Paradigm21 Web Editorial

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赤福、オフク餅の統合!?のアニハカランヤ

 
 ◆五期目にも意欲満々だった濱田益嗣(ますたね・70)赤福会長が案の 定、10月末の任期満了を待たず伊勢商工会議所会頭を投げ出さざるを得なくなった。事件に追われたというよりは、気の毒な自作自演の自滅と言っていいかも しれない。一連の事件表面化以来、公の場に一切姿を見せぬまま18日に辞任届けを提出した後、22日の役員改選臨時総会にもあらわれなかった。◆いかに地 方でも、40歳を過ぎたばかりの副会頭と珍しがられたのが1980年、平成五年(93年)の内宮再開発を手土産にした会頭就任が95年。伊勢観光の名物ス ポットとなったミニテーマパーク「おかげ横丁」(有限会社伊勢福)のアイデアで、国土交通省の観光カリスマにも選ばれた地域の顔役だった人である。◆それ にしても意外なほど早くから、「もう赤福は食べられなくなるのか」との声が沸き上がった。ところが、である。とってつけたように、朝日新聞が「赤福似?で "御福餅"好調/名古屋駅地下街売り切れも」(10/23)とそっくり類似品を持ち上げている。もともと名阪国道伊賀サービスエリアの上り下りのように両 社の棲みわけもすすんでいたし、都合のいい代替品がある以上、赤福そのものは痛んでも地域観光へのマイナスはさほど出ていないようだ。◆むしろ、店仕舞い している赤福本店前が撮影名所になって、思いがけぬ人だかりが出来ているのが皮肉である。禊ぎを見計らいメーンの百五銀行の肝煎りによる、赤福と御福餅の ブランド統合構想さえ一部では取り沙汰されているらしい。◆御福餅が保存料にソルビン酸を使っているほかは、ピンク色の包装紙に宇治橋をあしらった見た目 も瓜二つなのにもかかわらず、八個入りの小箱で640円と本家より60円安いのはしおらしいご愛嬌である。一部とはいえ 新幹線の車内販 売でも89年頃まで扱われていたそうだし、花登筐の小説「赤福」ではラ イバルよろしき確執と融和が描かれ、「テレビドラマにもなったんやで」と耳打ちしてくれた人がいた。

 ◆おかげ横丁プロジェクトが、当時の赤福のグループ売り上げ130億円を10億上回り身の丈以上の冒険だったことも忘れられている。光と影のバランス力 学が早くも風化し、成功体験が負の慢心だけを助長してしまった。ただ、意外なほど御同業そっくりさんとの共存には無頓着だったようだし、「ええじゃない か、ええじゃないかええじゃないか、伊勢の名物赤福餅はええじゃないか」と藤田まことさんが歌うCMソングがますますうすら寂しく意味深長になっていた。 ◆地域で勝ち組の旦那らしい懐深さを嫌味なく発揮するには、尋常では収まりつかぬ難しさも問われ続けてきた。アニハカランヤの現実は、追い込みのシナリオ が出来上がっていたかのように、もったいない思考の"まき直し"が糾弾され、むき餡・むき餅の再利用が発覚して万事休す、となってゆく。脇の甘さに乗ぜら れた地元保健所への告発から、わずかひと月の大団円だった。◆日経の「無期限営業禁止処分に/店頭売れ残りを再出荷」(10/19・43面)なる朝刊報道 で、事態はあっけなく最終曲面を迎えた。どうしても農水省リークの匂いが消せないのは致し方なかろう。インターネット上では、昼前には早々と「三百年続い た老舗が30年の偽装で歴史を終えようとしている」(メルマガ『トークに使える日経ネタ』)と囃子たてたし、なぜかNHKも日経に歩調をあわせて当日朝か らヘッドライン扱いに復帰した。◆赤福事件の初期報道を牽引したNHKが、日経に手柄を譲ったとの観測がまことしやかに飛び交った理由がここにある。日付 けがかわるタイミングでウェブサイトに第一報を刻み抜け出した日経に対して、他紙の大半は結局、夕刊まで身動きがとれなかった。いきおい、朝夕刊のはざま でテレビメディアやネット世界が雪崩をうった。せめてもの演出に躍起だった事情をあざ笑うように、当日の昼前に復権を鼻から否定してかかる御託宣に奇妙な 説得力が頭をもたげる。今様について回る悪意なき周到さにも嗤えてきた。◆ただ厳密には、もう一つのスクープ然とした前打ち記事が、締め切り間際の地方紙 を悩ませていた。日経より約三時間早く、前日の午後10時に共同通信が「無期限営業禁止/新たな偽装発覚で三重県」と配信していたのである。こちらは夜半 には一転、加盟各社に事実上の差し替え="廃信"を通知してしまう一幕があったようだ。案の定、日経の朝刊が読まれ出すタイミングを意識した当日朝の共同 電は「営業禁止を通達/処分の期限は設けず」と見事に無期限からトーンダウンしていた。

 ◆両者の決定的違いは日経が農水省調査をうたっているのに対し、共同通信のニュースソースが三重県レベルだったことである。その後に明るみに出た売れ残 りの再利用や、消費期限の改ざんに関しても、三重県が生産資料の廃棄を見抜けなかったというより、農水省との合同調査で官僚の描いたシナリオを押しつけら れた印象がある。◆そして最後は、マスコミらしい大義で重箱の隅をつつきあう。最終曲面の遺漏捜しは、ただでさえ痛め付けられた消費者心理をさらにずたず たにした。いわく「まき直しシステム化/関係者が証言」(10/20)、「大阪工場も営業禁止・売れ残りを再出荷/冷凍保管、実は常温」(10/21)、 「餅の7割再利用/99%焼却覆す」(10/22)、「毎朝口頭で偽装を指示/工場で解凍・再出荷」「当日製造、冷解凍品を記号で分類/社長認める」「再 利用示す書類廃棄/不二家発覚機に」(10/23)。「調査恐れ帳簿焼却/慌てて不正隠し」(10/25)。これでもか、これでもかである。週刊現代にい たってはさらに傑作で、「ニセ日付名菓はまだまだウソてんこ もり/元従業員が重大証言」と捲し立てた。◆泣き出しそうに俯きながら会見で、「これ以上のことはない」。こう濱田典保社長(45)が繰り返していただけ に、危機管理の甘さは蔽いがたかった。もちろん、「この期に及んで薄々しか知らなかった」でかわせるはずもなく、生け贄の哀れと腹をくくりよろしく愚直に 語れば語るほど、オーナー体質の構造疲労だけが剥き出しになった。◆当初、泥をかぶらされそうになった地元伊勢保健所や三重県が、地域事情を突き合わせて 反撃にでた、とまことしやかに解説する事情通までがピエロになったのも嗤うしかない。おもむろに水面下で中央との再折衝を終え、すべからく突き合わせが済 んでいたわけだから、哀れをさそう蟻地獄はさらに無残な見世物となった。今回の赤福をめぐるドタバタがなにより教訓的なのは、イジメの連鎖に通じかねない ニュースの仕掛けであり、無邪気に馴れ合う大義との相克である。

狂ったように大本営報道を煽ったNHKにブーイングの嵐!?

 ◆ともかくもNHKを先頭に、「赤福が製造日表示を偽装/農水省が是正を指示」(10/12)のニュースがワイドショー感覚を煽り立て、またかの食品偽 装事件として走りだしてからは早かった。昨今のニュースの切り口には、「裁量行政の隙をつく」官製立件が少なくない。しかもその「ヒステリー転がし」に一 度はまりこんだら、全ては後の祭り。戦争の時代の非国民連呼と同じ位相に敷衍できる、現代日本社会の負の連鎖である。◆だからこそ、二割が偽物だったとい う農業・食肉機構の名古屋コーチンDNA検査同様、赤福騒動に火をつけたのが農林水産省の発表ものだったのは不思議でも何でもない。しかも、34年間常態 化していたJAS法違反を放置したまま、馴れ合いで手をこまねいてきた行政サイドの責任は棚上げにして鬼の首をとったような"改ざん・偽装"というコトバ の洪水で、またたくまに国民のニュース感性は麻痺していった。◆そもそも発端は、伊勢保健所に「消費期限の過ぎているものを付け替えて売っている」との告 発をうけて、農水省と地元保健所などが9月19日から数回にわたり、本社や営業所の抜き打ち調査に入ったことだった。何のことはない、体のいいタレこみで ある。

 ◆「濱田のオヤジさんは環境派づらして、調子に乗りすぎている」。くすぶってきた不満が表面化したきっかけの一つが、観光客受け入れには「JR参宮線が 大きな阻害要因」と根回しもなく唐突な廃止論を打ち上げた顛末だった。今年二月には「参宮線を廃止して千台規模の駐車場を整備」したいと、赤福が言い出し 困っているという話が聞こえ出し、五月には新聞ネタにもなった。2013年の式年遷宮を前に予想される交通渋滞の緩和策の試案だったせよ、実現の可能性は 低くオヤジの長閑な慢心が、脇に甘さをつかれる一因になった。◆「どんな提案にも異論はつきもの。選挙での集票に関係ない私だからこそ思い切ったことが言 える」。"観光カリスマ"が一人こう悦に入っていたのだから、なるほど手に負えない。昨年春先に近鉄の金城湯池を百も承知で、JR東海が在来線対策の一環 として打ち出した「伊勢路フリー切符」の面子も無視しすぎていた。そうでなくとも、松本正之社長は地元出身で伊勢高校ー名大から旧国鉄入りしたキャリアで ある。昔馴染みの知己も少なくないところへ、講演会にやってきて伊勢市議連から不可解な陳情をうけて愉快なはずがない。それがJRがらみで記事になったの である。◆赤福の転落と軌を一にしたかのように、北海道石屋製菓の「白い恋人」11月製造再開が、ひっそりと10月20日に報じられた。札幌商工会議所副 会頭になっていた石水勲前社長が、市長選で自民推薦候補の後援会長に祭り上げられ、公式スポンサーとしてサッカーのコンサドーレ・運営会社の代表取締役会 長をつとめていたのも意地悪な昔話となった。この符合が単なる偶然だと素直には受け取れない。不二家でも石屋でも講じられなかった「無期限営業停止」を食 品衛生法違反を持ち出して発動したのには、恥をかかされた三重県サイドの意向が色濃く反映されていた。◆この顰みにならうなら、赤福の復活はいかに早くて も書き入れ時をやり過ごした正月明けになる。それにしても土産品の単品売り上げで二番手だった白い恋人の蹉跌を学ばぬままに、今度は全国トップブランドの 赤福が狙い撃ちにあった。これを単なる偶然で片づけてしまうには、どうしても躊躇いがある。

 ◆ある時期までは、せいぜい近鉄の限られた駅売りだったはずが、大量生産=大量消費という手作り菓子の対局に走りだしたところに、二律背反の手作り主義 は時限爆弾を抱えていた。それでも米国牛肉の輸入再開を正当化させながら、不当廉売を詐欺に結びつけたミートホープ事件のデタラメさとは一線を画してい る。その実、比内地鶏ではなかった鳥肉加工パックについてさえ、「ネット注文に応えきる」つくり置きと期限ごまかしが肝心の地鶏云々より指弾を浴びた憾み なしとしない。◆松阪牛ほどではないにしてもIT技術を応用した生産者トレーサビリティーは、あっさり確立してしまった。ここぞとばかり表面化した、比内 地鶏の事件でも生産量を勘案すれば、狭い田舎町で原料不足に疑惑を抱かない関係者はゼロだった。しかし、産地アドバルーン効果を目の当たりにして、彼らも 沈黙を砂上の楼閣にのせた。包装技術や輸送ノウハウは戦後の闇市排除で積み上げられた食品衛生法の弾力運用を可能にしているにもかかわらず、行革に怯える 官のベクトルが明け透けに踊る余地と旨味もそこにあった。◆大義の炙り出しで、世間はかえって目眩ましをくらわされた皮肉がある。多くの関係者が異口同音 に口をそろえるのが、冷凍技術の向上で食品業界を悩ませている「消費期限"まき直し"の横行」という本音と現実である。赤福報道の初期には、テレビ愛知の ローカル経済ニュース・セカンドコールのように、内実は「業界全体の常識だった」と蟷螂の斧を振り上げた向きもあったが、しょせんは目立たぬように黙り込 むしかなくなった。

