議員の女性議員には、子育て支援金として100万円を支給するという国民を舐め腐った仕儀である。
50億円の使途不明金の責任を取った二階俊博だが、次回の衆議院選不出馬を表明したが、おいおい責任を取るなら刑務所行け!!!ではないか?
そして案の定、二階俊博に変わって己の三男伸康を出馬させるって、どういう神経なの?
無神経、厚顔無恥だから政治家になれるのか?と思うほどの気狂い振りには驚かされる。
今から457年前の永禄10年(1567)、尾張国と美濃国を統一した織田信長公は、稲葉山城を岐阜城と改め、"天下布武"を掲げた。
因みに、この頃の織田信長公の正式名称は、平朝臣織田三郎上総介信長という。
織田家は元々現在の福井県の出で神主の家系であった。
三郎とは、父秀長の三男であるが、正妻の子であるから家督相続したのだ。
上総介とは今の千葉県の市原市や茂原市、袖ケ浦市、君津市、富津市あたりであるが、通常国の長官は"守"であるが、上野(こうずけ)、常陸、上総は皇族が治める地であった為、実質の長官は次官であった"介"と呼称した。
天下布武を掲げたときに、周りの戦国大名家は、松平、今川、武田、北条、六角、浅井、朝倉、北畠、長野、畠山、細川、筒井、三好とざっくり上げてもこれだけが中部地方から畿内にかけていたのだが、これがこの時代の保守であった。
彼らの上に現在の政府同じように終末に喘ぐ室町幕府があった。
更に現兵庫県には波多野、一色、山名、別所、赤松と一癖も二癖も有る輩が山積していた。
この後「このままじゃあダメだよね〜」と政治改革を唱えたのが、信長公、浅井長政、徳川家康と少数であった。
足利義昭が越前一乗谷から美濃の織田家を頼ってきた。
この時、朝倉義景が中々動かないと嘆いて越前を後にしたのは時代劇でも有名であるが、これには前段階があって、12代義晴、13代義輝の時も軍勢を率いて京へ駆けつけたりと兎に角、頑張っていて金も掛かっていたし、ハッキリ言って義昭処では無かったと思うので同情する。
この時代、将軍の名で軍勢を動かすの自前であったのだ。
信長は政治改革を仕様と京へ乗り込んだが、そこで官僚共の腐り振りを目の当たりにしたと思う。
誰が将軍では無く、腐った官僚制度自体の問題だと気が付いたはずだ。
現在の国政も、政治家が世襲の馬鹿チンだらけなのだから、実際は官僚に支配されているのと同じである。
彼らは選挙も無く、権力の中枢に居座っているのだ。
だから、信長公は「ああ、この政府はダメだ。新政府を作らねば」となったのは理解に難くないでしょう?
これが私が良く書く「大政奉還」なのである。
政府の中枢が腐っているのだから、誰が総理大臣になっても同じ事なのである。
官僚共は公金チューチューや既得権を守ることのみである!!!
何で増税メガネこと岸田文雄が増税を続けるのか?
奴のピーナツ程度の脳みそで考えたことでは無く、財務省の意向が"増税"であり、財務省内では"増税=勝ち"で"減税=負け"という小学生レベルの思考で動いているのである。
だから、ここを破壊せねば日本経済の浮上は有り得ないのだ。
増税=勝ちを勝ち取った官僚は、奴らがせっせと作った"公益法人"という錬金術によって数億円を手に入れることが出来る。
馬鹿な国民の生活などお構いなしに、己の将来の数億円の収入の為に邁進しているのである。
だって、これほどの政府の不祥事があるのに、投票率が過半数以下なのだから、何をやっても所詮無能な国民だと思うのも無理は無いでしょう?
戦国時代も同じである。
室町時代は戦乱の時代であり、応仁の乱以降守護大名が疲弊し、配下の武将同士が好き勝手にやり始めたのが戦国時代であった。
守護大名は力を失い、変わって補佐役であった守護代らが力を付けてきたのだ。
だから、それは室町幕府の法の下であった。
中央は中央で好き勝手をしているので、地方も好き勝手を始めたのである。
現代と同じでしょう?
悲惨なのはいつでも庶民なのだ・・・
そこに室町幕府を倒して自らが天下人を目指したのが織田信長公なのである。
天下布武には、"力のある者が力なき民を守る"の意味があるのである。
そして、既得権という甘い汁チューチュー大名家と死闘を繰り広げたのだ。
第一次、第二次信長包囲網をぶち破り、既得権者を各個撃破してゆき天下人まで登り詰めた。
天正8年には、関東の北条氏政が信長に従属していたのだ。
信長公は関東を手に入れたも同じであったし、上杉謙信も滅ばされる一歩手前まで追い詰めた。
日本海側と関東から三国峠から侵攻されれば、上杉家は滅びていた・・・
これは、織田の軍団と旧態依然の戦国大名家の軍団とは質が違うからなのだ。
戦国大名家の兵士は全て領民であった。
詰まり、兵士の調達は無料であったのだが、領民である為、戦死者が多ければ領内のインフラが壊滅してしまうのであるが、信長公の軍団は、全て金で雇っている兵士である。
戦死者が多くてもなり手はいくらでもいた。
詰まり、兵士の補充が簡単にできたのだ。
織田軍の兵士は日本中から集まるからである。
昔の百姓は跡取り以外は邪魔者であった。
食い扶持減らしで家を出されて放浪するしかなかったのを、織田家に仕官すれば給与が貰えて、手柄を立てれば城持ち武将にもなれるという魅力があった。
上杉謙信がいくら強くても消耗戦になれば、結局は織田信長公に従属せざる終えなかったのである。
皆さん想像できますか?
当時の常識は、兵士は領民で無料であったのを、織田信長という戯けは兵士に給料を払っている!!!というのが非常識であったのだ。
逆に非常識が出来るから強いとも言えるのだ。
天正10年6月2日の事件が無ければ、その年の内に毛利を従属させ、翌年以内に九州平定をしていたはずだ。
公没後、秀吉の最大の敵は同じ織田軍であったのだが、公が存命ならば全軍がまるで歯車のように日本を統一したであろう。
現代の日本人もこの政府が必要か?という疑問を持つべきである。
信長公は、話しても理解できないから武力を持って示したのだ。
現代、日本が衰退しているにも拘わらず、選挙に行かない奴らがいる。
此奴らはこの先日本が支那の配下になっても、日本政府が倒れて新しい幕府が出来ても関係ないと思っている。
その時その時に生きていれば良いと思っている奴らなのだと思う。
ならば、其奴ら抜きで明治維新という嘘から始まり、国民を欺し続けている政府を何とかしなければならない。
先ずは、総選挙に行くことなのである!!!