勇気づけの嵐
<重要なお知らせ>
【記事再掲載のご案内】
本ブログに移行して来る前の記事を現在時刻で再掲載したところ、多くの方にご覧頂き好評でした。
そこで、最初に戻って再々投稿して行きたいと思います。
既にご覧頂いている方々には、はなはだくどい事になってしまいますが、続けてすぐに新規の記事を投稿しますので、少々お待ち頂けると有難いです。
その際、本記事はオリジナル日付2018年10月20日に変更しこちらの記事一覧に加わって行く事になります。
<日替り記事>
【神楽坂】
相葉さんが獣医を演じる「僕とシッポと神楽坂」。
このドラマ、「食欲に勝る検査はなし。」と言われ、検査機器より動物としっかり向き合われる、かかりつけの牧獣医さんのイメージとも重なって来ます。
そして、神楽坂はヒューマンギルド所在地なので、私もよく訪れます。
ニノさんの「拝啓、父上様」やテレ東の番組等で相葉さんも伏線的にロケしているのでこれまでロケ地巡りもしていました。
アドラー心理学と嵐の聖地ですね。
【音楽遍(偏・変)歴・ブルース編・2】
故・萩原兼任さんが1971年にオープンした「オープンハウス」。
ジャズやロックをかける喫茶店は名古屋にもあちこちありましたが、ここはレコードが揃って来ると珍しくブルース専門店に変貌します。
その立役者が、後にB.B.クィーンズで活躍する近藤房之助さんでした。
一度、無理くり機材を集めてライブを開催した事があったそうですが、この時、高校生だった房之助さんが、名古屋市工芸の仲間と出演しています。
ジョン・レノンのプラスティック・オノ・バンドをもじってセルロイド・ホモ・ブルースバンド。
そして、京都で就職してもバンド熱が収まらない房之助さん。
その後の動きは前回書いてますが、私と自宅が今池にあった学友が「オープンハウス」に入り浸る頃、既に房之助さんはここで働き始めていたのです。
(続く)
<シリーズ・自由研究ノート>
【お断り】
本シリーズでは、今までのキーワードシリーズと異なり極私的見解が多く含まれて来ますし、にわか学習による誤認もあり得ます。
なので、アドラー心理学についても触れている、色メガネを通して書いたエッセイとお読み取り頂ければ有難いと思う次第です。
【勇気づけの嵐・20】
4)山田太郎ものがたり/主演:二宮和也・櫻井翔
容姿端麗、成績優秀、スポーツ万能と完璧でありながら実は超貧乏という高校生・山田太郎が周囲にセレブと勘違いされながらも愛する家族のために奔走する姿をコミカルに描くドラマ。
太郎の家族思いや兄弟達の太郎思い、実に利他的で感動します。
寺に同級生と合宿に来ていても、座禅中に思うのは兄弟の事、徹底してました。
招待留学生としてアメリカの大学に迎えられることになった時も、「子供の頃は、アメリカに行って、大きなハンバーグを食べるのが夢でした。今は大きなハンバーグを家族みんなで分けて食べてお腹一杯になるのが夢です。アメリカ行きはお断りします。」
これを受けて校長も「我々も一度、本当の腹ペコになったほうがいいかもしれないね。本当の腹ペコになって、初めて一番食べたいものが何かってわかってくるのかもしれない。」
このスジで思い出したのが現実世界。
二宮さんはハリウッドスターの仲間入りをしても、メンバーに迷惑をかけた事を気にかけ、「自分は俳優ではなく、日本では歌って踊っている。」と海外での記者会見で発言してました。
(続く)
【アドラー心理学と信仰・愛について(対神関係論)・20】
そこで、アドラーとフランクル両者の違いとしての出発点について考えてみました。
本ブログ「働く意味」で書いた事にも繋がりますが、この相違点は、普遍的なものと言うより、極限状態に関係してくるんじゃないかと思えるんです。
つまり、普通の状況に於ては、衝動にも通じる利己的な劣等克服で始まる事が多いと思いますが、実存主義的に優越を目指す際に、利他的な共同体感覚(これが求められる生きる意味に相当すると思います。)に根差した方法を選び取れば、幸福に近づけると言うアドラーが考えた流れで良いと思います。
そして、この利己・利他は、はっきり分けられるものでなく、連続的な度合いの違いであり、また、一人一人の感じ方の違いもあると思えるのです。
マザー・テレサが言われている様に、些細な事でも心を込めていると大きな貢献になるんですね。
POKKYを分け合うだけでも、気持ち的には大きな貢献感を持つ事ができます。
また、自分の為にしている事がいつの間にか人の役に立っているってな事もよくありますし。
一方極限状態、つまり、命を張って他人を助けたり、フランクルの様にナチスに捕らえられるといった状況では、はなっから利他的な貢献がより強く求められるのではないでしょうか?
