刈谷の星 | 勇気づけの嵐c6217139-08

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勇気づけの嵐

 

<重要なお知らせ>

 

【記事再掲載のご案内】

 

本ブログに移行して来る前の記事を現在時刻で再掲載したところ、多くの方にご覧頂き好評でした。

 

そこで、最初に戻って再々投稿して行きたいと思います。

 

既にご覧頂いている方々には、はなはだくどい事になってしまいますが、続けてすぐに新規の記事を投稿しますので、少々お待ち頂けると有難いです。

 

その際、本記事はオリジナル日付2018年10月10日に変更しこちらの記事一覧に加わって行く事になります。

 

 

<日替り記事>


 

【言葉の暴力】

 

いつぞやのお昼の某ワイドショーで、

 

「指導名目の体罰は100%アウトだけど、言葉の暴力は微妙だからしっかり精査しないと」

 

ですって。

これって自己弁護?

「100年以上前にアドラーが気付いて拡めて来た指導方法が未だに出来へんくせに、ニュースネタを提供する事しか能がないクズが、指導者ズラしてんじゃねー!」

これ、怒られながら言われたらどうですか?

先のワイドショー発言は精査ではなくて、「感情のコントロールや言い方の技法まで提示しているアドラー 心理学が拡まって欲しい」とのメッセージと受け取りたいものです。
 

 

【音楽遍(偏・変)歴・ブルース編・1】

 

先ずはB.B.クィーンズ近藤房之助さんのプロフィールから。

TVでよく紹介され人気の高いパーキング・エリア隣接の「ハイウエイ・オアシス」内に、地元の星として紹介されてますのでご存知の方もいらっしゃるでしょうか。

 

愛知県刈谷市にある料理屋さんがご実家です。

名古屋市工芸と言う美術系高校卒業後、京都で着物デザインをされてましたが、バンドに入れ込んでいた為、ご本人曰く「親を騙して」刈谷に戻り、愛知県立芸大に進学されます(7ヶ月で除籍)。

面白いのは、かの3大ギタリスト、クラプトン、ベック、ペイジはアートスクール在学中に知り合っていますし、憂歌団も美術系高校仲間です。

 

さて房さんは、フレディ・キングと言うブルースマンのレコードや、御多分に漏れずNHKのシカゴブルース特集番組に触発されブルースにのめり込みます。

 

面白いのは、ビートルズから始まり、いわゆるロックには行かず、ブルースとフリージャズにハマっちゃうんですね。

 

そう言えば日本のフリージャズ重鎮、山下洋輔トリオやタレント活動等で有名な坂田明さんが、当地ローカルTV番組で房さんと共演された際、ジョン・ゾーンを知ってるの?とビックリされてましたね。

 

さて刈谷に戻って県立芸大に進学した後も、結局更なるバンド熱で極貧生活に陥り、名古屋の盛り場・今池にあった「オープンハウス」の極狭の部屋に住み込んで働き始めます。

当時よくあったレコードをかける喫茶店ですね。

 

(続く)

 

 

<シリーズ・自由研究ノート>

 

 

【お断り】

 

本シリーズでは、今までのキーワードシリーズと異なり極私的見解が多く含まれて来ますし、にわか学習による誤認もあり得ます。

 

なので、アドラー心理学についても触れている、色メガネを通して書いたエッセイとお読み取り頂ければ有難いと思う次第です。

 

 

【勇気づけの嵐・19】

 

3)バンビーノ/主演:松本潤

 

イタリアン・レストランでの仕事を通して成長する青年を描いています。

 

厨房が主な舞台でしたが、狭いところでどんどん先輩達の作業スピードに取り残されていくという体験を通して、動きに無駄が多い事に自ら気づいて行きます。

 

これはエピソードのほんの一例で他にも沢山出てきますが、この様に指導者が細かく先回りしないで、結末体験によって、自ら困難乗り越えの力を付けていってもらうのが、アドラー流の自立を目指す教育です。

 

かなり昔の事ですが、楽しく夫婦で懐石料理を楽しんでいた時に、厨房から罵声が聞こえて来た事があります。

 

また、今で言うスキマ・バイトですが、有名ホテルブライダルのハンディビデオ・2カメ撮影をしていた時、ホールのサービス係が集められ、上司が大声で叱りつけているところに出くわした事もあります。

