合格体験記(2017 武蔵6) | 「都立受験」のプロフェッショナル(学志舎)

☆合格体験記(2017 武蔵6:常田さん)

 

私は、中学3年生の5月下旬に学志舎に入塾しました。それまで私は、全く集中のできない個別指導塾に通い、定期テスト前以外はほとんど勉強しない生活を送っていました。定期テストでは、なかなか点数が伸びず、当時目指していた第一志望校の合格には程遠い内申で、とても悩んでいました。初めて学志舎の体験授業を受けた時、そこには今までに感じたことのない緊張感と布施先生の情熱で溢れる眼差しがありました。そんな私にとって、布施先生との出会いは本当に奇跡で、すぐに学志舎へ入ることを決意しました。私はそれからの約9カ月間、学志舎でたくさんの教えを学び、人生や価値観が大きく変わりました。そんな学志舎での貴重な体験について、いくつかお伝えしたいと思います。
 

 

まず、入塾後の一番の変化は、学習面についてです。学志舎には自分のモチベーションを高めてくれるライバルたちがいました。いつも私の隣で全力で手を動かし続ける仲間との時間は、学志舎にしかない価値ある時間でした。

 


夏休みに入ると、ほぼ毎日朝7時半から夜10時半まで勉強という超過密スケジュールの夏期講習が始まりました。布施先生による分かりやすい図や、別解を使った解説と、一日にこなす多くの演習で、圧倒的な量と質の良い勉強をすることができました。休憩時間は、途中15分間の昼寝や、友達と楽しく会話しながらとる昼休憩のみでしたが、私にとって気分転換として非常に適していました。


 

そんな夏期講習もあっという間に終わってしまいましたが、8月の模試での偏差値は初めて受けた7月の時よりも5科目の偏差値を、8上げることができました。しかし、それでも自分の第一志望校は変わらず努力圏だった私には、不安しかありませんでした。そんな時、布施先生は、具体的に復習すべきところを丁寧に伝えてくださり、「高校への情熱を燃やし続けよう。」とおっしゃってくださいました。私はその時、「ただひたすら情熱を持ち、進めばいい。」と思うことができました。
 

 

夏休み以降は、学校から帰ると制服のまま、リュックに荷物を詰め込み、すぐに学志舎へ向かいました。「中3の仲間たちに負けない」という気持ちで日々勉強に励み、毎日の学習が自然と身に付きました。「塾から帰るとき、これ以上手が動かなくなるほど疲れていないと勉強と言えない。」という布施先生の言葉で、テスト勉強への取り組みも大きく変わりました。例えば、教科書の重要だと思う箇所を緑色のペンでマーカーをし、赤シートで隠しながらとにかく書いて覚えたり、学校では短い休み時間を利用したりしました。その結果、入塾前に比べ素内申を4上げることができました。それでも、3年2学期の期末試験の結果では第一志望校に必要な内申点には届かないことを知ると、内申を常に気にかけていた私は、自分がどこを目指し、何のために勉強をしているのか見失い、家で大泣きしてしまいました。
 

 

そんな辛くて苦しい時、布施先生は私の思いもしなかった高校を勧めてくださいました。それが、都立武蔵高校でした。当時、応用クラスで共通問題の勉強だけをしていた私が、グループ作成校である武蔵高校を志望校にするということは、考えられませんでした。不安だらけで押しつぶされそうでした。しかしながら、布施先生は「まだまだ伸びしろはある。」とおっしゃり、武蔵高校の特徴について教えてくださいました。その後、武蔵高校の見学に行き、武蔵校の先生が学校の説明をしてくださり、興味を持っていた軽音楽部の見学をさせていただき、そこで素敵な高入生の先輩方をご紹介くださり、「是非、受験して。待ってるよ」と応援をしたいただいたことで、武蔵高校に行きたい!と心から思いました。見学に行ったことで、やっと武蔵高校への情熱が湧きました。今思うと志望校をすぐに変更できたことで、あまり落ち込む時間がなく、良かったと思います。
 

 

11月末から、難関クラスに変更をし、グループ作成校の問題を解き始めました。しかし、初めてグループ作成校の過去問を解いたとき、その難しさに圧倒され、改めて難しさを思い知らされたようでした。時間が足りず半分も解けなかったり、そもそも解き方を思いつかなかったり、不安が募りました。初めてのグループ作成校模試は、武蔵高校の努力圏にも入らず、悔しい思いでいっぱいでした。そんな時私は、布施先生の「まだ始めたばかり。まだまだ伸びる。」という言葉を胸に、ひたすら過去問を解き続けました。
 