もしくは、フランクルは、アウシュビッツに入る前に、もう自身の理論を固めていた事を考慮すると、これは、人間寄りでなく神寄りのユダヤ教信仰も影響していたのかも知れません。
それが過酷体験でより確かなものになったのでしょうか?
フランクルは人間でなく神寄りのユダヤ教から自力救済に近づいた。
一方、アドラーはユダヤ教に熱心でなく、無神論のニーチェから実存主義に入ったのですが、その後キリスト教に改宗し、共同体感覚にたどり着いたと言う、人間寄りの泥臭い一面がありました。
イエズスが神として、人間との橋渡しをしてくれたとするキリスト教に改宗したアドラーの方が、人間の弱さを認めた上での、自己肯定感の大切さを主張している様に思えます。
極限状態に於いては、元々信仰に関わりが深い共同体の概念が、社会の枠を越えスピリチュアルにまで拡がっている事、それが劣等克服のし方に関係している事が自然であると分かります。
普段何げに生活できているのはむしろ奇跡的であって、人はいつ極限状態に追い込まれるかも知れない、か弱い不完全な存在ですが、そんな時にも心は健康を保てるのです。
この拡大された共同体感覚は、強い味方になると思います。
「苦しい時の神頼み」改め、「苦しい時は、神のみ旨の共同体感覚」で、状況の受け入れと、限られた中でどう貢献できるかを考えると、幸福を保って行けるのではないかと思います。
いずれにしましても、期待されている生きる意味をみつけたり、共同体感覚の理想に近づくところだけに注目すると、どちらも実存主義的で相違は感じられず、出発点にこだわって区分けする必要性もあまり無い様に思えるのです。
事実、フランクルは、アドラー派の人との接触も後々まで保っていましたね。
ところでフランクルは、奥様がカトリック教徒であり、自身も他宗教にも寛容、東洋哲学にも関心が大きかったそうです。
因みにカトリックの神人協力説(他力救済+自力救済)って、神の呼びかけに対して、戸を開けるかどうかは私たち1人1人の自由意志に委ねられているとの事になりますから、ユダヤ教の、律法厳守だけで救われるとする教えよりフランクル的ですね。
一方のアドラーも、自己決定性や実存主義の理論が柔らかい決定論とされていて、運命や環境の影響を否定していません。
ここで、いつもの大野さん「さとラジ」に登場した一言を使った公式を掲出して強引にまとめちゃいます。
配られたカード<運命環境・他力救済・決定論>+どう切るか<実存主義・自力救済・自由意志>=呼び掛けに応える<幸福・神人協力説>
自力救済・他力救済どちらもありとの見解でも両者相違なしですね。
以上の事から、「力」「意味」と仰々しく打ち出している割に、出発点及び人それぞれの主観に関わる貢献感・利他性についての超越性の違いしか見受けられない様に思えて来ます。
いずれにしても、2人の違いが、今まで述べた様に、人が神に拘わる領域になって来るとすると、人が全てを把握する事の適わない神がなさる事で、その違いを議論するのも難しい様に思える、と逃げておきましょう。
(続く)
<シリーズ・アメブロ過去記事の復刻>
花鳥風...鉄。
NHKの鉄番組として、中川家がMCを務める「鉄オタ選手権」や六角さんが旅する「呑み鉄本線日本旅」等がよく流れますが、いずれもBSチャンネルです。
一方、総合に於いても時々特集番組が放送されます。
「マサカメTV」では、新幹線の裏側紹介をしていましたが、パンタやトンネルの騒音防止のヒントになったのが羽ばたく鳥くん!