 ◆ともかくも、冷凍保存は当日製造した餅のみとの社内規定が不器用なほど順守され、梅雨時から10月までの通販自粛も徹底されていた。それだからこそ、 三年前に調査に入っていたヤブへびつつかれた大阪市にしろ、「回収・再利用なし」の前言を一週間後の19日になって翻した三重県と伊勢保健所にしろ、結局 は"食の安全"という大義にスケープゴートを差し出す羽目になった。つまるところ、オヤジさんの慢心が世間から見限られたせいである。◆やはり弱り目に祟 り目。赤福の関連会社であるマスヤのおにぎり煎餅への廃棄餅の流用疑惑が取り沙汰され、地元で"伝説"扱いされてきた事例もネット上で話題になっている。 せんべいの原料は粳米でもち米は使わないとの反論で終息したはずの一件も、同じ子会社である「万寿や」でのむき餡再利用の発覚で逆風が復活しかねない。◆ 地域イデオローグとして赤福が台頭できたのは、衆院議長までつとめた自民党代議士・田村元さんが96年に甥の憲久さんに地盤を譲った政治空白と無関係では ない。建設業界を足場にしたミニ角栄よろしき地域のドン引退の間隙を縫って、観光カリスマへ無邪気なスポットライトがあたっていたのである。◆つまり、規 を超えず調子に乗りすぎなければ、濱田会長のもったいない哲学もまるで違うニュースになっていたろう。その意味で「三つ売るより一つ残すな/会長方針が偽 装出発点」と、斬り込んだ読売(10/24)の冷静さには救われる気がした。もの言えば、いまさら唇寒し。保存料を入れぬ生餡ころ餅の製造には、自ら編み 出した朔日(ついたち)餅の精神こそを、忘れることなく愚直に尊んでしかるべきだった。

 ◆正月をのぞく毎月はじめに、趣向をかえて78年から限定発売してきたのが朔日餅で、十月神無月なら栗餡の栗餅をめざして、真夜中の行列ができてきた。 三時半配布の整理券にありついた客目当てに早朝営業する店があり、朝市までできると吹聴し過ぎたのもメディアの功罪である。当初は店頭で食べるだけのはず が持ち帰りになり、いつのまにか本店に加えて名古屋・大阪など百貨店にある直営店では予約販売までしてきた。もちろんそれに頬かむりをしてしまうのが、い かにもテレビの罪つくりなところである。◆素朴に売れ残りを出さないのなら、売り切れ御免の手作り稼業にだけ撤すればよかった。しかしマス・マーケティン グの誘惑に負ければ、繁忙情報にあわせた目一杯のいびつな生産調整と、「残すな」の理念は不倶戴天の自己矛盾を膨らませるだけとなった。マスコミ操縦の巧 さで知られる鳥羽水族館のビヘイビアを横目にしてしまったのも、不運な巡り合わせの毒となったのは想像にかたくない。

トヨタ 気がつけばガリバー/息つめる爽やかカンバン方式

 ◆「新潟県中越沖地震」被災でトヨタは国内全工場で三日間操業停止を強いられ、一部はその後も停止が続いた。ただ、その間自宅待機の社員は休日扱いにさ れ、もともと休日だった日に振り替え出勤させられた。有休取得を強要されたり、もとから申請していた有休を取り消された社員もいた。◆ただ、非主流労組に すぎない「全トヨタ労働組合」あたりが会社側に撤回を求めてゼロ回答だったと、ネットサイトの市民新聞で噛みつくのも蟷螂の斧以前という気がする。豊田労 基署が「会社に迷惑がかかる」と現場調査にすら踏み込めないのも、当然過ぎて笑うしかない。生産功利主義がトヨタの身上だったのだから、そのヒエラルキー のベクトルを簡単に変えろと言い出す方がどうかしている。◆下手をすれば、ようやく組みあがりかけたジグゾーパズルを床に叩き落としてしまうだけだからで ある。直後の週刊東洋経済で「一週間で再開/被災工場で見たトヨタの現場力」というルポを偶然読んだが、TOYOTAのロゴを背負った現場リーダーが系列 の枠を乗り越え、いかに奮闘し動員されたかが描かれている。◆しかし、なるほど案の定の感想しか出てこなかった。ラインが止まることで生じる溢出利益がい かに図りしれなくても、そこに最強のカンバン方式ゆえの貯金が加味されなければ、国や地域の帳尻はどこかおかしくなってゆく。一時は本田のフィッツに奪わ れた販売台数トップの名目を守るために、やたら何でもカローラを冠した新車を投入してしまう手管などは、弥縫策を承知のうえとはいえGMと肩を並べ抜きさ ろうと目論むトップ企業の哲学を問われてくる。◆たとえば労務に関しては、欧米の現地生産現場にトヨタ方式を安直に押しつけられなかったカイゼンに糸口が ある。いまさらながら学んだノウハウをいかに国内外に定着させるか、カイゼンに終わりはないはずである。テレビCMに露出している真っ赤なカローラ・ルミ オンが、消費者に問いかけているのは、マーケットの多様性でも大人気なさでもない。◆つまるところ、安直な価格競争とは次元の異なる、品質と文化の終わり なき競争を強いられる。ガリバーのジレンマを明るく爽やかに解きほぐすのに、時間をかけすぎても、かけなさすぎてもいけない。

 ◆燃料装置やハンドル不具合を理由に、トヨタが47万台のリコールに踏み切るニュースの扱いが軽すぎるとのブーイングがある。一部ではリコール王などと 気の毒な揶揄もあるが、トヨタの広告量の前に自主規制してしまっているマスコミの見識の方が問題なのではないか。あの戦争の時代を想起してもらいたい。軍 への直言を恫喝だけで、引き下げた。むしろ、検閲や犠牲者が出れば、それなりに国際世論に訴えることも出来た。◆それにトップ企業となった以上、こうした リスクを一番背負う。フォードや日産のコピーまがいをつくっていた時代とは違う。ただ、ニュースの露出の相対的な矮小さは、かえって開発や生産の現場で愚 直に努力しているトヨタマンをがっかりさせかねない。往々にして建前が本音を駆逐してゆくかどうかは問題ではない。タテマエをまもってこそのホンネだとい う逆説の真理にも一日の長はあるはずである。◆山本五十六提督の本音も外交努力の建前も、はじめから手前勝手な牽強付会で封じ込んだ人たちこそが狡猾な本 当の戦犯だった。市民新聞を標榜する『OhmyNews』なるウェブサイトがある。旗振り役のひとりである鳥越俊太郎さんが、外資系生保のガン保険CMに 登場して顰蹙を買ったことでアクセス数が伸びた不思議な事情については、運営資金のために泥かぶったぐらいに考えられないものか、などと高をくくってはい かがだろう。

 ◆ところで、このサイトに知る人ぞ知る、トヨタ社内駅伝に関する詳しい言及がある。気の遠くなるようなネット検索の末に辿りついた関連記事の一つだが、 「利益2兆円生む"プチ北朝鮮”の実態」 というタイトルのいかがわしさの分だけ割り引いても考えさせられた。内容を割愛して紹介しておきたいーー。◆トヨタで働く若手社員から必ず話題にのぼるの が、部対抗の駅伝大会。社内では60年以上の恒例行事で、あらゆる部署から駅伝チームが編成され、米国合弁工場をはじめ世界中トヨタから豊田市に選手が召 集される。社内駅伝の狙いは独自のアイデンティティーと規律の揺りかごにすることだろうし、嘘のような四畳半の独身寮ではプライベートが可能な限り制約さ れている。ネットショッピングさえ時に停職事由になり、カイゼン哲理の要諦を叩き込まれる。◆若手にとっては「なんで東京の会社に就職しなかったんだろ う」の一日となり、追い出されないよう頑張れの企業風土がサラリーを不安感で推し量るような躾けを刷り込んで行く。差がつくのは40代と囁かれ、福利厚生 をはじめ全てが「分かっているだろう」という世界だと気づく。練習までもが、グループ内で自己完結しながら巡り巡るアイデンティティー醸成の道場というし つらえである。◆毎年12月上旬の某休日には、出場のいかんにかかわらず選手を応援する職域総動員のイベントには、二万人ちかい人が集まるらしい。休日出 勤手当てが出ないのはもちろんだが、この日をめざして一年前から手弁当の練習が始まる。「工場は気合いが入っており、駅伝選手は毎日、昼休みに走って鍛え る昼休みの本社のまわりを走っている人が多いでしょう。技術系は実験設備にシャワーがあるが、事務系は汗臭くなるのが困りもの」。◆なぜそこまで頑張るの か、がいかにもトヨタらしい神話を積み上げていくし、どうしても事務系に対抗心をあおられる工場系の頑張りは、駅伝で活躍した期間工の正社員登用などで担 保されている。

 ◆馬力と気魄だけでは、いかに王者に君臨しても風格なき狂える獅子となりかねない。出来そこないの石像からさえ悟り学ぶことはできる。城山三郎さんの 「小説日本銀行」をなぞれえば、豊田家累代の恐るべき几帳面な貪欲さが風化しかけているのを誰も責めることはできまい。いまや相談役になっている奥田碩さ んが、豊田家というのは旗印だという意味深長で不思議な謎かけを披露している。◆財界をはじめ時代や社会と可能な限り隔絶してわが道を突き進んだ頃とは、 世界にも日本にもトヨタは大きくなり過ぎてしまった。それゆえに抱え込んだガリバーの苦悩である。本社のスタッフから開発部門、生産現場にいたるまで、そ れぞれが気の遠くなるような律儀で愚直な努力を積み重ねていることは知っている。問題はそのそれぞれを有機的に機能させるような仕組みが、クルマづくりと いう現場に限られていることではないか。◆ホイジンガーの提唱した"ホモ・ルーデンス"の系譜を引き継ぐモノづくりなら、必ずや資本株式主義の爛熟がもた らした大衆消費社会の今日的迷宮の鍵をこじ開けられるかもしれない。たとえば、金融資本主義がサブプライム問題を世界にリスク分散した挙げ句の出来事は、 石油や商品マーケットに必要以上にダブつかせた名目マネーを不用意に暴れさせただけである。実態経済の千倍では利かないような市場の膨張は外為証拠金取引 の繚乱にも似て、最後は国家レベルのマネーゲームというハルマゲドンが首を擡げはじめている。◆あらゆる局面で名誉ある孤高などありえない今日になって は、乾いたタオルをなお絞るの哲学の理念だけを掬い上げないと、擦り切れてしまうタオルの末路は洒落にならない。

No.304 2007年(平成19年)7月26日【VOL32-7 第4版】

中部21世紀フォーラム月報 INDEX FAX                                       
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  発行/C21F会報編集委員会 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

