勇気づけの嵐
<重要なお知らせ>
【記事再掲載のご案内】
本ブログに移行して来る前の記事を現在時刻で再掲載したところ、多くの方にご覧頂き好評でした。
そこで、最初に戻って再々投稿して行きたいと思います。
既にご覧頂いている方々には、はなはだくどい事になってしまいますが、続けてすぐに新規の記事を投稿しますので、少々お待ち頂けると有難いです。
その際、本記事はオリジナル日付2018年9月10日に変更しこちらの記事一覧に加わって行く事になります。
<日替わり記事>
【SWITCHインタビュー】
ニノさんと現代の魔法使いこと落合陽一准教授とのNHK対談番組。
お互いが聴き役を交代する構成がユニークで楽しめます。
内容も深イイかったです。
アイドルと最先端技術を繰るメディアアーティストを繋いでいたのは...。
自分の為が人の為、共感力、謙虚さを伴う所属感等で、ここでも共同体感覚に関わる話題に満ちあふれていました。
<シリーズ・自由研究ノート>
【お断り】
本シリーズでは、今までのキーワードシリーズと異なり極私的見解が多く含まれて来ますし、にわか学習による誤認もあり得ます。
なので、アドラー心理学についても触れている、色メガネを通して書いたエッセイとお読み取り頂ければ有難いと思う次第です。
【勇気づけの嵐・16】
<実例>
1)花より男子・花より男子2(リターンズ)/主演:松本潤
つい最近CBCで再放送があった「花より男子」に参ります。
庶民の家に生まれた少女牧野つくしが、対立するイケメン・セレブの道明寺司にやがて恋心を抱いていき、幾多の困難を克服していくというストーリー。
司は、アドラーらが指摘していた共同体感覚欠如タイプの典型例でした。
状況としては、仕事一途の親から無視され続けるか、あるいは甘やかされて育てられる事がありました。
その結果、活動性の低い回避的・ゲッティングタイプ(無気力)となり、人からしてもらったり愛されたりする事だけを求める。
一方、活動性が高くなると攻撃的・支配的(関心引き・主導権争い・復讐)となる。
いずれにしても、他人の利益に関心が向かない厄介な人でした。
それが牧野にぶん殴られて変わってきます。
自分だけの利益を大きく超えて人間らしさを自ら選び取る、自立し成長した人間への変化として描かれてましたね。
姉と同じ様に自分に真剣に向き合って殴られた事が効いたんでしょう。
但し、アドラー心理学では暴力は禁じ手です。
スポーツ、教育現場、家庭等に於いて、ニュースのネタに事欠きませんが、操作・支配につながりますし何より犯罪ですから。
これに代わる勇気づけ技法が沢山用意されていますので是非学んでみて下さい。
さてその後母親は、自分が敷いたレールである大財閥の跡継ぎの相手としてふさわしく思えない牧野との間を割こうとして凄い画策を繰り出します。
この様に結婚も含め、親は子供を自分の考えた道に進ませようとする傾向がありますが、この道で子供が不幸になった場合、親は責任が取れるでしょうか?
アドラー流では、子供だけに結末が及ぶ課題に対し、安全上の問題がある場合とか、子供が相談をして来た場合を除いて、親は立入禁止です。
子供が選んだりする手助けをするのに止め、上からの支配は決してしません。
シカゴで学び、日本に本格的にアドラー心理学を持ってきた精神科医の野田俊作先生は、「子供は神からの預かりもので、あなたは保育士。私有物ではないので、ある年になったらお返しすべき。」と語っています。
ところで、司は牧野によく「俺とおまえは運命共同体」と言ってます。
運命共同体、これは「所属する人が繁栄する時も衰亡する時も、運命を共にする組織や団体」という意味でして、櫻井さんは、映画「神様のカルテ」上映会での学生との対話の中で、嵐の事をこの言葉で表しています。
実は、この運命という言葉に、共同体感覚の深い意味が見て取れるので、すごく気になってました。
「【勇気づけの嵐・5】<共同体感覚>」のところでも説明してます様に、人間の言動は、元々劣等克服という目的でなされるという考えから始まりました。
これは、意識・無意識合わさって自己決定、つまり、自分で決めている訳です。
ところが、人間の力は絶対で、自分中心に何でも思ったとおりになるという、傲慢な考えがはびこると、戦争を始めたり、とんでもない事を引き起こしてしまうので、これを正す意味で、理想としての共同体感覚の考えが出てきたと説明しました。
言い換えますと、人間の力ではどうにもできない、運命的なものを受け入れる謙虚さも、必要だと言うことになります。
自分一人の力で生きているのではなく、宇宙的な大きな力に生かされていると考えると、すごく感謝の気持ちが涌いてきます。
実際、地球の今の軌道がずれていたら、私達は存在すら許されないのですから。
アドラーはこう言っています。
「目標のない動きはない。この目標は決して到達される事はない。人間は決して世界の主になる事ができないという考えが浮かんだら、それを奇跡あるいは神の全能の領域へと移し替えなければならない。」
