大河原家の探査 | 勇気づけの嵐c6217139-08

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勇気づけの嵐

 

<重要なお知らせ>

 

【記事再掲載のご案内】

 

本ブログに移行して来る前の記事を現在時刻で再掲載したところ、多くの方にご覧頂き好評でした。

 

そこで、最初に戻って再々投稿して行きたいと思います。

 

既にご覧頂いている方々には、はなはだくどい事になってしまいますが、続けてすぐに新規の記事を投稿しますので、少々お待ち頂けると有難いです。

 

その際、本記事はオリジナル日付2018年9月20日に変更しこちらの記事一覧に加わって行く事になります。


 

<シリーズ・自由研究ノート>

 

 

【お断り】

 

本シリーズでは、今までのキーワードシリーズと異なり極私的見解が多く含まれて来ますし、にわか学習による誤認もあり得ます。

 

なので、アドラー心理学についても触れている、色メガネを通して書いたエッセイとお読み取り頂ければ有難いと思う次第です。

 

 

【勇気づけの嵐・17】

 

「花より男子2(リターンズ)」に参りますが、CBCでの再放送がありそうなので、ネタバレ注意報です。

 

さて、司の一言で会社の株が暴落します。

 

そのために兄の様に慕っていたケン内田がリストラされ、自殺した…というふりを見せられた為、母親の言うなりになっていた司ですが、そんなケンが偶然生きているところを見つけます。

 

全てを話し謝るケンに対し、その彼の家族の心配をし、「良かった、生きてて良かったよ。ケン」と涙を浮かべ喜んだ司。

 

ケンは「(司は)充分グループのトップに立つ人間です」と母親に告げます。

 

だまされた自分より、相手の事が先に考えられる、共感力のある共同体感覚が育ってます。

 

天才マーケッターのジェイ・エイブラハムさんは「売り上げを伸ばす為の理念、ビジネスの目的は、お客様を守る為にだけ存在する。お客様は買ってくれる人ではなく、守るべき人」と言ってますが、仕事の成功のカギは、自分自分ではなく、正に相手への共感力にあるんですね。

 

岩井俊憲先生も「ニーズ無きところにサプライ無し」とよく言われます。

 

私自身は、営業系の仕事についてはほんのお手伝い程度しかしてなくて、自分が良いと思う商品が何故受け入れられないんだろうとよく悩んだりしましたが、お客様は自分と違った価値観をお持ちなので、押し付けに走ったらアウトですよね。

 

勿論、本業の商品開発の仕事に於いても、技術屋のマスターベーションに陥らないことが肝心なのです。

 

さて、つくしのシーンで印象に残っているのは、自分の大発明を会社が小さいからと言って受け入れてもらえず、崖から飛び降りようとしていた初老の社長に偶然出会って助けてしまうところ。

 

先ず、「飛び降りのシーンを見てしまったら、私の気持ちはどうなるの?」と訴えます。

 

上手い止め方ですが、前にも書きました様に、困難に打ち勝てず、自分の事で一杯一杯になっている勇気欠乏の人は、遺族を始め他の人の迷惑に意識が行かないでしょう。

 

そういう点をしっかり伝えてあげる事は重要です。

 

次に、いかに自分が貧乏であるかをコミカルに語ります。

 

この紳士もつい笑ってしまいますが、ユーモア、笑いは、心身を良い方向に持っていくのに効果絶大です。

 

アドラーの極上のユーモアは「アドラーの思い出」という本でたっぷり味わえますね。

 

そして、自分の家庭の事。

 

「うちのパパはいい加減で情けないけど、すごいのは人の悪口を言わず、いつもありがとうの気持ち。ありがとうは魔法の言葉」と訴えるのです。

 

「ありがとう」については、「【勇気づけの嵐・8】<実例>1)感謝カンゲキ雨嵐」のところで述べている様に、勇気づけの要です。

 

これを聴いた社長は、相手を責めてばかりの自分に気づき、やり直しを決意します。

 

見事な勇気づけですね。

 

後日「次期社長のお力添えをしたい。」と、つくしに凄い恩返しが待っていました。

 

さて、ふとした事故でつくしの記憶をなくし、入院していた司に、海という女が近づいて来ます。

 

記憶を取り戻す事を願っているつくしを、ことごとく邪魔しますが、極めつけは、皆でスキーに行った時、つくしと同じ様にクッキーで気を引こうとして失敗し、ショックで放心状態となったところにつくしが現れ、優紀を見なかったかと聞かれた海は、「忘れ物を取りに山頂のレストランに取りに行った」と嘘をつきます。

 

当然つくしの事、吹雪の中を探しに出かけちゃいました。

 

雰囲気で察した類は海に「あんた何か知ってんでしょ…確実に遭難するよ。」

 

それを聞いた司は飛び出して行き、凍死寸前に助け出したものの、司が高熱に!それがきっかけで思い出します。「牧野、お前が俺の運命の女だ。」

 

このストーリーから、支配で愛は獲得できないというメッセージが強く伝わって来ます。

 

記憶障害を利用する様な不適切まで行かなくても、相手の支配って結構やりがちですね。

 