  ¶今月の話題 ◆三年後の"名古屋開府"四百年を標榜して進められている、名古屋城本丸御殿の復元事業の目玉は、障壁画のレブリカをつくって見世物にしようという困った代物である。空襲で焼失した国宝から難を免れたホンモノがあるから出来る、箱もの行政と心配している人も少なくない。とまれ戦後、建て直した名古屋城じたいが、とても間近では鑑賞に耐えないコンクリートの化け物だということを忘れてもらっては困る。◆街を挙げて狩野派の複製品の是非に無頓着なのも、文化を語る以前の問題ではないか。明治の東京遷都以来、天皇家の住みかになって進んできた江戸城蹂躙プロジェクトは、薩長の意趣返しだったが、いまさら復元しようなどと言い出す人はいない。たしかに、尾張名古屋を城で持っていたらしい。徳川家康が天下人なった後に建てられた旧天守閣だけでも、総床面積が姫路城や江戸城を超える広さだった。◆金鯱をいただいたのも幕府初期の示威行動の一つで、関が原の戦いから15年後に完成した後も、三代将軍家光のために豪華な上洛殿を増築したりしている。しかし、国宝に指定されたのは1930年のことに過ぎず、軍靴の響き高鳴る時代に練兵馬場などに侵食されてきた地元師団本部を、天皇から譲り受けた旧離宮を盾にした反骨の抵抗の影も見て取れる。 ◆ともかくも、松原武久市長の力説する「本丸御殿はすばらしい文化財。市は今、壮大な復元プロジェクトに挑戦している」というロジックは、甚だしい矛盾に満ちている。本丸をコンクリートの偽物で誤魔化しておいて、過去の文化財の模写複製に血道を上げるのはどうかしている。焼け残った障壁画などを空々しい復元御殿にはめ込むのは技術的にも無理なのは承知している。それでもホンモノを展示こその文化である。◆2010年の着工を目指す、総額150億円プロジェクトの哲学も改めて問いたい。国の特別史跡に指定されているため、文化庁にの現状変更の手続きを出したものの、完成当時の忠実な復元には御殿跡の礎石を保存など今年度中答申のハードルは予想外に高い。現存する国宝の二条城二の丸御殿と並ぶ世界的文化財が、やすやすと甦っては戦国時代村も色をなくす。名古屋城天守閣"再建"費用の三分の一が、市民からの寄付金だったのを擬えた算盤勘定も呑気で嗤える。◆構想では本丸御殿の完成後も、防御用の施設だった東北隅櫓や本丸を囲む壁である「多聞」復元を目指すことを公表。二の丸内にある愛知県体育館を城外移転を視野に入れて、広大な跡地に馬場のあった向屋敷まで復元する目論み。またぞろトコロテンの箱もの行政は蔓延る。もともとは本物の金鯱を名古屋城に上げようという好事家の発想が下敷きにあるようだが、コンクリートのレプリカに純金のシャチホコでは余りにも無残なのは誰でも気づく。 ◆いつのまにか市民グループである本丸御殿フォーラムが出来て、会員新春顔見世パーティーなどが新聞でも紹介されていた。世話人は岡谷篤一さんである。たしかに五摂家崩壊のナゴヤに官民あげたアドバルーンはほしい。ここにきて名商と中経連が会員企業から40億円の寄付を募ると表明し、仮に満額が集まればこれまでに市民などから寄せられた17億円と合わせて目標額の五十億円を大きく上回ることになる。◆「2010年度までの四年間で寄付目標額を達成したい」とのたまう松原市長は、来年度に着工、とりあえず開府記念にあわせて玄関の一部を公開する、と慌ただしい。愛知万博の環境思想を受け継ぐ前提で万博剰余金10億円が、上乗せされる見通しもが立つと市議会では、「天然の木を使うことを通じ、木を生み出す山に思いをはせ、自然や環境について考えてもらうきっかけになる」と答弁しているのもいかがなものか。
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¶ニュースの死角  O I !  ◆「与党の大敗予想に日銀ニヤリ」なる見出しを夕刊紙で見かけた。いわく月末にせまった参議院選挙は、年金問題の泥沼化、事務所経費問題などから事前の選挙予想は軒並み与党苦戦のアンケートが出ていた。それを横目に、日銀が笑いを噛み殺しているというのである。日銀は来年三月、福井俊彦総裁の五年の任期が切れる。事情通の下馬評では、後任総裁には財務省出身の武藤敏郎副総裁、副総裁には将来の総裁含みで生え抜きの稲葉延雄理事の昇格が有力視されている。 ◆ただ、日ごろから日銀に強硬姿勢で臨んでいた自民党幹部は「一連の幹部人事案に早くから、いい顔をして来なかった」。水面下の駆け引きはバブル処理の負の遺産に振り回され続けている。円安と裏腹の輸出急増は限界にきているのに、円キャリーなどという歪な取引の急増は、国債利払いを抑えたいだけの財政当局を虚ろに超低金利継続に突き動かしている。◆一部の守旧派大物議員連が日銀の金融政策変更時に強硬な反対論を展開し、日銀の独立性を保障した日銀法の改正まで再三ちらつかせたと言えば、裏事情は呑み込めるはずである。ことさら日銀が警戒したのは「総裁候補として竹中平蔵氏を水面下で推していた」という嗤えない駆け引きに神経をすり減らしていたからである。◆竹中某といえば、閣僚時代にデフレの認識や金融政策運営の手法を巡り、しばしば日銀との意見対立をマスコミにレクチャーし続けたいわくつきの御仁だし、この人には欧米外資の手先との観測がついて回る。「日銀にとっては目の上のたんこぶ的存在」なのである。幸か不幸か、与党惨敗予想が強まるにつれ、与党大物議員の発言力が低下してきたのは単純な引き算にすぎない。◆日銀の組織防衛に追い風が吹いたかどうかはともかく、昨今の金融市場の正義と建前は完全に破綻している。世界のGNPの伸びが前年対比の貿易総額7%増の半分にすぎないのに対し、株価だけは 14%増とバイアスがかかりすぎ膨れ上がった風船のような事態にある。誰も言わず教えないのに、いつまにか年金をめぐるドタバタに紛れてそれが破綻し始めている事実を突き付けられている。敗戦で紙切れになった戦時国債を思い浮べればよい。そして与野党を問わず、国民総背番号制にだけは確実にドライブを切っている。

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SUMMING UP
 ●名古屋港の開港百周年イベントをめぐって奇っ怪な鞘当てが起こっている。大々的な記念事業をうたっている夏休み企画の「アジア発・世界最新/恐竜大陸」は、中日新聞とCBCが主催なだけで共催の記念事業実行委員会というのもタテマエだけらしい。会場のポートメッセなごやを抱える名古屋市は観光コンベンションビューローまで駆り出していながら、ミナトの本丸である名古屋港管理組合のHPからは全く情報が得られない袋小路でしかない。そもそもは本丸御殿復元プロジェクトにからめて、いまさら恐竜のガイコツでもなかろうと調べて行くと、箱もの利権を含めて同床異夢の両者の権益優先ばかりが目立ってくる。困った話である。 ●名証IRエキスポは、今年初めて一般参加者とマスコミやアナリスト連を二日間とも共通に受け入れた。会場に入ったとたん、異変は察せられたものの、いかにも勝手が違いすぎるとの声が少なくなかった。およそ、やる気のなさそうなハケン社員の誘導への反感は、相変わらずエアコンの聞いていない会場の蒸し暑さを助長するばかりだった。この企画が産声を上げた時から尽力してきた、森島康雄・元常務の顔が退任で見えなくなったのも、一つの転機を象徴している気がしてならない。 ●経営統合も視野入れて、三越と伊勢丹が資本提携交渉へ動きだしたニュースには多少の感慨がある。大丸に呑み込まれてアイデンティティーを放棄しようとしている松坂屋との組み合わせとは位相が全く違う。ここは旧東海銀と同じように社史の片隅に名前が残るだけの結果さえ取り沙汰される。社長同士が開成の同窓という縁と取り持ったという観測もあるものの、三井の創業企業と三菱系の台頭企業の組み合わせは、日本的な財閥資本系列がここまで壊れてきた証左か。● 百貨店業界4位の三越が同5位の伊勢丹と資本提携に向けた思惑の気になる。競争激化で業績が低迷する三越は、収益力に優れる伊勢丹と手を組むことで経営をてこ入れする。百貨店の既存店売上高が2006年まで10年連続で前年実績を割り込み市場が萎縮する中で、売上高の単純合計額は1兆5800億円となりスケールメリットをマスコミは喧伝するばかりだが、このまま行けば大丸と松坂屋の新持ち株会社であるJ.フロントリテイリングを抜く業界首位の百貨店が誕生する。●去年六月には西武百貨店とそごうが大手流通グループ「セブン&アイ」の傘下に入ったほか、ことし九月には大丸に松坂屋ホールディングスが身を委ねる。地元で伊勢丹と提携して再浮上をうかがっている名鉄百貨店あたりにも寝耳に水だろうし、丸栄はますます縮小均衡にしか展望はない。大再編時代に入っているという在り来りの解説の影で、株式資本主義の終焉だけが見え隠れする。 ●第三銀行の谷川憲三頭取(64)が、東海四県の六行でつくる第二地銀東海地区協会の会長として「第二地銀の存在意義がかつてないほど問われている。各行がどう将来像を描いていくか。生き残りをかけた戦い」と新聞にコメントを寄せている。九州の県境を越えた地銀再編が蠢き、北陸と北海道の銀行が共同持ち株会社を持つ時代である。第三銀行も旧熊野無尽で昭和42年に松阪に本拠を移した顛末で知られる。三重県名張の大道無尽が発祥の中京や、不良再建処理で旧東海銀が日銀から押しつけられた岐阜の旧相銀二行はUFJが三菱に組み込まれて、ますます不思議な鬼っ子になってしまった。大蔵天下りの指定席になっているにしては、20年以上トップを務めた故三浦道義さん以来、不思議な論客の出るムードがある。その伝統をしてか、「東海でも再編はあり得る」との御託宣。 ●ミサワホーム東海社長に斎藤政行・専務執行役員が昇格という記事を見て、ここでも旧東海銀行の権益は雲散霧消したと納得させられた。津工業高卒のいわば叩き上げで、統合前の三重ミサワホーム入社して、東海三県販社統合で四年前に取締役になったばかりの57歳。産業再生機構の手品でトヨタに軍門に降ってもかつてのオーナー三澤千代治は、訴訟を起こすなど気の毒なばかりである。しかし、宮川公策前社長はミサワホーム近畿社長にシフトさせたり、ミサワホーム東京の竹中宣雄前社長はわずか三年で本体の専務執行役員に戻っている。 ●旭テック社長に石井英夫という人が登場した。旧旭可鍛鉄である。長年、日本ガイシの系列だったこの会社をグーグルアラートからはずしてなかっただけだが、東大工から日産に入った後、ゴーン旋風の洗礼を受けずに転出し、ハネウェル・ジャパンの社長から二年前に顧問で入ってきた。63歳という年齢からすれば、無難な人事なのだろう。●むしろ入交昭一郎取締役共同会長兼社長の社長兼務を解く、という発表の方が目を引いた。本田からセガの社長に昇格したのも束の間、プレイステーションに対するドリームキャスト巻き返しを狙って完敗。結局セガを退社して、個人オフィス「有限会社入交昭一郎」を立ち上げた。わずか一年でゼンリン子会社のゼンリンデータコム取締役やフライシュマン・ヒラード・ジャパンのチーフストラテジストなどタイトルを得て、2003年旭テックの執行役会長に就任していた。●大川功さんの死と前後して、ゼガやその系列に入っていたキョクイチをパチスロのサミーに蹂躙される一つのきっかけをつくった人である。リップルウッドのTOBに森村系の名門が応じた経緯はともかく、本来地味なイメージだったこの会社がいすゞOB社長が一期で馘首されたり、米の同業自動車向け鍛造部品大手を1500億円規模の買収したりと目まぐるしい。                                  ●●●
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 ¶EDITORIAL 夏炉冬扇 
 ▼地震と原発がまたぞろ取り沙汰されているが、やはり視点が違えば様相はガラリと変わる。大小とりまぜて頻発している地震を受けて、この際原子力の電気は要らないという声は出てこない。石油やLNGにシフトさせれば、そのまま地球温暖化の悪者になる。背に腹はかえられず農薬漬けのコメや野菜を口にするような資本主義のアイロニーである。もちろん、かと言って農本主義の時代に戻れなどというオタメゴカシの理想論をかざすつもりもない。▼今頃になって言い出すのも不思議だが、経営ジャーナリズムというものを信用してはいけない。トップにまるで接触しないのも不公平な偏執だが、経営者と同じ視点で企業や世の中を見ていても記者の使命は全うできない。エアコンの効いた応接で彼らと同じソファーに座ってコーヒーでも喫みながら、広報のオタメゴカシに付き合っているだけではどうにもならない。▼内橋克人もこんなことを述懐している。この人は神戸新聞の出身だとは承知していたが、あの『匠の時代』が夕刊フジの連載企画で世に送り出された経緯は知らなかった。無辜の民の視点は、いつも時代に蹂躙され続ける。それに感情移入を排除して共鳴する事実を掬い上げなければ、どうしようもない。花森安治さんではないが、「建前は通すべき。本音とは弱音のこと」なのである。▼中電の浜岡原発は地震対策の優等生で千ガルまで耐えられる態勢を整えている。こうテレビのトーク番組で持ち上げられているが、ここの地盤は「まさに活断層のうえにある」との一部の指摘もムベナルかな、である。安全な戦争も、未来を担保された人生もありえない。この単純な事実に気づくのは簡単だが、向き合わされる頃にたいていは後の祭り。▼大分県臼杵の漁村を襲った大阪セメント誘致に反対する漁村の光景を切り取った『風成の女たち』というドキュメントがある。機動隊に守られて測量を強行しようとする会社側に対して、カザナシの女たちだけがイカダに座わり込んで阻止しようとする。視察に来た市会議員を海に突き落として一斉検挙された苦い経験が、彼女らを排除しようとする機動隊ともみ合い叫ぶ。▼「つくしょおう。つくしょおう。うんな犬か、かかあも子もねえんかあ。つくしょおう、あんまりじゃねえかあ」。たまりかねて助けに行こうとする男たちに、女たちは「とうちゃん来ちゃならんで。来るなえ、来たら思うつぼでえ」。核廃棄物の最終処分場誘致のどたばたでも、組みしても組みしなくても住民の心は割れ渇き続ける。原発立地を断念した芦浜を町ぐるみズタズタにした責任を、中電だけに負わせるのも酷に過ぎる。▼あの戦争の時代でも現在でも、世のヒエラルキーは変わらない。中越沖地震で半日の在庫しかなく操業停止に追い込まれたトヨタで、「一日でも早く遅れを取り戻す」とラインの工員たちは鸚鵡返しに声をそろえる。しかし、カレンダーは神さまの領域のはずである。  
   ▼実は先月号で取り上げた東海東京証券の株主総会のナゴヤ回帰と前後して、奥村雅英さんの母上が亡くなられていた。ご本人の頑なな希望を受け入れざるを得なかった会社サイドとしては、情報管理が出来ている見るべきかもしれない。ただ、遅れ馳せにでも事後の新聞へのリリースをやっておかないと、奥村さん自身が年賀状拝辞の挨拶を振り回して「意地を張り過ぎたか」と苦笑しなくてはならなくなるとお節介を焼いてしまった。▼旧東海の役員関連の訃報に三菱UFJが冷淡だという証だし、結果としてその人脈は水面下にもぐってしまった。一昔前なら、どうしてもこうは行かなかったろうし、やり手の広報が「どこかから話が洩れて収拾がつかない。少し前に鬼籍に入られた御尊父の時と同じだとの野次もあるにせよ、実はこの人は30年も闘われた安八・墨俣水害訴訟の原告団のリーダー格をつとめた律儀の人生だったという事情も見え隠れする。見えない身近でも、カザナシの哀歌は歌われていた。(す)
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 中部21世紀フォーラムのメーンセッションの一つである『フォーラム21』の月例会は第四木曜日開催を原則にしており、とくにご要望がない限り変更はございません。したがって来月のスケジュールは7月28日です。例会場のAPAホテル名古屋錦(旧名古屋不二パークホテル052ー962ー2289)5F 「錦の間」にて、午後6時半より二時間程度を予定しております。お問い合わせなどは、 Eメール c21f@web.co.jp、または菅澤正雄事務所(052-303-2062・携帯電話090ー8150ー9782)までご連絡下さい。なお、弊フォーラム・公式ホームページ『Paradigm21・Web』に未掲載の月報は http://c21f.exblog.jp/ にて仮公開させていただいておりますほか、ミラーサイト http://blog.goo.ne.jp/c21f  http://ameblo.jp/c21f/ http://c21f.blog56.fc2.com/ http: //blog.livedoor.jp/c21f/も稼働を始めました。【Paradigm21は、民間オンブズマンとして会員への言論啓蒙だけを目的としています。世論形成をめざしたモニター配信は、事務局と各委員会の諮問にもとづき決定されております/ 表題のパラダイムとは、世の中の規範や枠組みを意味し、その変化を表す言葉です】       