これは、アドラーが初期に強く影響を受けていたニーチェの「力への意志」という思想から、離れていった事を意味しています。
「【勇気づけの嵐・10】4)Ready To Fly」でご紹介しました平静の祈りもこの事をよく表しています。
運命共同体という言葉から、「運命的なものも受け入れる共同体感覚」という事を思い浮かべた次第です。
(続く)
【アドラー心理学と信仰・愛について(対神関係論)・16】
<他の理論と聖書のみ言葉>
前項では、共る同体感覚、聖書のみ言葉、子供の教育の共通性について探って来ました。
ここでは、共同体感覚以外の諸理論や考え方と聖書のみていますかと言葉の共通性をたどっておきたいと思います。
これらの理論は哲学からの影響が大きい様ですが、聖書のみ言葉とのつながりも無視できません。
〔 〕内は第1項にも出てきましたが、「アドラー心理学教科書」に載っている理論の名称です。
〔実存主義〕
・「狭き門より入れ。滅びにいたる門は大きく、その道は広い。」「命にいたる門は狭く、その道は細い。」(マタイ7:13)
人が群がって流れていく様な方向へは行かず、ついやってしまうことをせず、自分の道に進めということ。
実存主義は哲学から来ている理論です。
アドラーは自身の著作「個人心理学講義」の中で、「不適切なライフスタイルの人は、背の低い入り口を通り抜けるのに身をかがめる事を知らないので、何度も頭をぶつけるでしょう」という比喩を用いました。
〔全体論〕
・「もし足が、わたしは手ではないから、からだに属していないと言っても、それで、からだに属さないわけではない。また、もし耳が、わたしは目ではないから、からだに属していないと言っても、それで、からだに属さないわけではない。もしからだ全体が目だとすれば、どこで聞くのか。もし、からだ全体が耳だとすれば、どこでかぐのか。」(第一コリント12:15-17)
神は人の体を全体として調和して働く様に作られたと言ってます。
アドラー心理学でも、心も体も、葛藤なく全体として調和して目的に向かうと考えています。
〔対人関係論〕
・「誰でも高ぶる者は低くされ、へり下る者は高められる」(マタイ23:11)
対人関係に於いては、相手の利害も考慮しないと、決して幸福にはなれません。
主導権争いからは身を引き、場合によっては、自ら、対応の仕方を変えて行くと、高められる事でしょう。
共同体感覚の横並び目線も重要な考え方になります。
〔使用の心理学〕
・「明日の事は思い煩うな」(マタイ6:34)
・「貧しい人々は幸いである。神の国はあなた方のものである」(ルカ6:20-25)
究極のプラス志向です。
「<哲学、信仰からの影響>」のところで、アドラーは「信仰に逃げて、自ら問題解決しない事について、問題だ」と指摘していると述べましたが、聖書の言葉も、神に任せて何もしない事を言っているのではありません。
目標は持った上で、現状がどうにもならないと不安になったり思い悩んだりする時間を、とにかく今できる事をやってみる方に振り向ければ、神が状況を変えて下さると言う意味に考えます。
危機という言葉がありますが、後で考えると、危険の危を機会の機に変えて下さっている事に気づくでしょう。
人は何を持っているかではなく、持っているものをどう使うかを考え実践すると言うのが、アドラー心理学です。
ピンチの時にも、今自分にできる事は何かを考え対処します。
〔現象学〕
・「主を恐れることは智恵のはじめである」(箴言1:7)(ヨブ記28:27-28)
これは旧約ですが、「私たち人間の主観によっては、客観を完璧に認識することは不可能である、と私たちが認めることは、人間の様々なレベルでの確信の成立のはじめである」との解釈が可能です。
又、ここで言っている智恵は、従来の律法、日常的倫理から、より霊的なものに変わってきたと考える事もできます。
つまり、自分と違っている他者の主観を認め、共感する事は、愛で赦す事につながり、「ヨブ記」が示している様に、因果応報に拠らない愛の新約聖書への接近が感じられます。
因みに、聖書の解釈の違い等によって、宗派が分かれても、この現象学を理解できれば、対立は回避できるのではないでしょうか。
現象学も実存主義と同様、哲学から来ている理論ですが、一人一人違っている色眼鏡を認めると、前述しましたが、他人の目で見、耳で聴くと言う〔共感〕ができる様になりますし、敵をも赦す[信頼感]にもつながって来ます。
(続く)
<シリーズ・アメブロ過去記事の復刻>
大野さん、日刊スポーツ・ドラマグランプリ・主演男優賞おめでとうございます。
「鍵のかかった部屋」での長セリフ、壮絶体験だったんですね。
さて、今回も先週の大野さん「さとラジ」から。
係長に昇進したリスナーさんから「自分の意見をなかなか曲げられない」とのご相談。
大ちゃん先ず、
「自分の個性と思って。」と自己肯定感を高める事をお薦めしてから、「色んな人の意見も…取り入れつつ、上手い事、自分の意見、は、バレない様に、こう、貫き通せばいいんじゃないかなっ?ごまかせっ!」
