親御様メッセージ(2017 武蔵6) | 「都立受験」のプロフェッショナル(学志舎)

◎親御様メッセージ(2017 武蔵6)

 

振り返ると、激動の約9か月間でした。学志舎、布施先生との出会いは娘が中学3年の5月末でした。それまでは、習い事のスケジュールが不定期なことに合わせて、中学での部活動、生徒会活動とタイトなスケジュールだったため、中学1年の春から、ある程度日程調整ができる先生1人:生徒2人の個別指導塾へ通っておりました。

 

 

娘はしっかりしている方だったので、中学に入学してもきっと成績は大丈夫だろうと鷹をくくっておりましたが、気が付いたら中学2年生の3学期になっても成績は一向に変わらず、このままでは娘が希望している第1志望の高校合格は難しいと思い、親子ともども、6月になったら習い事のほうが落ち着くので、レベル別の集団塾にでも入塾させようと思っておりました。

 

 

普段から学志舎の前をよく通っており、窓に貼られた生徒さんの合格実績の数を見ておりましたが、その時は何も知らずに「合格数少ないな」、「やけに生徒が多い。ここは学校の復習塾かな?」と思っておりました。しかしながら、やはりどこか学志舎のことが気になっていたので、ネットで検索をしたところ、先生がお1人で生徒さんを教えているにも関わらず、生徒数の割に非常に髙い合格率に驚き、掲載内容を読み進めると、布施先生の生徒さんを強い志をもって熱くご指導されていることを感じました。生徒さん達は先生と共に日々努力をされていることが結果に結びついているのだとわかりました。ここなら娘もきっと頑張れると確信をし、体験授業を受けさせたのは3年生5月末でした。学志舎では、シャーペンのカリカリする音と生徒さんが集中をして授業を受けておられ、私語が全くない授業に非常に驚きました。授業後に、布施先生と志望校について伺うと、今の内申では、第1志望の高校合格は非常に難しいことを数字ではっきり示され、親子ともども目を覚ましました。どこかで、なんとかなるのではと思っていたのでショックでした。布施先生は目力がすごく、娘は怖がって(布施先生ごめんなさい)学志舎に行くというかどうか半々でしたが、体験授業の後、自宅に帰る途中の車中で、「私、絶対に学志舎に行きたい。絶対、頑張るからお願いだから通わせて。」と言いました。娘が本気になった日でした。悲しんでいる暇はない。やらなければと6月から応用クラスに通うことになりました。

 

 

学志舎に通いだすと、娘は「私、今まで全然勉強していなかった。勉強していた気になっていたけど、今までの勉強は勉強じゃなかった。もっと早くから、布施先生に教わりたかった。なんとか、受験まで、今までの時間を取り返す気持ちで頑張るね。」と、第1志望の学校の制服や、先輩方の内申点の伸びを示したプリントを机の上に貼り、目標に向けて人が変わったかのように学志舎の先輩方に続けとばかりに勉強に取組みはじめました。3年2学期の中間の結果、思うほど内申が上がらず、とにかく期末を頑張ると、帰宅するとすぐに学志舎へ自習に行き、学志舎がお休みの日は、図書館で勉強をしていました。自宅では、リビングでひたすら手を動かして勉強をしていました。親としては、むしろそんなに勉強をして大丈夫かと思うぐらい明らかに勉強に取組む姿勢が変わりました。しかしながら、2学期の期末の結果は、第1志望校は諦めなくてはいけない結果となりました。ひどく落ち込んで、翌日は部屋に貼っていた写真もプリントもなくなっていたことに私は動揺をし、どうしたらよいかわからず布施先生に連絡をさせていただきました。すぐさま布施先生が娘と話をしてくださりました。布施先生は、都立武蔵高校を受験するのはどうかと勧めてくださいました。グループ作成校の受験をするとは考えてもおりませんでしたし、娘はそこに合わせた勉強もしていなかったので、12月から難関クラスで間に合うのか大変驚きました。先生は弱点の教科をひたすらやり点数を上げるしかなく、まだまだ安心はできないけど、ここのところ点数を上げてきている娘に、まだまだ伸びしろはあると感じておられました。可能性はあるけど、他校2校も見学には行ったほうがいいいとのこと。私は、まだ約3か月あるので、どこまで伸びるか見守ろうと思いました。娘と一緒に武蔵と他校を見学に行くと、娘は武蔵合格を目指して頑張ることを決意しました。

 

 

グループ作成校の勉強を始めて苦労をしていた娘が、他校の難関校の平均点以上を取ることも徐々に増えていき、自分で英語の読むスピードが上がったと喜んだり、かと思えば国語の点数がなかなか取れなかったりという日々。迎えに行くと、笑顔で「今日ね、何点だったでしょうか。」と私に質問してくることが増え、「いいぞその調子」とこちらもワクワクするようになりました。1月に、本試験さながらで武蔵の1年前の過去問を解き、これで合格点だったら受験できるということでしたが、合格点にわずかに足りず、そのわずかな点を埋めるために、さらに勉強をしておりました。もう、記載するノートを何冊終わらせたのでしょうか。ブルーのインクの文字だらけでした。

 

 

月、都立高受験の願書を提出し、競走倍率を確認すると今までで一番高く、予想より高いなと思いました。そして、最終受験倍率が出ると、倍率は更に高くなっていて予想をはるかに上回っていました。もう何が何だか、何でこんなに急に高くなってしまったのだろうと、私は内心穏やかではありませんでした。しかし、きっと布施先生が子どもたちに何か伝えるはずだから私の口からは言わないでおこうと思いました。迎えに行くと、娘は車に乗り込みや否や、武蔵の倍率が高いと泣きました。相当ショックだったと思います。順調に点数を上げてはきましたが、さすがに、最終倍率の数値は娘に重くのしかかってきました。「もう、こんなんだったら安全圏の学校を受験するんだった。」と。布施先生にご連絡をし、対話をしていただきました。布施先生は、今までやってきたこと、誰ひとり落ちずみんなで必ず合格するんだと、子どもたちを励ましてくださいました。保護者には緊急保護者会を開いて下さり、合格できる根拠を丁寧にご説明して下さりました。残り10日弱、私自身も気持ちで負けないよう心を強く先生を信じて一心不乱に勉強をする娘をだまって見守りました。

 

 

当日、私は娘と一緒に受験会場に向い武蔵野校門の前でハグをして「頭の中を全部出しきっておいで。救急車呼んで待っているよ。」と言うと、笑って試験会場へと行きました。お弁当箱には小さなおにぎり1つと、キットカット(きっと、勝つと)3個。メッセージには、布施線から教えていただいた娘が夏から勉強してきた総時間数、「日々の努力は裏切らない」、「学志舎魂!!」の3つを書きました。娘は全て食べたそうです。受験が終わって校門で待っていると、最初の第一声は「全然、緊張しなかった!!」でした。これは、布施先生のとある技を教わったおかげでした。そして「やり切った。やるだけのことはやった。結果がどうであれもうこれで悔いはない。」と笑顔で言いました。武蔵を受験した男子2名、女子4名、誰もこぼれることなく、6名全員で武蔵に合格できました。娘と二人で叫んで飛び上がって喜びました。お会いする時は、クールで難しい顔をされておられた布施先生が、興奮をされて笑顔で喜んで下さったこと忘れません。約9か月間で起きた出来事とは思えないぐらい、激動な日々でした。娘は、最後は私たちのために頑張ったと言ってくれました。親子ともども、布施先生からは勉強だけでなく、たくさんの大切なことを教わったと思います。今まで、熱いご指導をいただきましたこと、心より御礼申し上げます。