将軍 | 男46歳のダイエット!!!

男46歳のダイエット!!!

自分がデブだと気が付き、血と汗と涙のダイエット日記

先日、今更だがプリプリ(プリンセス・プリンセス)の曲をiTunesでGetした。

"DIAMOND"と"世界でいちばん熱い夏"である。

聴いていると幸せな気分になるので、何故かと思ったら日本が一番系が良かったバブル期の歌であるからだと結論づけた。

歌詞は、「人生楽しい!!!」「明日の心配などNothing!!!」が良いのである。

 

私が自分自身を鼓舞するのに聴いていた曲があるが、それは中森明菜ちゃんの"TATTOO"である。

15年以くらい前にヘリパイの訓練を受けていて時に、家から訓練所のあるトーランス空港まで来るまで行く途中に大音量で聴きながらHawthorneBLVDをカッ飛んでいた。

音楽は偉大だと思うのが、歌を聴いていると「俺は出来る!!!絶対に出来る!!!」と自己暗示に掛かっていることである。

 

さて、ネットを観ていると、真田広之が今熱いようだ。

ドラマ"将軍"であるが、これが全世界で凄いことになっているという・・・

日本のマスゴミは伝えないが、"Disney+"で観ることが出来るが、兎に角重厚で重いので、ながら視聴はできない!!!

作り手が真剣に作っているのだから、観る側も気合いを入れる必要がある。

 

将軍はイギリス人のジェームズ・グラベル著の世界的ヒットした小説で、昭和55年に日本でもTV放映され、これがアメリカに日本の戦国時代を紹介した初めてのものであり、欧米人がカルチャーショックを受けた作品であったという。

私が15歳で中学三年生であった・・・

家族で観ていたのを覚えている。

島田陽子女史のヌードが観られたのが、当時中坊であった我々世代の一番の収穫であった事は言うまでもない・・・

吉井虎長を世界の三船敏郎が演じた。

"将軍"は1600年代の日本を描いているが架空の世界であるので、この虎長は史実では神君公で、按針ことジョン・ブラックソンはウイリアム・アダムスがモデルである。

まあ、当時のNBCが製作したドラマであったので、日本人としては変な日本であったのだが、今回の新将軍のオファーが真田広之に来たときに、彼は条件として日本人の役は日本人と日本語、時代劇の専門スタッフを日本から連れてくるであったという。

真田氏は更にプロデューサーも兼任した。

 

満を持して私は昨晩、第一話を観た!!!

最初にオランダ船籍の船が伊豆半島の網代に漂着する所から物語が始めるのだが、難破船に向かう武士団が来るのだが、弓矢隊が半数なのは違和感がある。

本来ならば鉄砲隊が来るはずで、当時の鉄砲の数は日本が世界一であったのだから・・・

 

もう一つ、当時、スペイン、ポルトガル、イギリスも日本の船を畏れていたのである。

航海術が無いように描かれているが、実際はインドまで航海していたし、海族を一掃する等々の大活躍で、欧州人は"八幡船"を畏れていたし、帆に"幡"の字を見れば、一目散に逃げていたのが史実である。

乗組員は全て武士で、それも2mぐらいあろうかという長剣をもってそれを揺れる船の上で自在に操っていたというのだ。

更に鉄砲の武装も桁違いであったから、戦いにならなかったという。

だから、暹羅で王国のために戦った象に乗った武士山田長政まで出現したのである!!!

 

劇中では耶蘇教(カトリック)は、日本を植民地にしようとしてたというが、その通りで、国民が馬鹿(無学文盲)な国にキリスト教が広まるのである。

西暦0年辺りの欧州は蛮人ばかりで、唯一の文明国はローマ帝国しかなかったから、ローマ帝国ではキリスト教は流行らなかったのだ。

無知教養の国へ広がったのが分かるでしょう?