ニュース報道のカンバン方式化へのおぞましき危惧

一年を振り返って目立ったのは、
ニュース報道のカンバン方式化に
マスコミが飲み込まれてしまったことである。

本来の記者の仕事は情報の蓄積のうえで、
目前のニュースに切り口を与えるものだが、
ほぼ一年で配転を繰り返す記者クラブ要員に象徴されるように、
いまの現場は発表ものやニュースリリースを焼き直し、
情報の在庫が空のまま時間との競争だけを迫られる。

ラインを流れてくる事象を紙面に貼り付け、
テレビで垂れ流すだけになってしまうのを責められない。
事情通の記者をつくらないのは、

マスコミの営業戦略にかなった安逸を担保するからである。
だからこそ、ますます鼎の軽重など構っておられず、
目先のニュースめがけて各社いっせいに走り続けるしかできない。

前回の総選挙が嚆矢をはなって、
構造改革=郵政民営化だけを争点に祭り上げ、
誰が賛成か反対かを喧伝した。
この単純さと分かりやすさの危うさは、言うまでもない。

"運が悪い"飲酒運転狩りからイジメ報道、
タウンミーティングのやらせ騒動や税金無駄使いまで
全国から同じ事例を掻き集めて、
従来ならベタ記事もならなかったようなケースを事件化する。
相変わらずなのは、
責任の所在が曖昧さに閉じ込められて、
メディアのヒステリーが風化するのを待っている。
予算編成や交付金算定の最中に槍玉に上げられた
石原都知事も気の毒だが、
やらせで公聴会さえ満足に開かずに
教育再生論議が進んでいるのは不気味である。

 政局もマスメディアも
戦前の大政翼賛のような
時代のうねりに呑み込まれてようとしてはいないか。
教育への国策グリップが強まるのも、考えものである。
夫や息子を召集された庶民の多くは建前の勇ましさとは裏腹に、
弾があたらないように逃げろと送り出した。
大人たちの本音を咎めたのは、学校で洗脳された子供たちだった。
それを教える教員たちも建前だけで、無邪気に愛国を煽った。
隣り組以上に国民監視のツールに子供たちを仕立て上げる。
ヒトラーユーゲントやポルポト派の悲劇もここからはじまった。

おしなべて日本人は強きを援け、弱きを挫く。
日和見は生き残る猿知恵だが、
歴史までを為政者に都合よく書き換えてしまう。
名古屋で突然変異のように台頭した
トヨタのビヘイビアも同じからくりである。
裏切り者扱いだったはずが杉原千畝が日本外交の金字塔だったり、
白州次郎の異端の才覚をにわかに誉めそやす。
彼らがサムライだったことは言をまたないにせよ、
それを換骨奪胎して利用する狡さには虫唾が走る。

 山崎正和さんがこんなことを言っている。
---国の豊かさとは「人間」である。
昔からそうではあったのだが、今ここに来て特にそうである。
そして、この場合の「人間」の意味が、
「指先の器用さ」から、今はやや「頭」の方に移ってきた。
その頭の豊かさの中に、
狭義の「知力」と「情操力」と両方がある。
国力というものを考えた場合は、やはり「知力」。
知的発信力が最大の中心である。
日本が今強いと言われているアニメ・ゲームなどの
感性的なものを無視するつもりはないが、科学技術の発信や、
人文科学だったら理念の提唱といった知力のほうが大事である。


 郵政反対議員復党について、転向を指弾する向きがある。
これまた日本的日和見を歪曲した不毛の議論である。
たしかに理屈ではあるものの、その実、
岐阜の野田聖子代議士の地元有力者の大半は
利害関係の少ない政策などに興味を示さない。
しょせんは野田卯一の孫だから、その地盤の後継者として応援している。

 ノンポリ無党派をワイドショー感覚で裏切りだとか、
煽り立てるメディアがいても、
後援者には利害以外の違和感は存在しない。
それは岡山でサムライを気取る平沼騏一郎の養子孫も同じである。

NO.296 2006年(平成18年)10月26日【VOL31-10 第5版】

中部21世紀フォーラム月報 INDEX FAX                                        

◆◆◆◆◆
発行/C21F会報編集委員会 代表世話人/ジャーナリスト 菅澤正雄
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¶今月の話題
 ◆三菱UFJフィナンシャル・グループ傘下のリース会社、ダイヤモンドリースとUFJセントラルリースが、来年一月に合併する。売上高の合計は一兆円を超え業界トップクラスに躍り出るものの、これで旧東海銀行の系列会社が冠していたセントラルを名乗る会社は、信販のセントラルファイナンスだけとなる。◆そもそもここは東海東京証券と同じく、UFJグループ誕生以来のの鬼っ子的存在で、新幹線予約カードで親密なJR東海などとの資本政策見直しを迫られている。DCカードとUFJニコスの統合など、系列会社再編を進めている一環だが、東銀リースを棚上げにした対等合併は次のカードを切るための弥縫策とみるべきだろう。◆旧ミリオンを母体にしたUFJカードと旧日本信販の統合は、金融庁と信販会社を束ねる経産省という省際の壁を超えた合併劇として注目されたのも束の間、今度は旧三菱系直系の消費者金融もどきであるDCキャッシュワンがセブンイレブンの店舗網を間借りする引き出し手数料の無料化に動きだしている。ユニーが東京スター銀行や大垣共立・三重と組んで先行した"ゼロバンク"に、手数料見直しを迫りながらの荒ら業である。◆リース業界は、三井住友フィナンシャルグループと住友商事グループが、両社のグループ傘下のリース子会社、自動車リース子会社を来年10月に統合すると発表したばかりだが、リースをめぐっては企業のリース設備を会計上、資産として扱う方向で制度変更の議論が進んでいる。◆実現すれば、経営を身軽にできるリース活用の利点が失われるため、大手企業取り引きの上位グループの再編は必至だった。銀行の代理店業務への進出なども同じ事情を反映しているわけだ。前三月期の連結売上高は、ダイヤモンドリース5241億円、UFJセントラルリースが5090億円で統合後は一兆円を超えるし、現在トップのオリックス9478億円も抜きさる。三井住友銀リースと住商リースの合併も売上高一兆円を視野に入れている。

 ◆東海銀行人脈で、数少ない生き残りトップだった田中一好さんは会長に退くが、二本社制を敷く名古屋本社代表ということになれば、経営中枢からは一気に外れてゆくしかない。そういえば、グループ基幹会社のトップになった三菱UFJ証券の青木広久社長についても、CEOは会長に握られて肩身の狭い思いをしているといった嘆き節も聞こえている。◆首都圏企業開拓のツールだった「わかば会」主要10社のメンバーとして、故出光佐三翁が旧東海を「親銀行」と呼びならわしていたことが、社員教育に使われる社史ではいまも紹介されている。こうした親近感に多くの東海OBたちが、邪険に無頓着なのは言語道断だと、出光興産の株式公開にからめて以前に言及したことがある。なるほどの案の定というべきか、右顧左眄の頬かむりをするばかりの優柔不断が、今日の東海銀行消滅というテイタラクを招いた。このことだけは肝に銘じてもらいたい。◆仮に中京財界というものが、今後も機能してゆく上でもっとも心配なのが歴史の寸断である。県境をこえるとニュースがあっさり消えてしまうような情報の手品が、三菱UFJとなった旧東海銀行ではある世代を境に巻き起こっている。◆「ずいぶん古い話ですね」「知りませんでした」と愛想を振り巻いてもその実、知らないのが悪いか、何の役に立つのだという居直りが透けて見える。ただ、中日が日本シリーズでいとも簡単に負けてしまったのも、五摂家の時代に比べてはるかに地域のチカラが衰えているからだと思えてならない。地域球団のタテマエを嘲笑うかのように、今年からユニホームに中日新聞を縫い込んだのも田舎臭い猿知恵である。

 ◆しかし、いかに歴史の放棄や改竄に走っても、企業も個人もそれから解放されることはない。それほどに旧東海が睥睨してきた地域間交流と人脈は抜きん出ていた。鹿鳴館の仮装舞踏外交のパロディーよろしく文明開化を謳った明治の維新が、内実では旧幕府のスキームを踏襲せざるを得なかった皮肉を考えてもらいたい。文化大革命や廃仏毀釈のようなヒステリーの狂気を免れて、日本の精神文化は受け継がれてきた。時代ベクトルの矮小さにかかわらず、企業や経済も同じ穴のムジナである。◆企業の多くが無責任なリストラに走った以上、追い詰めれた個人が自分さえよければそれでいい、今がよければそれでいいと、刹那主義に逃げを打つのを責められない。ただ、リストラといいカンバン方式といい、その欠点を有り体に喩えれば、手前勝手な尺度で仕分けしたゴミを、他人の門前に捨ててしまう破廉恥なのである。◆在庫を取引先や公道にばら撒き、余剰人員と称する縮小均衡を強いられた悲喜劇は、世の中をすっかり罵りあうことに鈍感にさせてしまったのはムベナルかな。リストラを免れたしわ寄せが過労死という社会問題になれば、今度は合法的に管理職の残業代をなくしてしまう荒業の便法が法制化されようとしている。◆本体の業績好調を尻目に、ユニーが自らの信用で取引先などに会員権を売り込んだユーグリーン中津川ゴルフ場の民事再生が失笑を買ったのもそのためだし、何もなかったように女子プロの冠トーナメントを続けている鉄面皮も、銀行というお目付け役不在の裏返しなのだろうか。しかし、会長の鈴木郁雄さんは広報も経験した東海OBである。

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 ◆先月号で取り上げた裁量主義について多くの投書メールが寄せられている。本来、体制的他者依存を前提とした日本の原理は、戦後の占領軍がチョコレートと同じように、無邪気にくれてよこした自由と個人主義の履き違えに蒙昧してきた。自己裁量のモザイクが不思議な恥知らずの風潮を蔓延させてしまったのである。何かにつけ、好き放題だけをあげつらい、うるさい文句があるのか、と倫理そこのけのミーイズムだけをぶんぶん振り回す。◆若者たちにもかねてヤンキーとか暴走族と言われるはぐれ者はいた。それが無軌道な世相の行動原理となり、壮年・熟年世代にも押し寄せている。あたかも戦争を知らない子供たちは、戦争を忘れた亡者の群れとなって、子育て・教育の民主的個人主義を誤解した。規制緩和を先導したサッカーの流行も、茶髪だけを一気に蔓延させて社会の底辺をを殺伐とさせてしまった。にわかに潤っているビゲン・ホーユーも、誠に罪作りである。ビゲンが美髪だったのを、誰も知らなくなったのと同じ死角だろうか。