と両方必要である事を言われてます。
ほんとそうですね。
さてここで、ごまかしと言うかその対処法、例によってアドラー流を付け加えさせて頂きます。
先ず上司であろうと、先生であろうと、親であろうと、夫であろうと、100%自分の考えが通らない場合がある事を覚悟しなければなりません。
本ブログで何度も書いている、人それぞれ違うものの見方、価値観、信念、色メガネ、主観を認めなければ対人関係に問題が起きるからです。
現象学と言う哲学でこれが明らかにされていて、アドラー心理学の理論に取り込まれています。
むしろ、相手を赦す事で自分も楽になると言う効用にも注目したいですね。
それから、認め合う事と相手の言うなりになる事は違います。
さて、ではどうするかと言うのが技法として確立していて、勇気づけ勉強会「ELM」等で身に付ける事ができますが、ここではさわりだけご紹介しておきます。
「私」と「あなた」の両方についてそれぞれ「OK」と「not OK」を当てはめた4つの組合せの内、「私OK、あなたもOK」を主張的なさわやか行動とし、これを目指します。
方法として、「~してもらえる?」と言ったお願い口調、「~と思う」と言った意見言葉、感情のコントロールにも繋がる「私」メッセージ等を実習していきます。
こんな言い方では相手の言うなりになってしまうのでは?と不安に思われる方もいらっしゃるかも知れませんが、これが意外にも意見が通ったりするんですね。
イソップ「太陽と北風」のお話を想い出して下さい。
傲慢な主張の仕方をすると、かえって旅人は身構え、事が上手く運ばなくなります。
「ELM」ですが、全国にリーダーがおりますので、お近くで見つかると思います。
(続く)
<シリーズ・シゴトテツゴトの旅・6>
さて、二回目の中国厦門出張では、期間が長かった事もあり、事前に地図をしっかり調べました。
でも、当時地下鉄は有りませんし、市内交通の中心であるバス路線系統の情報はなく、さっぱり分かりません。
今回初日は日曜の昼頃着いたので、ホテルに荷物を置いて、とにかくひたすら駅まで歩きました。
30分以上はかかったでしょうか?
ちょうど到着列車のガード通過が遠くに見えました。
さて、旧駅舎も大きなビルで、中は列車待ちの人、人、人。
間際まで改札しない様でホームはガラガラです。
改札口に女性の係員さんがいたのでカメラを見せて通して頂きました。
ホームの高さは日本と同じタイプです。
2本長距離列車が入っていましたが、質素ながら食堂車も付いてます。
客車内を撮ろうとデッキに入りかけたら、しっかり止められました。
ホームから追い出されなくて良かったですが。
覗きのショットをどうぞ。
構内にいた機関車は長距離用の電機と入換ディーゼルの2形式のみ。
以後、これ以外のタイプの機関車に出会う事はありませんでした。
帰途はさすがにタクシーのお世話になりました。
ちょっと料金が高かった様な気がしましたが、ドアはちゃんと閉まりましたね。
次の休日になり、道路交通に目を向けると、バタバタとうるさい怪しげな貨物自動車に興味を引かれます。
そして、今回はバスにも初乗車。
職場の担当の方がウォルマートでのショッピングに連れて行って下さる事になり、乗り換えをする厦門駅まで、勤務先近くが始発の路線に乗って行きました。
何と、ルートは違いますが、初日に汗をかきつつ歩いた駅まで、1本のバスで行けたんです。
このバスは、ホテルから勤務先まで歩いて行く途中の広場でいつも洗車していたもので、二階建てタイプなので一度乗ってみたいと思っていた正に渡りにバスです。
車内には観光バス並みにTVモニタがあり、「トムとジェリー」に大笑いしているオコチャマにこちらもニンマリ。
我が家にも再放送を録画したビデオがたんまりあるよと、思わず言いたくなってしまいました。
さてこの車両、道は悪くないのに共振して大きな縦揺れに襲われたりしましたが、ナイスビューでしっかり市内観光できました。
その上、厦門駅で乗り換えたバスは誤乗だった様で、おかげで、追加観光を楽しめましたし。
何とかたどり着いたウォルマートはかなり大規模なスーパーで、ワイン等、お土産を安価で沢山ゲットしちゃいました。
さすがに動物はいませんでしたよ。
休日なのに、現地スタッフによる厚遇に謝謝です。
(続く)
<鉄道動画集>
YOU TUBE「スヌーピー1」からご覧下さい。
ベストセラー書「嫌われる勇気」で大ブレークを果たしたアドラー心理学では、困難を克服する活力を与える「勇気づけ」をとても大切なものと考えています。
本ブログは、夫婦関係、子育て等の困難から救われた自らの経験を活かす為、幸福を目指すこの心理学の案内役となり、各種ワークショップやカウンセリング等への橋渡しができればとの思いでスタートしました。
また、勇気づいた人の象徴的存在である嵐の活動、旅や趣味の世界等についても合わせて綴っていますので、同好の方にお楽しみ頂けたらと思います。
巻き起こせ!
勇気づけの嵐。