先ずは宗教と民を洗脳してから、占領軍がやって来るのであるが、日本は先ず民の識字率が異常に高く、教義で騙せなかったのだ。

因みに仏教も同じで、ご先祖様が守ってくるは神道である。

特に古神道の人は死ねば皆神になるから来ている。

 

さて、八幡船の元は倭寇であるが、倭寇=海族ではないのだ。

倭寇が結成された時代に、南宋が鎖国をしてしまったため、今まで外国製品を購入してい人々が困った。

そこでやって事は密輸である。

これで巨万の富を得ていたのをみた朝鮮人や支那系の奴らが倭寇になりすまして手っ取り早く略奪を始めたために倭寇=海族となった所以である。

これは後の八幡船でも同じで、奴らが八幡船を真似て悪逆非道を半島で働いた為に、当時の高麗国が八幡船殲滅の軍を送って誤って本当の武士団の八幡船に攻撃を仕掛けて、フルボコにされ高麗国軍が殲滅状態になったために高麗が滅んだというのだ・・・

 

まあ劇中の日本人は遠洋航海出来ない感は嘘である。

そうそう、縄文人達は船で世界中を旅していたというから、後の戦国時代の日本人に出来ないはずは無い。

証拠の縄文土器の破片が至るところで見付かっているのだ。

 

さて、話に戻ると、虎長が大阪に趣き大阪城に入ったが、大広間に通されて何故か下座に座った。

おいおい、五大老なのだから同じ段にいるか、筆頭であらば上座に着くはずである。

更に、"太閤さま"と言っていたが、太閤の敬称は"殿下"である!!!

 

現在でも馬鹿マスゴミは皇后雅子様と呼ぶが、これは非礼の極みである。

皇后は陛下であるし、秋篠宮様も非礼で殿下と受けねばならない・・・

 

ここまで無知無能だと日本が滅ぶぞ!!!

"礼に始まり礼に終わる"が日本文化である!!!

 

それと本丸の大広間を家臣団が囲んでいたが、通常本丸御殿に陪臣は入れない!!!

江戸時代だと、1万石の大名も100万石の大名も登場時のお供の数は違うが、大手門で振り下ろされ、100人番屋で更に落とされ、本丸御殿の玄関口から入れるのは、藩主一人であった。

家老と言えでも江戸城本丸に足を踏み入れることは出来なかったのだ・・・

頼りは茶坊主のみであった・・・

余談だが芥川龍之介は、茶坊主の家系であった。

 

まあ、ドラマの1600年代の関ヶ原直前の日本は架空の世界でありいわばパラレルワールドだと思って観た方が楽しめる。

 

関ヶ原の戦いも勘違いしている輩が多いのに驚かされた。

関ヶ原の戦いは、徳川対豊臣でない!!!

豊臣時代を現行政府とすると徳川幕府は次に政府である。

しかし、慶長5年は豊臣時代であり、神君公は豊臣政権の五大老首座であった。

今で言えば、内閣総理大臣である。

内閣総理大臣が職権で、豊臣に従わない上杉誅伐するのは、当たり前のことである。

福島政則、加藤清正等々の豊臣家恩顧の大名が何故徳川に従った?

それは、皆が豊臣政府の役職に就いていて、法令に則って指揮権のある内閣総理大臣である神君公に付き従うのは当たり前である。

 

反旗を翻した石田三成は三奉行の一人であり、こちらは格式から言っても大老より数段落ちるのだ。

三成は、行政担当であったが、これは大老の裁決を受けて初めて動ける立場であった。

 

ここで神君公が一か八かの博打などするはずがないのだ。

三成が政の極意が分かっていなかったのだ。

物事は表面化したときには既に決着が付いているのだ。

 

今で言えば、森喜朗元首相がオリンピックの会議で「女は会議を長引かせるだけ」的発言をしたが、森のやり方は会議の開催前に全て決まっていて、会議は形式上所謂シャンシャンをやるためのに、馬鹿な女がそこで意見を言ったから皆が???となっての発言であったのだ。

 

全ては水面下で波も波紋すら立てずに進んでいるのである。

だから、三成はガチンコだと思っていても、負けたのである。

東西の布陣からすれば、絶対に西軍が勝つのだが、それを水面下東軍を考えて布陣を観れば、西軍が鶴翼で囲まれているのだ。

 

戦後、徳川政府になっていくのは、やはり朝廷から征夷大将軍宣下(多くの役職も貰っている)で潮目が変わったのだ・・・

だって、天子様が「豊臣でなく徳川ね」という大御心であった・・・

現在だって、もし陛下が「もう岸田ダメだ。○○を征夷大将軍に任ず〜」と公に発せれば次の政府になる・・・

天皇の政治活動は憲法に反するって言う馬鹿がいるのだが、そもそも憲法は天皇の名の元に発布されているし、第一日本国政府が倒れれば憲法など意味が無いのだ。

 

そうやって日本は歴史を作ってきたのだ。

国民を幸せに出来ない政府は、要らないのである!!!

 

さて、今夜は第2話目を見るぞ!!!