 ◆そもそも、狩猟民族の戦争の名残りであるサッカーは、勝ったものが敵の首を蹴り回して笑い転げる残酷さを歴史的に秘めている。もちろん、あらゆる局面でグローバリズムという欧米仕込みの格差社会のシステムが入り込み、農耕民族のまったりとした仲良しごっこはますます不能命題になってきた。◆バックから学歴までブランドに群がる社会の有り様も、要は周囲を蝕む不平等感への焦燥や希望のなさの裏返しである。パチンコという下品な賭博行為もサラ金も、百貨店のブランド売り場も位相の変わらぬニワトリかタマゴかにすぎない。こういう情緒的弁明は日本人一流のずるさで、大衆消費社会の成熟をにらんで山崎正和さんが提唱した柔らかい個人主義は、およそ丸山真男さんと同じ蹉跌を繰り返しつつある。

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¶ニュースの死角  O I ! 
 ◆格差社会という言葉がいつのまにか時代のキーワードに仕立てられてしまった。ライブドアにせよ村上ファンドにせよ、資本主義の爛熟を見透かしたような他人資本を掻き集めての経済テロは、欧米モデルの都合のいい摘み食いの隘路である。◆狩猟民族と農耕民族とでは、社会の安全弁がまったく異なる。いかに和魂洋才とかで換骨奪胎しても、飢饉に襲われれば押しなべて国中が腹をすかし、雨乞いのお祓いが政治の要諦だった国民性であることを忘れてもらっては困る。そうなれば責任の一切はヤオヨロズの神々もしかないのである。◆少数単位のチームワークで狩りにいそしむ本能をもった民族は、運不運以上にリーダーの才覚手腕で成果が違って当たり前となる。一方で、自然への畏怖と互恵思想でなりたってきたこの国では、仏教や儒教をベースにした社会規範を廃仏毀釈の国策文化テロで、明治維新の万機公論を成就させようとした。なるほど神道ほど手前勝手に融通の利くおぞましい代物は珍しい。

 ◆吉田松陰の仕込んだ国策遺伝子と言える朝鮮半島・満州併合論にしても、五族協和や大東亜共栄圏のパノラマモデルももともとはムラ社会の膨張の延長線上で本気で考えた人たちがいたはずである。しかし、面倒で効率の悪い建前を駆逐する便法が、あの民族ナショナリズムだった。自尊心をくすぐりスケープゴートを標的にさせる、虐めの国策プロパガンダは、ガス抜きをかねたナチスの手練手管と何もかわらない。◆南京虐殺論議はあっても、大局で日本人を救ったのは血を見るのが苦手な農耕民族のDNAだったのではないか。それにしても、南京と姉妹都市提携を結ぶという無定見な壮挙に及んだ割には、名古屋はこの問題についてまるで頬かむりをしすぎている。

 ◆市場間競争と称して公開基準のハードルを下げ続け、無頼漢のような企業まで上場会社のメリットだけを享受しようとする。これでは資本市場じたいが、ダイエー破綻の二の舞にならざるを得ない。"チカラの論理"だけで何をやってよいわけではないにもかかわらず、功利主義の世相は死ぬまで止められないサルのマスターベーションの咎めを背負っている。欧米社会にあっては、プロテスタンティズムのようなキリスト教的契約の思想がセーフガードとなってきた。マルクス自らがマルクス主義者でないと喝破したごとき、マックス・ウェーヴァーの指摘したカラクリである。◆産業興廃の鏡としてそれなりの世代交代はあってしかるべきだが、戦争末期の特攻要員の粗製濫造のような盲目のテイタラクは株式市場の自殺行為である。よくよく考えてみれば、上場会社の値打ちもすっかり色褪せてしまった。◆通信業界で規制緩和の旗手のような持ち上げられ方をしている孫正義さんにしても、ヤフーを有数のプロバイダーに育て上げたのは間違いない。しかし、いつの間にか街中に目立ち始めたソフトバンク携帯電話の白い看板は、国民資産だったはずの旧国鉄の通信インフラを転用した日本テレコムが英ボーダフォンに叩き売られ、米投資会社のリップルウッドを介して外資の傀儡との陰口がある在日韓国人三世の孫さんが手に入れた因縁を忘れてもらっては困る。

 ◆アメリカ留学中の1979年、音声機能付き多言語自動翻訳機を売り込み当時シャープ専務の佐々木正から得た一億円を元手に、米国でソフトウェア開発会社の「Unison World」を設立したのが彼のビジネスキャリアのスタートだったし、その翌年カリフォルニア大学バークレー校を卒業して帰国と同時に、福岡にコンピュータ卸売り事業の「ユニソン・ワールド」、翌81年には「日本ソフトバンク」を旗揚げした。◆しかし、若きやり手が83年に慢性肝炎で入院し社長を退き会長となった前後に、今日のごとき草臥れたアンパンマンのような風貌になるほど資本の圧力では苦労している。またぞろ怪しげな横文字の番号ポータビリティーで料金競争を仕掛けるのはいいとしても、通信インフラの能力保証のないまま繋がらない携帯電話を売りまくりかねない賭けに、消費者をつき合わせているだけではないのか。◆規制緩和と民営化の目くらましのドサクサに紛れて、ドコモが年末の通信制限を当たり前のように利用者に押し付け、NTT西日本の光IP電話が処理能力不足を言い訳に同じことをしでかす。くだくだ都合のいい常識を世間に蔓延らせた責任はどこにあるのか、よく考えてもらいたい。

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¶SUMMING UP 
 ●新幹線の乗降客についても名古屋が大阪を抜いたが、東京ー大阪は航空便の利用も少なくなく絶対評価はむずかしい。三月のダイヤ改正で名古屋から博多への直通のぞみは10往復増の一日上下55本の27往復、携帯電話やパソコンによる予約サービスカードの適用範囲もJR西日本と共同で博多まで拡げた。●国交省の旅客地域流動調査でも名古屋-福岡間の輸送機関分担率は2004年度まで航空が70%前後を占めていたものの、航空会社の独自調査では今年四月に航空シェアが55%に低下したとのデータがある。そこで持ち上がったのが新幹線対抗戦略で、セントレア開港にあわせた名鉄特急とのダイヤ調整以来の仕掛けとなる。全日空は年末需要を見越して12月から中空福岡線を、現在の一日13往復から14往復に増便するが、中身となると中部発午後1時と福岡発午後3時の便を賄うのは定員74人乗りのプロペラ機というから呆れる。●空き時間帯を埋め、日中ほぼ毎時一便の運航体制とアドバルーンを上げるには御粗末すぎる。毎時二本走らせているのぞみとの差を少しでも縮める目論みは、鉄道アクセスの成否にかかっている。一方、日航は中部-福岡線を一日8往復から6往復に減らし、名古屋空港発着の福岡線を5往復新設する。ただ、50人乗りの小型機を使用するとのニュースリリースには唖然としてしまった。さらに、お粗末なのは中空の対応で、定期便一元化に反すると国交省への提訴をニュースリリースする大人げなさは爆笑ものである。

 ●JR東海の脅威にさらされている名鉄が、全車特別車の廃止を決めた。犬山線や河和線など競合のすくない路線で運行している全席有料(350円)の快速特急・特急について、来夏から2008年度までに順次廃止し、乗車券だけで乗れる一般車も連結した「一部特別車」へ切り替える。もちろん看板路線に様変わりした中空へのアクセス特急ミュースカイは例外と逃げている。●木下栄一郎社長は40年ぶりの政策の大転換とばかりに「お客さまの要望に応えた」と強調するものの、内実は苦しい。今回の措置にともなう減収は通勤時間帯を中心に九億円前後にのぼり、「ただちにカバーできない。利便性の向上で利用者増を期待している」との本音も洩れている。●不可解なのは今年五月末、初の値下げを公表した瀬戸線一部と豊田線と同じタイミングでアドバルーンをあげた往復座席指定1か月定期との整合性である。名鉄というのは不思議であなどりがたい存在感があって、阪急と阪神が合併してようやく500億円ほど離されて業界三位から四位となるに過ぎない。

 ●47階建ててとはいうものの、実態は42階というべきミッドランドスクエア最上階の展望スペースは、ガラスと鉄骨で囲った張りぼてでかさ上げした吹き抜けでしかない。JRタワーズより二メートルだけ高くした中部一は、やはり陳腐にすぎるし王者の風格にも欠ける。つまり44ー46階のスカイプロムナードとは、カラ空の散歩。「風を体感しながら回遊するオアシス空間。高さ220mからのパノラマビュー」との宣伝文句もどこかしっくりこない。

 ●関西と福岡両商品取引所の合併合が決まり、中部・大阪両商品取引所が来年一月に合併して新取引所に移行する時点で、今年初めに七つあった取引所は、東京工業品と東京穀物商品とを合わせ四つに集約される。そもそも、昨秋の横浜商取による東穀への合併申し入れで火がついた国内商取の再編だが、関係者からは「取引所は東京の二所で十分」との声も漏れる。東京だけで十分の声はますます強まってきた。●昨年五月の投資家保護を主眼にした商品取引所法改正を機に、商品取引会社の営業を厳しく規制したことがグローバリー事件の背景にあった。取引高を大きく減らした各社が、重複上場の選別に走り、国内産品に限られたりする地方取引所から次々に脱退して財務基盤の弱い大阪や福岡の運営難に追い打ちを掛けた。しかし、問題はここにも金融と同じ外資のが影がちらついていることである。来年施行される金融商品取引法をめぐる先の国会審議では、商品先物業界のトラブルの多さだけがやり玉に挙がった。●証券免許制と同じようにドンブリ勘定の不透明な営業が許されなくなった商品取引会社は淘汰を余儀なくされているし、取引所再編論が再び持ち上がる公算は大きい。いまやニューヨーク証取が株式の持ち合いを軸にした業務提携を持ちかけるご時勢である。遠隔地合併のモデルが完成しつつあるなかで、沙汰止みになっていた名証の統合存廃にも飛び火する可能性も視野に入れておかねばなるまい。                                  ●●●

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¶EDITORIAL 夏炉冬扇

 ▼官舎や恩給なる明治の遺産も、何時の間にか死語になった。おしなべてマスコミの公務員叩きには、必ず同じ官僚同士の勢力均衡が崩れたリーク合戦が背後にある。クライアントである企業は攻撃しづらくとも、役人なら代わりが出てくる。困ったら官を締め上げるのはメディアの常道である。まさに暗い蟻よろしく、マスコミ自らの高給や使い放題のタクシーチケットなどには言及しない。

▼ニュースの仕組みは農耕民族ベクトルの減点主義のまま、見せかけの得点主義に走れば、相手の足をすくうしかなくなる。検察や警察の組織などその典型だし、リーク目当ての運命共同体の新聞テレビの報道マンに自己裁量の余地などない。事態が表面化すれば、一斉に鼻先のニンジンを追うように重箱の隅だけをつつく。昨今のイジメ報道にしても、被害者と隠蔽主義の教員とのせめぎ合いの視点以外は、メディアは見て見ぬふりをしてきた。長銀破綻前の取りつけ騒ぎに沈黙したのと同じ萎縮である。

▼結果として、常に臭いものにフタ報道を牛耳ってきた中央官僚や政治家が、本気で動き出したポーズをとっているのは、安倍新政権が教育再生を掲げているからだと、素直に受け止めるわけにはいかない。野党の合従連衡による体制翼賛的な右傾化は、戦前と同じ教育への国策グリップを強める絶好の機会である。だからこそ、もともと水面下にあったダメ教員なぞを炙り出して、教育現場から日教組のDNAを一気に駆逐しようとしているのではないか。教育基本法改編が、イジメや履修不足に感情的に煽られ、本質論議は雲散霧消した事実は重たい。

▼それでなくとも世間知らずの安穏を謳歌してきた現場は、教員免許更新制論議だけでパニックになっていた。いよいよ正義が行なわれるといった甘たるい共同幻想は、北部産業資本の謀略だった南北戦争を奴隷解放の美談に摩り替えてしまったお上品な手品に似ている。新聞テレビを挙げて、笑えるばかりの付和雷同の挙げ句に、日の丸・君が代論議を嚆矢にした狂おしい教育統制復権が産声を上げはじめたのである。願わくば、目を凝らしてこの死角を見逃さないでいただきたい。