 

厨房での人格否定的な教育は結構耳にしますし、今盛んに報道されているスポーツ界でもそうですが、この様な言葉の暴力はまだいろんな分野で根強く残っていますよね。

 

アドラー心理学で使う勇気づけ技法は、先述の様に、スパルタ、甘やかし、放任の対極にあります。

 

(続く)

 

 

【アドラー心理学と信仰・愛について(対神関係論)・19】

 

一方フランクルは、紀子様の愛読書・世界的ベストセラー「夜と霧」の著者であり、アウシュビッツ等、ナチス収容所に収監された時の事をこの著書に記しています。

 

望みをなくして働けなくなり動物の様になってガス室へ送られて行く人と、過酷な状況でも、ここから出られた後を想像し希望を持って生きる意味を見出し、利他的に動く人の違いを目の当たりにし、自分主体でなく、神から期待される「生きる意味」に気付いて応えていく事の重要性を確信したのです。

 

「私達は生きる意味を問うてはならない。人生こそが問を出しているので、私達は答を出さねばならない存在。」

 

との言葉は有名ですね。

 

人知の及ばない大きな力によってこの世に奇跡的に生を受けたと言う事は、最初から生きる意味が与えられている事になり、この事に感謝しつつ、その意味を、他者から自由になって自分で発見する事が重要との考えです。

 

さて、アドラーの考えに異を唱え離脱していった人との間を取り持つことに失敗して、結局フランクルもアドラーから離れる事になるのですが、理論面等での相違も確かにありました。

 

人間側から利己的な劣等克服と言う形で目的が実現されるとするアドラーに対し、目的である利他的な生きる意味が、外から客観的に問われているとするのがフランクルです。

 

アドラーは力への意思、フランクルは意味への意思ですね。

 

とは言うものの、フランクルは、外つまり神から与えられると言う目的を主張しているにも拘わらず、信仰を持たない人にも自身の心理学を役立てる為、この区分けを曖昧にしてしまっているところもあります。

 

一方、アドラー心理学が目指す理想としての利他的な共同体感覚も、新約聖書の影響が多分に見受けられ、宇宙的な拡がりや信仰を根に持っている事は間違いない様で、これはフランクルが示している生きる意味と違わない様にも思えます。

 

そして、こちらも信仰のありなしに拘わらず幸福に導く事を目指していますので、共同体感覚は当初、社会適合を目指したものと誤解されていた事もありました。

 

実際、応用面で考えますと、多くのクライアントさんやアドラー心理学を学び実践する方達は、技法の取り組みだけで十分目からウロコ、相当なインパクトでもって解決に向かって行く事が可能なのです。

 

ただ、適切な信仰を持っていた方が、より楽に改善が計れると言った事は言えそうです。

 

フランクルの「宿命を超えて、自己を超えて」という著書に載っているインタビューでは、「宗教的な人間は速く楽に意味を見出せる」と語っていて、キリスト教等からの信頼も厚かった様です。

 

それは、実存主義的に、生きる意味に向かって自力克服する際にも、無意識の力をより大きく活かす事ができるからだと思います。

 

つまり、全体的にはもっと宇宙的なスピリチュアルなものも含んだ大風呂敷的なものでもあります。

 

このアドラー心理学が目指す共同体感覚の一つである貢献感等に注目すると、例え利己的な劣等克服が出発点であっても、共同体感覚に根ざした利他的な言動を目指す事で幸福になれるとの考えがあります。

 

つまり、フランクルもアドラーも利他的な貢献感を重視していて目指すところは共通しています。

 

(続く)

 

 

<鉄道動画集>

 

YOU TUBE「スヌーピー1」からご覧下さい。

 

 

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ベストセラー書「嫌われる勇気」で大ブレークを果たしたアドラー心理学では、困難を克服する活力を与える「勇気づけ」をとても大切なものと考えています。


本ブログは、夫婦関係、子育て等の困難から救われた自らの経験を活かす為、幸福を目指すこの心理学の案内役となり、各種ワークショップやカウンセリング等への橋渡しができればとの思いでスタートしました。

また、勇気づいた人の象徴的存在である嵐の活動、旅や趣味の世界等についても合わせて綴っていますので、同好の方にお楽しみ頂けたらと思います。

巻き起こせ!

 

勇気づけの嵐。