司の母親もかなり不適切です。

 

共同体感覚はこの様な支配ではなく、横並びの思想から生まれました。

 

北風と太陽の喩え話も同じ事を言ってますね。

 

さて、「ごめんなさい」と泣く海に、「泣いても許されないよ。心から生まれ変わらない限り誰も許さない」と類の厳しい言葉。

 

そうです。

 

アドラー心理学では心から変わる事、つまり言動の変容やライフスタイル(性格)を、必要があれば自ら変えて行き、対人関係の改善を目指します。

 

海の様に人の邪魔や支配をしたり、涙という感情の水力を使って責任を回避するのは、非建設的で勇気づいた行動ではないので、変えて行く必要があるのです。

 

偉そうに共同体感覚を常々語っている私も、実はかなりこれらが不足しています。

 

実践に向けた工夫と実行についてまたご報告できればと思っています。

 

(続く)

 

 

【アドラー心理学と信仰・愛について(対神関係論)・17】

 

<科学と信仰>

 

<信仰、科学等との関係>では、現象学や目的論と絡めて、科学とアドラー心理学のスタンスの違いについて述べました。

 

では、科学と信仰はどんな関係にあるのでしょうか。

 

そもそも、初期の17,8世紀の天才科学者達は、先ず神ありきで、そのご計画としての現象を追求していました。

 

一神教では、自然に神が宿ると考えず、神は宇宙を創造しただけで宇宙そのものには居ないので、人間が科学で解明してきたのですね。

 

科学は技術に応用されて人類に貢献する方向に進めば好ましいのですが、その後、いろいろ分かる事が増えて行くにつれ、これが一人歩きを始め、人間が追求した科学でどんな事も解明でき、どんな困難も解決できると言う、科学万能主義と言うのが広まってきました。

 

もうここには神の姿はなく、人間中心になって来ています。

 

ここで気付くのは、ニーチェの「力への意志」との共通点です。

 

ニーチェは無神論者の立場で実存主義を唱えました。

 

人間中心主義です。

 

また、フロイトも無神論者で、自身の客観原因論的心理学を科学と称していますが、科学は現象から原因を突き止める事が使命ですから、ごもっともですね。

 

二人とも宗教に批判的であった事は既に述べました。

 

一方アドラー心理学は、一般に言う科学とは言えない様です。

 

これまで述べて来た考えからすると、キリスト教等の影響から共同体感覚を導いており、スタンスも二人とは対照的です。

 

一方、科学の方でも、本ブログ「サッカーと漁師と力学」で書いた様に、最近では量子力学が明らかにした事、つまり現象は、人間が追求できる因果関係ではなく確率分布に従い、人間が主観的に意識するまで確定しないという事。

 

そして、大きな不思議な力に支配されている様な、光の粒一つ一つの波動の様な挙動、さらにはDNAの奥深さを解明する研究が進んだ事等で、科学者達の中にも、科学万能主義を排し、神(Something Great)の存在を認めざるを得ないと考えている方が沢山います。

 

神と同様、宇宙全ては永遠に不可知であって、人間の力の過信は禁物だと思います。

 

何れにしましても、100%とは言いませんが、因果関係追究は自分の「知りたい欲」、自分中心な傾向が感じられるのに対し、目的を重視し、コミュニケーション改善等に使うアドラー心理学は、相手中心の傾向がある様に思えるのです。

 

<因果応報説>

 

ここで因果応報説について考えてみます。

 

旧約聖書の「ヨブ記」では、律法を守り道徳的に生活していれば不幸はやって来ないと考える従来の因果応報説に対して、否定的な考えが現れて来ていて、新約聖書、キリスト教へのつながりがあると言われています。

 

因果応報の考え方は、悪行と言う原因で悪果がもたらされるので、善因善果を真理としましょうと、つまり、人間の力が及ぶ原因をコントロールする事で、神を人間が支配し見返りを求めようとする、つまり神の裁きを人間が決めてしまおうとする、人間中心の傲慢でケチくさい考えになっている様に思えます。

 

「<哲学、信仰からの影響>1)劣等克服」で取り上げた、「敬虔に接していれば、神は常に自分に奉仕してくれるという考えに取り付かれている人」は道徳的でありさえすればそれで良しですから、これに通じるものがあります。

 

また、律法で働いてはならないとされていた安息日に、病人を癒していたイエスが糾弾されますが、これも、律法を守るという手段が目的化されてしまい、安息日に死にかけている人を、不信仰が原因なので仕方がないと放っておくという、とんでもない悪弊に気付かなくなっています。

 

人間中心でやる事は、この程度の事なんですね。

 

一方、見返りを期待しない愛を重視する信仰は、人間が作る道徳的な原因と神の働きとを結びつける必要がない訳です。

 

欲動、コンプレックス、トラウマ等の人間内部の原因と症状等の苦しみ、道徳的な律法主義と何が降りかかってくるか分からない大きな力による運命的な事象、どちらも原因論でつなげる事には、無理があって良い結果をもたらしません。

 