▼自民党の中川昭一政調会長は毎日新聞のインタビュー(10/23)で、教員免許の更新制度に関連して「日教組の一部活動家は教育基本法改正反対のデモで騒音をまき散らしている」としたうえで「下品なやり方では生徒たちに先生と呼ばれる資格はない。免許はく奪だ」と公言している。受験シフトの弊害と喧伝されている履修不足報道も、内実は日教組拠点校の多い地方名門公立高校への警告だと受けとめる向きがある。

▼どうやらリストラの洗礼に怯え続けた団塊世代の大量リタイアは、敗戦と占領軍がもたらした安保世代の矛盾した良識まで一掃しかねない。朝日新聞のテレビ広告がのたまう「言葉の力を信じている」とかいう、営利的組織防衛の落とし穴である。(す)

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 中部21世紀フォーラムのメーンセッションの一つである『フォーラム21』の月例会は第四木曜日開催を原則にしており、とくにご要望がない限り変更はございません。ただ、来月は祝日にあたるため、今月同様翌日の11月24日金曜日となります。例会場のAPAホテル 名古屋錦(旧名古屋不二パークホテル052ー962ー2289)5F「錦の間」にて、午後6時半より二 時間程度を予定しております。お問い合わせなどは、 Eメール c21f@web.co.jp、または菅澤正雄事務所(052-303-2062・携帯電話090ー8150ー9782)までご連絡下さい。なお、弊フォーラム・公式ホームページ『Paradigm21・Web』に未掲載の月報は http://c21f.exblog.jp/ にて仮公開させていただいておりますほか、ミラーサイト http://blog.goo.ne.jp/c21f  http://ameblo.jp/c21f/ http://c21f.blog56.fc2.com/ http://blog.livedoor.jp/c21f/も稼働を始めました。

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ようやく公開できる可哀そうな問題の『Paradigm21』290号

中部21世紀フォーラム月報 INDEX FAX                              

NO.290 2006年(平成18年)4月27日【VOL31-4 第12版】
         ◆◆◆◆◆ 
4月末にフォーラム21例会で資料配布してから、ようやく公開できる問題の290号
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今月の話題
 ◆来春にはトヨタの国際営業部など1000人が名古屋に本拠を移し、最終的には3500人の大移動を前提にした47階建ての豊田・毎日ビルが姿を現してきた。中部地方と「日本の中心」を意味する"ミッドランド"スクエアの命名も経団連会長会社を譲ってもなお、殿様奸策よろしき図太さである。それを直感だけで「安っぽいカラスのねぐらを思わせる」と書いたのは、慶事に不似合いな不調法だったかもしれない。ともかくも、あずかり知らぬ様相で"カラスのねぐら"論をめぐる不毛の隔靴掻痒が振り撒かれてしまったのには当惑している。
◆四月号の初版を月例会で配布したあと、第12版確定稿を配信するまでに五か月以上かけてしまった。当時、ようやく一段落して遅れていた東京出張へ出かけている間に、電話やメールの洪水に見舞われた。朝日新聞名古屋版のローカル企画である「東海ビジネスマガジン/Weekend Report」に「世界見据える司令塔/際立つ黒衣の存在感」なる見出しが踊り、あのしゃがれ声の神尾隆・東和不動産社長のインタビュー記事が掲載されたからである。http://mytown.asahi.com/aichi/news.php?k_id=24000340604100001  


 ◆添えられたスナップは太陽光を反射してか、カラーフィルターでも使ったのか蒼っぽく見える新ビルを大写しに、神尾さんが指揮者のような手振りでちょこんと写っている。わざと外したのか、カメラ目線をそらした神尾社長の表情もピントが微妙にずれていて、意味深長。その実バックのビルも"写るんです"モードの印象が残る。背景に小さく暈けた住友系である大和証券名駅前ビルの看板が、精一杯のレジスタンスという趣である。図々しくサラ金のそれを構図にはめ込んだ我々のアングルとは似ても似つかぬ、奥ゆかしさがまことに微笑ましい。◆ただ、JRタワーズへの当て擦りのごとき上屋をアングルで誤魔化しながら、せっかく苦労して黒っぽい印象を排除しているのに、ことさらに「黒衣の存在感」なる見出しを踊らせては語るに堕ちる見本のような間抜けさである。とはいえ、とってつけたような神尾語録も不思議な率直さを述懐してはばからない。当初40階建て構想だったのを尻目に「タワーズを2メートルだけ抜きます。後発ですから、話題づくりのためにもトップへのこだわりはありました」。◆こうまであっけらかんと発言されると、あんぐりさせられてしまう。かと言って、愚直さだけが身上かと思いきや「名古屋でのトヨタの存在感は確実に増すでしょうね」と言い放ちながら、「伝統ある有力企業をサポートする従来の形は今後も続くはず。前面に出ることなく、あくまで黒衣に撤していきます」といったリップサービスも振り撒いている。こうなるとカラス談議など、錯覚の相乗効果のごとき代物にすぎなくなる。


 ◆古来、烏は神さまの使いだったはずなのに、ニンゲンと自然界の偏在や驕慢から狡賢い厄介者になってしまった。ある意味で企業と地域の共生も、同じような蹉跌に晒されている。たとえば、中日新聞が四月に入って二週間ほど続けた連載企画「トヨタの世界」第一部完結が完結した。◆最終回のタイトルは、意味ありげに「頂上への足跡ここに」である。メディアによるトヨタ拝跪の先陣を切った中部読売の同じような連載企画は、最近になって新潮文庫から再上梓されたし、考えすぎかもしれないが、素直に"世界のトヨタ"ではないところに疳の虫が走ってならない。◆「GMを抜き世界一位に躍り出ることが確実視され、頂上が間近に迫る中……」などと歯の浮いたような筆致に出会うと、どこかの流行歌にあった「わたしのあなた、あなたの私」という甘ったるい修辞を連想せずにはいられない。つまり、解釈しだいで場合によって、世界がトヨタの所有格に魘われてしまうのである。JR東海の広報別働隊と見られている月刊『WEDGE』が四月号で、「トヨタ軍団に影が差し始めた」と喝破した翌月には、トヨタ方式のカイゼン伝道師による新連載をスタートさせたのも出来すぎの偶然である。


 ◆しかも編集後記ではJR東海からの出向だという発行人の安斎辰哉某みずから、「おっしゃるのをうかがってなるほどと思い当たります」なる御託宣を披瀝して憚らない。さすがに三公社五現業の遺伝子を受け継いだ屈託のない日和見と評判をとっているのも、むべなるかなである。メディアでは素人同然のキャリアからすればお気の毒ながら、敬語や謙譲語をぶちまけた記述など公器の全面放棄としか思えない愚かしさだろう。◆JR西日本の尼崎脱線事故から一年たって、回想検証特集が各マスコミをにぎわしている。NHKが追悼慰霊式を一時間も中継したのは、ゴールデンタイムでさえ再放送番組で凌ぐコンテンツ不足というべき御愛嬌ながら、問題なのは効率化への猛進が妄信にすりかえられて行く危うさである。それはそのまま、国鉄民営化の果実を問い直し、持て囃されるトヨタ的生産方式と功利主義への警鐘を意味してゆく。

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 ◆ゼロ金利時代よろしく、預かり資産が塩漬けになるリスクを承知で、斬新な外貨建て債券販売に傾斜してきた安藤証券が、珍しいほど新聞をにぎわしている。どうやら、この老舗名門の御曹司社長は従来の伊勢町や地場証券のコンセプトを性急に塗り変えようとしているらしい。なるほど、くだんの外債戦略もこれまでのところは為替変動さえ追い風につける僥倖に恵まれている。◆気がかりなのは、成蹊大から武者修行に出ていた野村証券関係者の評価が意外なほど冷淡なことである。一昨年秋の東京地区の体制見直しも、支店を東京本部に格上げし赤坂アークヒルズへ移転、同時に東京支店営業部を東京支店に呼び替える不思議な手品のような手際だった。◆たしかにバブル期の残滓ようなビルも、ディーリング部門の人材確保には体裁のいいプロパガンダにはなっている。しかし、首都圏の業容が10%に過ぎない事情を考慮しても、結果として営業体と距離を置いたのには、この人なりの深謀遠慮があったのかも知れない。就任早々は、社員を三百人以下に削減する計画の一方で、退職金規程まで見直して間接経費の削減につとめていた。


 ◆話題を呼んでいるのは、これまで細々と手がけてきたネット証券事業に本格参入することである。五月末に専業子会社を立ち上げる業界ガリバー・野村より一足早いタイミングも、系列証券のジュニアとしては意味深長と言えなくもない。初期トラブルを想定してか、ゴールデンウイークの谷間に始める「美らネット24」は、利食いや損切りを予約設定でき「日本では珍しい」と胸を張る五種類の特殊注文が売り物。委託手数料も上場株の現物・信用取引なら、一取引当たりの約定代金が50万円までで税込み472円、150万円以上二億円なら1575円と先発のネット専業大手とも十分対抗できる値頃感という。◆さらに十月をめどに「日経225先物」取引をネット経由で、シン ガポールやシカゴ市場へアクセスして、ほぼ終日リアルタイム取引を可能にする。この分野だけならシ証取でのプレゼンスはすでに、国内証券中トップに躍り出ている。日本との時差は一時間すぎないシンガポールで夜8時まで、午後9時から朝8時半までをシ市場ブローカーを通じてシカゴにつなぐ。◆もっとも午前3時からの三時間はシステムのメンテナンスのため注文を受け付けられないのだから、一部報道にある「"ほぼ"24時間取引」が誤解をうんでしまった憾みなしとしない。こうしたネット戦略の総仕上げとして2008年中をめどに、首都圏のほかにバックアップのデータセンターとなる「災害復旧対応センター」を沖縄金融特区(名護市)に設置するという手回しのいい計画も、既存の地味で手堅いイメージからすると様変わりの離れ業フットワークである。◆すでに現地に「美らヒルズマネージメント」を立ち上げる手際の良さには驚かされる。災害やシステム障害対策を充実させるためにも、地震の少なさが沖縄に着目した理由で、眠らないサポート拠点を築きトレーダーを常駐させながら小口取引ではやはり国内初という触れ込みの災害時決済機能を担保する。


 ◆しかし、営業収益の九割を占める地元名古屋での対面営業に加え、開拓途上の電話取引と三本立てになっている手数料体系の兼ね合いをどうするか、が依然課題として残っている。顧客層の高齢化で60代以上が圧倒的な現実のなかで、将来的な対面営業撤収までもが視野に入っているのだろうか。◆好事魔多しというべきか、現場のこうした不安を裏打ちするように持ち上がったのが、本店営業部での横領事件である。昨年秋に発覚して社内監査のあと懲戒解雇後、会社から告訴された容疑者が、今頃になってようやく立件逮捕というタイミングの間抜けさは嗤えてくる。しかも、事件公表の記者会見の席に社長みずからは顔を出さず、常務クラスで間に合わせてしまった顛末への揶揄も飛んでいる。◆最終的には顧客十数人から6000万円以上の流用してきた疑いもあり、同社ではかつて地元の外務員協会会長が自ら同じような事件を引き起こして以来の椿事である。直接の動機は義兄の経営していたカラオケ店への融通でぬかるみに嵌まり込んだ恰好とはいえ、二年以上前から手を染めてきたとすれば、それは新社長の号令一過、株式営業から外債販売への一大シフトを組んだ時期と見事に符号している。◆ついでながら、新聞記事で歩合外務員による不祥事と報ぜられたのには、事情通ばかりか社内からも誤報だ、と顰蹙をかった舞台裏もある。内実は闇夜のカラス、「あくまで警察発表で、厳密には正社員も歩合外務員なんです」とのキツネに抓ませるコメントが返ってきた。ともかくも、銀行天下り常務の杓子定規だけではなかろう、と伊勢町の爆笑を誘った。新聞も新聞で、サツ回りの社会部と経済部の畑違いの齟齬とだけ片づけてよいわけもあるまい。
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 ◆東海銀行消滅への引き金を引いた、名古屋ボストン美術館の来年度以降の存続がようやく決まった。すったもんだの挙げ句の茶番は、加藤隆一さんの不様な執着とあいまって地域を狂おしい混乱に陥れた。◆地元財界では、三菱UFJやトヨタ、中電、名鉄など主要企業を中心に35億円を支援する計画が内定していて、「昨年の愛知万博で地域の文化を盛り上げようという機運が高まったおかげだ。万博がなかったら、存続話はまとまらなかった」と胸を撫で下ろす財界事情通もいる。◆名古屋市と愛知県も95年の財団設立時に拠出した「経営安定化基金」30億円の三分の二を取り崩して運営にあてることで同意したものの、強硬だった市サイドの軟化はトヨタからの強力な働きかけがあった賜物と言われている。それでなくとも小笠原日出男・理事長へのバトンタッチじたいが、怪文書が飛びかい偽の辞令が記者クラブに投げ込まれるテイタラクだった。◆年度内とされていた契約改変期限にぎりぎり滑り込んだ恰好ながら、そもそもが日米和親条約並みの国際感覚で結んだ内実そのものの程度がお粗末すぎただけである。ボストン側のおねだり外交にトヨタが応じた背景に、対米政策への飛び火を恐れたお家の事情があったことも見逃せまい。