「自然に学ぶ謙虚さ」とは技術者としての名言ですね。
大好きな掛川花鳥園の取材も嬉しかったです。
さて鳥?トリを務めるのは渡部史絵さん。
全国に流れないコーナーで残念でしたが、民放でも鉄はお盛んで、フジ「アゲるテレビ」に出演され、近鉄新特急「しまかぜ」を紹介なさってます。
さて、鉄を離れ「かぜ」テーマを続けましよう。
風の強い日でしたが、こどもの日、久しぶりに東山動植物園にカミさんとお出かけしました。
家を出てすぐ前の川沿いの花壇では、木香薔薇の剪定をしているおじさんがいたのでカミさんが話しかけたところ、本ブログ「卓を囲む」でもご紹介した我がマンションの卓球同好会の方でした。
その後、加藤晴彦さんのサインが掲げてある駅近の店で花束を買いましたが、NHK「中学生日記」の店内ロケの写真もありました。
さて現地に着いてみたら、まあ予想以上のものすごい人出!渋谷スクランブル並みの歩きにくさです。
インド象等のベビーラッシュと連休が重なったんですね。
そんな中、解禁されたビールもしっかり堪能しましたぜ。
カンガルさんの親子はなかよしこよし。
植物園エリアに行くとオレンジ色も鮮やかで音色が聞こえて来そうなフレーミング・トランペット。
そこからいよいよ本日のメーンエベント「Amitie」さんのステージに向かいます。
鍵盤ハーモニカを前面に出したユニークなバンドで、アドラー心理学のワーク「ELM」や「SMILE」を一緒に学んだ方もメンバーにいます。
買って行った花束を植物園でお渡しする乙なものですね。
時節柄、徳川園の時より、お子様向けアニメ選曲も多く、「勇気100%」では、日頃のピアノ教室の生徒さん達とセッションされました。
途中、風で楽譜が暴れたり、映画「ラストワルツ」のクラプトンみたく、ストラップが外れたりするアクシデントもありましたが、愛嬌で乗り切り。
ラテンの名曲「エル・クンバンチェロ」等、アップテンポの曲では、早弾きで魅せて頂けます。
そして...
「上を向いて歩こう」ではT・ボーン、ジミヘン裸足のトリッキー反則プレイ「上に乗せて弾こう!」
嵐くん達と同じで、自分たちが楽しむより、みんなを楽しませたいとの意気込みが嬉しいです。
そして、嵐くん達も「堂本兄弟」という番組でセッションしていた曲、サンバ風味の「風になりたい」が始まると、強風が心地よい「かぜ」に変わって行きました。
<鉄道動画集>
YOU TUBE「スヌーピー1」からご覧下さい。
ベストセラー書「嫌われる勇気」で大ブレークを果たしたアドラー心理学では、困難を克服する活力を与える「勇気づけ」をとても大切なものと考えています。
本ブログは、夫婦関係、子育て等の困難から救われた自らの経験を活かす為、幸福を目指すこの心理学の案内役となり、各種ワークショップやカウンセリング等への橋渡しができればとの思いでスタートしました。
また、勇気づいた人の象徴的存在である嵐の活動、旅や趣味の世界等についても合わせて綴っていますので、同好の方にお楽しみ頂けたらと思います。
巻き起こせ!
勇気づけの嵐。