 

一番苦手だった数学は、過去問を解いた後、間違えた問題を他の紙にメモし、また解きなおし、日付と正誤を書きこみ、それを何度も行いました。努力圏の私は、合格圏の人以上に努力しようと心に誓っていました。年が明けて1月頃になると、「コレ、取れてた問題」だけを見直すようになりました。この言葉は布施先生がたくさんおっしゃっていた言葉です。答えを読み込んでも理解できない問題、平面図形の複雑な問題などではなく、計算ミスなどで点数を落とした問題のことです。このように取り組み続けた結果、1月最後の模試では数学の偏差値は7月に比べて「16」、初めのグループ作成模試からは「9」上げることができました。苦手だった数学は、いつしか好きな教科に変わっていたのです。布施先生はいつも、「自分が好きになれたら嫌でも伸びる。」とおっしゃっていたので、私は嬉しい気持ちでいっぱいでした。
 

 

英語は、12月になってもなかなか仕上がらない教科でしたが、布施先生は「条件や知識から必ず正解を導き出すことができる。リズムを崩されるな。」と教えて下さりました。そして、塾長にいただいた「○○」(※部外秘)や、「○○」(※部外秘)を覚えたことで時間不足になることもなくなりました。また布施先生は、「○○」(※部外秘)と教えて下さったので、「直し」を大切にしました。そうして私は、自分のリズムを崩されにくくなり、武蔵高校の過去問では平均点を大きく上回ることが多くなりました。

 


そして迎えた、皆がそれぞれの志望校の去年の過去問を、入試と同じ時間割で解くプレ入試の日。この結果で第一志望を確定するという試験でした。判定は、合格点に5点足らず、不合格でした。私は、5点足りなかったことがとても悔しく、自分に腹が立ちました。しかしながら、それと同時に、ここまで成長できたことへの嬉しさがありました。それからは、特に点数の取れなかった理社を中心に復習しました。塾長のくださった「○○」(※部外秘)、過去問の解説で教わったポイント、「○○」(※部外秘)に重点を置き、残り少ない時間を精一杯過ごしました。そのうち、正解できる問題は急激に増えていきました。

 


こうして着々と成長していった私ですが、本心は不安や焦りもありました。例えば、内申が合格者平均よりも低いということです。そんな時、布施先生は資料を見せ、確信を持ちながら、内申はそこまで関係ないと話してくださり、私の不安は少しなくなりました。また、模擬試験で国語の点数が安定せず弱気でいた時は、「武蔵の過去問で平均点が取れているなら、心配しなくていい。過去問の点数が一番重要だ。」と教えてくださりました。国語の作文も、何回も添削をしていただけたことが自信となっていました。倍率は、当初4人のうち3人が合格するというような倍率だったので、学志舎の武蔵高校を受験する女の子4人の中から1人不合格者がでるという計算となります。ですが布施先生は、119ノートに「女の子、4人、そろって武蔵に合格しよう。」というメッセージを書いてくださいました。思いが強ければ合格すると信じ、執念と武蔵高校への情熱でやり切りました。
 

 

他にも、勉強以外で教わったことはたくさんあります。たくさんの人や物へ感謝できるようになりました。親が塾に通うためのお金を払ってくださり、塾の送迎をし、私を見守ってくださる、それは当たり前ではないと、布施先生のおかげで、改めて気づくことができました。また、1日1日の積み重ねがどれだけ大切なのか、気づかされました。「自信は自分が努力し続けたという事実から生まれるもので、お金で買えるものではない、自分自身が一番分かっているものだ。」と教えられました。

 


このような経験をし、私は無事武蔵高校に合格することができました。3月2日の合格発表、喜び、達成感、たくさんの感情が入り混じりながら流した涙は、一生忘れることができないと思います。もしあの時、学志舎と、布施先生と、出会っていなかったら私はどうなっていたのか、想像するととても恐ろしいです。私はこのような素晴らしい体験ができる塾は、学志舎以外に存在しないと思いますし、このような経験は高校、大学、社会に出ても役に立つと感じています。そして目標を高く持ち、受験に向け走り続けることができたのは、私のことをたくさん力づけ、救ってくださった布施先生、切磋琢磨しあえる仲間たち、「超集中」ができる教室の環境があったからです。学志舎と出会い、全力で努力し続けたら、必ず大切なことを学ぶことができます。つたない文章で分かりづらい部分もあったと思いますが、最後まで読んでいただきありがとうございました。少しでも力になれたら幸いです。これから受験を迎える皆さん、心から応援しています。布施先生を信じて、頑張ってください。