 ◆おさまらないのは出資上積みを断固拒否しているJR東海である。「どうせ出すしかない」と言った財界筋の楽観論にも不快感を露にして、広報部までもが「これまでもお付き合いとして割り切ってきたものの当面、再拠出に応じられません」と声を荒げる。さらに、このプロジェクトの立ち上げと前後して、地域プレゼンス膨らませてきたトヨタが、打ち出した20%ルールの扱いも微妙な影を落としている。◆地域の財界プロジェクトの総額の二割までが、トヨタがグループで分担する限度とするとの自主原理である。存在感だけはいかに限りなく突出させても、プロジェクトへの拠出は極力抑える。まさしく乾いたタオルをなお絞る功利主義の鏡と言えようか。それにしても無意味としか思えない鈍重なゴールデンタイムのテレビCMなどは愚の骨頂だし、浮世絵展にあわせた浴衣来館者半額キャンペーンなども下駄でからんころんとなっては万事休す。◆肝心の企画に関しても、オープンギャラリーの「アメリカ写真のパイオニア」展などは、百貨店の客寄せ催事並みにしか評価されておらず、これまたボストンの名前をかかげて写真より前に見せるものがあるだろう、と失笑を買っている。しょせん、松坂屋美術館のアンパンマン展に優るとも劣らない軽薄な見識、としか論評のしようがない。HPではメーン企画の次回展の分さえ工事中で放置されているもの見苦しい手抜きである。

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ニュースの死角  
 ◆竹島領有権をめぐる韓国とのせめぎ合いは二国間の幼稚な水かけ論では収まりそうにない。中国と同じで彼らが都合よく歴史認識を持ち出すのは、聖徳太子の時代から普遍の儒教的東アジア観があるのを忘れてはならない。中国とのガス田騒動も、戦後の遵法優先に雁字搦めになっているうちに、既得権が発生してしまう国際慣行を見逃している。◆朝鮮半島情勢が世界の火薬庫に数えられるなかで、韓国は古代以来の中国への拝跪が民族に沁み込んでいることもあって、地域の盟主をめざす彼らに擦り寄っていくのは伝統的習性にすぎない。◆あけすけに言うなら、民族の血が騒ぐのである。高校時代にYMCAの会合で親しくなった韓国人牧師が「われわれの国は大韓民国であって、韓国ではない」と睨みつけるように詰(ナジ)ってきたのをなぜか忘れられない。今の天皇と学習院同期で「彼はわが野球チームの恥だった」と言ってのけた人である。大帝国の呼称を返上させられた日本への意趣以上に、二文字の国名が蛮夷をさす儒教的秩序感覚が韓の国名に執着させるのだろう。


 ◆中華思想は文明である華を取り巻く蕃国があってはじめて成立する。司馬遼太郎さんに言わせれば「華夷は字面でわかる」のである。日本を含めて新羅、渤海、回鶻(ウイグル)、匈奴、契丹などに対し、冊封という国際秩序を押しつけた歴代中国王朝はいずれも一文字で、今のチベットあたる吐蕃など字面からボロくそとしか言えない。◆明治期に産み落とされた大東亜の盟主と思い込みたがる日本人の錯覚も、彼らには共産主義幻想と位相の変わらない歴史的迷妄ぐらいにしか映らない。米国の覇権までもが、二千年の伝統に対する百年に満たない優位など、騎馬民族の跳梁に煮え湯を飲んで耐えに耐えた漢民族からすれば吹けば飛ぶような時間感覚なのである。◆北朝鮮への制裁に強固な反論を隠さない中韓連合の主張にアメリカが生理的に譲れないのは、どこかで歴史の浅さへの劣等感が拭えないからである。ややこしいのは、中国が統治システムとしての共産主義イデオロギーを消耗させながら、理念としての中華秩序への回帰を目論んでいることである。◆だからこそ国際政局いかんでは、竹島問題は油をそそがれた朝鮮半島の導火線になりかねない。アメリカさえもが秘かに目論んでいるユーラシア火薬庫プロジェクトの恐怖である。行革の一環として浮上してきた、地勢的道州制論議で忘れられているのも、外交と軍事を切り離した地方政治イコール「日米安保条約下の属国的隔靴掻痒」に麻痺してしまった日本の今日的政治状況を炙り出している。

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SUMMING UP 
 ●スズキが三月に入って、約20%を保有する筆頭株主だったGMのカナダ子会社が放出した17%株の株式を時間外取引で取得した。ただ、一年間は保有して売却や消却はせず、再取得要請があれば応じる方針だという。GMの苦況は米国製造業の凋落の象徴と言える一方で、このところ何かと貸しをつくっているトヨタの謀略説も飛びかっている。56%シェアを握るインド市場が中国を越える成長さえ囁かれはじめ、30年後にはGDPで日本まで抜き去ることが確実視されているからだ。●そんな折りも折り、スズキ副社長だった久米馨さんの訃報で驚いたのは、元東海銀行役員というキャリアが世間から忘れられていることだった。今の時世にしては早い80歳で鬼籍に入ったものの、浜松市内の病院で胆道出血でなくなり葬儀なども地元で行われた。愛知県生まれのこの人がすっかり浜松人になっているのは、出稼ぎ感覚を嫌った見逃してはならない見識である。76歳になった鈴木修会長はかねてから、ことあるごとにトヨタへの遠慮を口にしてきた。それだけに、インドで小さな巨人となった今後が気がかりである。


 ●名古屋をキーワードにしたGoogleアラートで地元で催されている「世界大風呂敷展」のことを知らされた。不思議なのは内容が西日本新聞の一面「春秋」(4/24)だったことである。県境をこえると情報が途絶する時代は過去のものになって、ネット世界では思わぬところからニュースが飛び込んでくる。●日経と同名の看板コラムは、いきなりこう戯れてくる。「大げさな計画や話を世界各国から集めた“おおぶろしき展”ではありません、念のため」「風呂敷に類する物を24か国から集めた。ペットボトルを再利用した布地のものも出品された。小池百合子環境相が考えた環境がキーワードの21世紀の地球を風呂敷が救う、と紹介した新聞もある。これもおおぶろしきではない」。書きっぷりからして、程度は悪い駄洒落でもなく、思わず皮相な揶揄ではないかと考え込んでしまった。●いわくーー携帯性に優れて用途も広い。大切に使えば長く保つ。包み方でさまざまな模様が現れるのも楽しい。風呂敷に取って代わった紙袋など、足元にも及ばない。日本人の知恵が詰まっている。「復権」の兆しも見られるとか。●韓国には風呂敷によく似たポジャギがある。物を包む目的で使うのは「日本と韓国が代表的」と韓国初代文化大臣の李御寧(イ・オリョン)梨花女子大学名誉教授は言う。風呂敷、ポジャギは丸い物でも角張った物でも柔らかく包む。西洋の機能的合理主義が生んだカバンとの大きな違いだ。融通が利いて柔軟な「ふろしき文化」が種々の未来を開く、と李さんはみる。とげとげしい日韓関係を丸く包む知恵が極東を救う。そんな連想もわくーー             ●●●



NO.290ANNEX トヨタ生産方式の奈落はサルの手淫!?

 EDITORIAL 夏炉冬扇 

 
 ▼日航など一連の航空会社の整備不良トラブルはサラ金の摘発と同じで、郵貯民営化をユダヤ=アングロ・サクソン資本に支配される米国がほくそ笑んだ死角とかわらぬ陰謀の匂いがする。爛熟し切ってどこか腐りかけてきたような、パックス・アメリカーナの迷妄である。一ドル札の裏にも刷り込まれているが、ちゃちな原子模型さえ連想させるトヨタの新シンボルマークは、瞳と相互監視を意味するフリーメーソンのそれに酷似している。その世界的秘密結社のメンバーになったとの憶測もあって、名古屋では君臨する自動車帝国への不安が広がっている。


 ▼布池のカトリック伽藍に支部である地元ロッジがあって、最近では関西からも会員が駆けつけているという話も不可解である。生産功利主義を培う陸軍幼年学校もどきの中高一貫校・海陽学園に、なぜかトヨタ生協が出店した報道も釈然とできず首を傾げたくなる。F1に参戦した前後に買収した富士スピードウェイで日本グランプリ開催させる腕力には案の定、やりすぎではないのか、との声があがっている。太閤を名乗った秀吉政権末期が連想させるように「権力の宙空に浮かんでしまったことで、かつての劣等感を圧し殺したひた向きさはすっかり影をひそめてきた」という指摘には説得力がある。


 ▼しかし、ものづくりの思想には効率化の一方で、ホイジンガーの繙いた「ホモ・ルーデンス」なる対局の概念が欠かせないはずである。"遊なる人間"像とでも訳すほかないそれは、遊びをあらわすラテン語が学校という意味ももっていて、日本にも遊学という表現があったことに繋がっている。それを文字通り講義にも出ない大学生らへの皮肉、と思い込んでいる人がいて呆れ果てる。戦争のような突き詰めた閉塞の強迫観念に苛まれても、力強さの象徴として甲冑刀剣の装飾美を忘れなかった民族性に、われわれはもっと胸を張ってもよいのではないか。


 ▼質実を重んずるあまり、隣り合った三河も尾張もおしなべて美意識に対して鈍感な伝統がある。荻須高徳さんの作品寄贈の申し出に、地元の美術界が口を極めてユトリロの亜流などとあられもない悪口雑言を浴びせかけた事件などは、なんとしても風化させてはいけない。増床に紛れて美術館の入れ物だけ作った松坂屋が、「ドラえもん」展を大真面目にやった莫迦ばかしさも、若い頃からボードリアールなぞを振り回していた岡田邦彦さんらしい悪乗りと言えなくもない。


 ▼デザインの大家などの話を聞いていると、機能と美意識は同居して初めてモノづくりの哲学は成就するという。あれほどのプロパガンダにもかかわらずレクサスが苦戦しているのは、いくら機能や性能に胸を張ってもまだまだ美しいクルマではないからだろう。丸Lのオリジナルロゴも、どこかで鞭や首切り鎌を連想させずにはおかない。カンバン方式に培われた合理主義は、現場の導線を重視する余り歩幅と呼吸さえ束縛してしまう。


 ▼二卵性双生児といえるQC活動の本質が、社員に自分で自分の首を絞めさせる悪趣味なマゾヒズムなのと同じ理屈である。「これではトヨタ生産方式の奈落は、死ぬまで終わらないサルの手淫と同じになる」と言った人までいるのだから空恐ろしい。いくら大新聞に「世界を見据える司令塔/黒衣の存在感」などとおべっかまがいの記事を書かせても、あのミッドランドスクエアには美しさを感じさせる遊びの要素がまるで感じられない。それこそが気がかりである。(す)

NO.295 2006年(平成18年)9月28日【VOL31-9 第5版】

中部21世紀フォーラム月報 INDEX FAX http://c21f.exblog.jp                       ◆◆◆◆◆         
発行/C21F会報編集委員会 代表世話人/ジャーナリスト 菅沢正雄
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¶今月の話題
 ◆九月早々に意欲をマスコミに公式リークしていたが、下旬に入って来年二月の愛知県知事選に民主党が石田芳弘犬山市長(写真60)を担ぎ出すことがもたもた決まった。元県総務部長で厚生労働省審議官の御園慎一郎氏(53)との天秤にかけられるや、支持や推薦が得られなくても市民派として必ず出ると公言してきた事情もある。
◆直後に、自民と公明が推す神田真秋現知事(54)がようやく県議会で出馬表明する顛末はおよそ間が抜けていた。32年ぶりの与野党相乗り選挙返上は評価できるが、民主サイドの候補者選びには気の抜けたサイダーのような印象だけが残った。これまでの知事選は密室で候補者が決められ、最初から勝敗の見えていて住民参加の余地がなかった、というのが石田某の第一声。◆「愛知が全国の地方のリーダーシップをとらなくてはいけない。それだけの力が愛知にはある」と力説し「地方行政の経験を生かし、中央と対峙して地方分権を推進する知事になりたい」との抱負もオタメゴカシに過ぎる。それでなくともトヨタが盟主にのし上がった地元は、世界における日本の同床異夢のミニチュアである。