それらに囚われず、自ら建設的で無償の愛のある目的を持って生きるアドラー心理学の目的論は、支配的であると同時に回避的な因果応報説とも方向が異なっていますね。

 

(続く)

 

 

<シリーズ・アメブロ過去記事の復刻>

 

名古屋の市政資料館内集会室で開催された岩井俊憲先生の講座。

 

例によって先生方の参加が多く、夜の懇親会では、会社員から一転、教員資格を取られて、荒れた教育現場に飛び込まれた方が、「アドラー心理学を学んでなければ恐ろしくてできた事ではない。」と語っておられたのが印象的でした。

 

さて市政資料館は、本ブログ・ロケの嵐等で「花男2」他、数多くの作品のロケ地になっている事をご紹介していますが、この元裁判所であった建物の写真を載せておきます。


留置場-講座開催の集会室ではありません!

 

復元された法廷

 

外観 花男2の大河原家

 

花男2・メイキングDVDの展示

 

 

<シリーズ・シゴトテツゴトの旅・7>

 

さて、仕事もようやく落ち着き、出勤時刻が遅くなったのを機に、早朝に起き出し、鉄探訪をしました。

 

先ず地図からヤードらしきものを見つけたので、ホテルから東に歩きました。

 

しかし、車両は全く居なくて不発。

 

そのまま線路沿いに北へ向かいます。
 

すると、今度は、本物の高崎貨物駅。

 

大きな警笛音で入換え用の大型DLが盛んに行き来しています。

  


更に北へ向かうと、海を渡る長い橋に出ます。

 

そう、廈門中心部は大きな島なんです。

 

ちょっと質素ですが、道路と鉄道が併走していて、ベネチアに似た雰囲気。

 

海を眺めていると、折しも対岸の本土側から列車がやって来ました。

 

EL牽引の寝台列車の様です。

 

しばし休憩後、少し戻ると、途中からデルタ線を形成し西へレールが延びていたので、そちらへ歩きます。

 

すると、後ろから先程の長距離列車を引いて来た電機が、終着の廈門駅から回送でやって来た様です。

 

また、保線車両らしきものも来て、引き込み線にしては頻繁に通ります。


 

しばらく行くと、駅ではない様ですが、いろんな種類の貨車が溜まっているヤードにたどり着きました。

 

写真が沢山撮れ貨車図鑑ができそうです。

 

入り口にどどーんとあったのは、ロシア製と思しき冷凍機付き冷蔵車編成。

 

タンク車は、日本の様に液体別の色分けでしょうか?

 

コンテナ車もいましたが、日本の様にお盛んではなく、むしろ、さびれた感じさえしましたね。

 

 

整備の遅れでオタオタしてる間に道路輸送にシフトしてしまった感じですね。

 

いろんな形態の貨車が連なった懐かし列車は残っていると思いますが。

 

有蓋車は大きく分けて2タイプある様で、港に居たのと違いずんぐり型。

 

さてその先は、機関区です。

 

と言っても、EL、DLまぜこぜで8両ほど止まってました。

 

官舎の様なものもあり、のんびりムードです。


 

ここで重要ポイント。

 

ここまで、駅と違ってひと気がほとんどなく、許可を得る機会もおとがめもなかったので沢山撮影できましたが、中国には撮り鉄の文化がないので、無許可だと注意を受けたりいろいろ聞かれたりする事があり得ます。

 

対応できる様、充分注意して下さい。

 

また、軍事施設との境界が分かり難いので、知り合いがいないのなら、止めておいた方が無難でしょう。

さて、更にレールは延びていましたが、そろそろ朝食お開きの時刻が近づきますので、南へそれ、ホテルに戻ります。

 

後で地図を見たら、延びている線路の先は、初回に探訪した臨港線に繋がっていました。

 

帰路は、近くに大きな建物もない未舗装道路で懐かしい感じ。

 

途中あった広いバスターミナルも同様で埃っぽかったです。

 

が、そこを曲がると、見覚えのある、あのお掃除おじちゃんの活躍する舗装道路に出くわしました。

 

最初に朝食後の散策でここに来た時、人が一杯北に向かって歩いていたので、駅はない筈なのに何だろうと思ってましたが、謎が解けました。

 

バスターミナルだったんですね。

 

無事ホテルに帰還し、またローストビーフと西瓜をかきこんだのでした。

 

はい、鉄活は以上です。

 

(続く)

 

 

<鉄道動画集>

 

YOU TUBE「スヌーピー1」からご覧下さい。

 

 

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ベストセラー書「嫌われる勇気」で大ブレークを果たしたアドラー心理学では、困難を克服する活力を与える「勇気づけ」をとても大切なものと考えています。


本ブログは、夫婦関係、子育て等の困難から救われた自らの経験を活かす為、幸福を目指すこの心理学の案内役となり、各種ワークショップやカウンセリング等への橋渡しができればとの思いでスタートしました。

また、勇気づいた人の象徴的存在である嵐の活動、旅や趣味の世界等についても合わせて綴っていますので、同好の方にお楽しみ頂けたらと思います。

巻き起こせ!

 

勇気づけの嵐。