◆万博の実績を迂闊に批判できないだけに神田県政ついては「モチをこねたのは前知事の鈴木礼治さん、杵でついたのが豊田章一郎さん、モチを食べたのが神田さん」との迷言を披露して悦に入っていたのもこの人らしい。自民党県議を経て95年に犬山市長に初当選し現在三期目、民間人の校長登用など話題づくりの才覚は自他共に認める。大前研一さんの主催する一新塾の講師をかって出るなどのパフォーマンスも将来を意識していたと考えると辻褄はあう。◆だが、消息通の多くは不思議なほどカネにきれいな海部俊樹元総理の対極ともっぱらの評判だった、江崎真澄代議士の秘書時代の故事来歴に眉をひそめる。当時同じ旧愛知三区で社会党から一議席を分け合っていた佐藤観樹元自治相の転落にも、石田さんが一枚噛んでいるとの指摘も聞こえている。◆自民県連の加藤南幹事長の「同期当選の同僚として、自民が支持する神田県政を批判して石田市長が出馬するのは意外」などという反応は素朴すぎる。間髪入れず、おかげさま精神とかを掲げて市民派の「あゆちの風ネットワーク」なる後援団体を立ち上げる器用さに、矜持を求めるのは酷というより不能だろう。万葉集にうたわれ愛知の語源となった「海から吹く幸せの風」をなぞらえた命名も、小泉前首相に似ていると言われれば似ている風貌も愛嬌だけは十分である。

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  ◆石油元売り大手である出光興産の株式公開にはある種の感慨がある。東証一部への上場は10月24日で公募・売り出し総額が1000億円を超える大型案件だが、ここにも東海銀行の"消滅"が大きく影を落としている。それがなければあり得なかった経営選択だからである。創業以来、経営への干渉などを嫌い非公開主義を貫き、サントリーや竹中工務店と並ぶ未上場御三家と呼ばれてきた。◆中日新聞などはなぜか韓国資本のロッテと同列に並べてしまうテイタラクにせよ、1990年代後半の金融危機と前後して二兆円の有利子負債がマスコミの餌食になった。バブル期を通じて実業の枠を超えなかった出光一族が重い腰を上げても、故佐三翁に親銀行まで呼ばれた東海銀行の対応は呆れるほど鈍かった。


◆東海アポロという耳慣れぬ連結子会社が名古屋市名東区にあるのも、四日市コンビナートから東海が締め出されたなかで知多精油所を誘致したのも、故事来歴の賜である。しかし、あろうことかシェアだけなら住友、住信と共同メインの立場にあることを言い訳に、めくるめく金融再編と裏返しの不良債権処理しか眼に入らなかった近視眼バンカーしか、この案件に対応できなかった。◆とくに、公開意向を耳打ちされてグループ証券からの相談を撥ね付け続けた土川立夫さんは、まごうことなき戦犯リスト筆頭を飾る。なるほど、因果は巡りめぐるだろうか。名鉄の総帥として全国に覇を競った土川元夫翁の次男坊で、当時は東海銀で東京営業部の元締めだったこの人も、今はセントラルファイナンスの社長として新幹線予約専用の「エキスプレスE予約」カードの縁から、JR東海の資本力の跳梁にさらされている。当時の銀行の冷淡さに業を煮やすように、資本増強や資金調達の多様化をにらんで2000年に公開方針を発表したものの、系列石油化学の先行上場構想など、水面下の紆余曲折はそれだけで一冊の本が書けるほどの濃密さだった。前三月期の連結売上高は3兆3274億円、最終純利益は273億円の存在感は、官僚たちの度胆を抜いた日章丸事件の気宇壮大さを彷彿とさせる。◆首都圏企業開拓のツールだった「わかば会」主要10社のメンバーとして故出光佐三翁が、旧東海を「親銀行」と呼びならわしていたことが、社員教育に使われる社史ではいまも紹介されている。こうした親近感に多くの東海OBたちが、邪険に無頓着なのは言語道断だと、以前に言及した。案の定というべきか、右顧左眄の頬かむりをするばかりの優柔不断が、今日の東海銀行消滅というテイタラクを招いた。このことだけは肝に銘じてもらいたい。


◆ついでながら、あたかもこの上場を見送るように、"出光の寅さん"の異名をとった不思議な万年平社員がこの九月で定年を迎えた。「仕事はやりたい奴がやればいいの。疲れるじゃない」と言ってのける、憎めない不思議な好漢のディレッタントである。一昔前、名古屋の住吉町のおでん屋で偶然に意気投合して以来、30年にもなんなんとするる細く長い親交のなかで気づいたのは、この男の奇妙で精緻な感性である。釣りバカ浜ちゃんと同じで、まるで遊んでいるかというと嘘になる。◆土鍋を焼いているだけの職人まで"作家"などと持ち上げて、温泉なぞフラフラまわりながら全国に見事な時代感性のアンテナを築いていた。記者さえもが彼のコレクションでしかなかった、独特孤高の境地と人間へのしたたかな好奇心は敬意に値する。その彼と後にも先にも一度だけ、仕事がらみの話を持ちかけられたのが今回の公開話の端緒だった。神大同窓の「やりたくて仕事をしている」然とした先輩の役員なる男も、彼には不思議なほど一目おいていた。ホモルーデンスの化石とも企業社会の懐とも言える彼の存在感は、野村證券の相田雪雄さんのようなバサラよろしき目出度き優美である。

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 ◆テレビのワイドショーでは連日のように飲酒運転事故報道が氾濫している。まず、公務員とかのケースをケシカランとまくし立て、最後はおもむろに飲酒運転検挙を煽りたてている。もちろん、世の中から恥の思想が消えかけていることに原因はあるが、これまでならローカルニュースでしかなかった代物を意図的に全国からかき集めているのだからえげつない。それはそれでタテマエの正義なのだが、その正義の背後でまたぞろ自動車に装着するアルコール呼気検知キーなどが喧伝されている。シートベルトの登場と同じ、新業界創出の仕掛けである。◆規制緩和でずたずたになったタクシー業界の救世主のように運転代行業者がにわか景気に沸き、公共交通インフラの貧弱な地方で社会認知を深めている。もちろん生産功利主義に振り回され、デフレ経済の生け贄にされてしまった運送業界のやり場のない悲鳴も聞こえてくる。流通業界にまで重宝されているカンバン方式は、労働者と納入業者をモノとして見なければ成り立たない思想である。


◆翻って、この狭い国には必要以上にクルマが溢れすぎている。それが列島改造やさらなる道路整備の口実になった。世帯主と高額納税者以外は、老人向けの電動三輪車に毛の生えた程度のスピードしか出せないクルマを売ればいい、などと言おうものなら、今度はもともと帳尻あわせで膨らませていた高速道路の需要予測が狂うと喚きだす輩が出てくる。森を見ず、木だけに囚われる救いがたき民族的屁理屈の迷宮は、それを行政判断の言い訳にしてしまう器用な和戦両用でもある。◆そもそも、法律上は過失でしかない飲酒運転は置き忘れた免許不携帯と同様で、検問につかまれば運が悪いぐらいの国民感情しかなかった。あくまで運が悪かったのである。しかし法解釈と運用いかんで、いかな曲解も可能なのは、戦前の治安維持法や憲法九条と同じではないか。当局の出方しだいではインターネット上で事実上、解禁されている無修"正"ポルノも、些細な賭けゴルフや麻雀もすべからく槍玉に上げられかねない。◆思わず知らず、警察のキャンペーンに連動したテレビ報道の氾濫も、皮肉に見れば戦争協力に終始した過去のスタンスに酷似してはいないか。むしろ、皇室関連ニュースの膨張とにじり寄るように、小泉改革の是非論がまったく掻き消されて安倍晋三新総裁や靖国問題なども国民の視界から外れてしまった。

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¶ニュースの死角  O I ! 
 ◆出来レースのような不可解さで安倍晋三首相があっさり誕生した。郵政民営化のプロパガンダと同じで、不思議な強迫観念に取り憑かれるように、メディアは一目散にこの人を祭り上げてしまった。その実、あれよあれよと動きだした事態の推移に一番戸惑っているのは、ご本人自身かもしれない。◆しかも皮肉に現代の植民地政権を意識しているのか、補佐官や報道官を繰り出した新内閣は、教育改革に名を借りて胡散臭い若者エネルギーの捌け口を仕立てようと目論んでいるようである。政権委譲の過渡期に、ひっそり廃案になった国連安保理常任理事国入りをめざしたG4案について、誰も前首相の大失態などとは言わない。またまたカネにあかせても、東南アジア諸国はどこも共同提案国になってくれなかった。しかし、おしなべて国民感情は消極的賛成の域を出ていない。日米蜜月の同床異夢への言及も形ばかりである。


  ◆負けたら、ひたすら由らしむべし。集団的自衛権論議を尻目に、国連で応分の軍事的ビヘイビアを求める声も報じられていない。中韓ばかりか、アジア丸ごとに顰蹙と口実を与えかねない両刃の剣である。靖国問題で日本人が扱いかねている東条英機・元首相も小泉前首相も、同じ律儀さで誰も責任をとらない日本的暴走に愚直に邁進した。戦争を知らない新首相には、やはり国民的人気があった近衛文麿のような爪先立ちの危うさが感じられてならない。◆昭和29年生まれの午というのは団塊の世代としては最後のジェネレーションで、高校時代にかろうじて70年安保の洗礼を受けた最後の「戦争を知らない子供たち」だった。しかし、いまや戦争を体験した世代の方がはるかにマイノリティーになってしまった。そんななかで、愛国心を教育原理に組み込み、担当大臣まで捻り出して少子化を囃し立て、産めよ増やせよが国策というのではどうかしていないだろうか。◆中国の13億人とインドの11億を別にすれば、世界三位の米国の人口でさえようやく3億をうかがっているに過ぎない。ベストテンのしんがりをつとめる日本の1・3 億人は、英仏の倍以上のボリュームである。常任理事国入り問題以前に取り上げる べき政 治課題は山積しているのに、そこから眼をそらせ国民感情をくすぐるだけの大国 幻想もいい加減にしてもらいたい。わが国の経済力そのものは、米国の借金を半減させたプラザ合意のペテンの上に成り立ってきた。ざっくり言えば、半値八掛けぐらいの謙虚さがあってもいい。


 ◆いまや高度成長の残滓を引きずった、成長モデルオンリーの社会システムに固執しているのは官僚と政治家ぐらいなのである。宗教指導者たちの自己保身の裏返しにすぎないムスリムの八つ当り的焦燥感、世界的経済成長の跛行やエネルギー・環境問題の諸相には人口爆発が意外なほど引き金を引いている。イスラム圏ほどではないにせよ、人間というのは時代へ積極的に順応したがらないものらしい。◆国連人口基金は2006年版「世界人口白書」で、ことし二月に65億人にとうとう達したと報告している。20世紀にわれわれは人類史上最大の人口増加を経験した。過去6000年間に存在した人口のおおよそ五分の一が現代に生きているのだから、地球もたまったのものではない。1999年10月に60億人を突破したばかりなのだし2010年68億、2020年76億、2030年82億、2040年87億、2050年91億という予測データは尋常ではないし、この頃には日本人の平均寿命は軽く百歳を超えきんさん、ぎんさんモードに突入する。◆時系列でざっと歴史を遡ると1987年50億、1971年40億、1961年30億人。団塊世代の多くは世界人口30億のイメージがどこか抜け切らない。さらに言うなら江戸時代の1802年に10億人だったものが、戦前の1927年ようやく20億人を超えるのが前近代までのテンポだった。つまり、世界規模で時代の分母と分子を考えないと、知らぬ間に鬼畜米英のプロパガンダにがんじがらめになって、またぞろ一億火の玉にされる。石油危機の"便所紙"騒動と同じ蹉跌である。ダソクの蛇足、トイレットペーパーという字数の多い不便語の陰で死語になりかけているので、あえて"便所紙"騒動と書いておく。

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¶SUMMING UP 
 ●名鉄百貨店が西日本最大の化粧品売り場を目玉に、本店本館の二階から五階を改装オープンした。化粧品売り場だけで1700平方メートルは圧巻だと胸を張るものの、しょせんは伊勢丹との提携で疎遠になったセゾングループ・有楽町西武の二番煎じですらないとの酷評がある。地元百貨店では初の試みという予約制トリートメントルームが無料なのいいが、各ブランドの販売員に実演コーナーを提供するだけでは売り場の丸投げ思想が抜けきらず新味には乏しい。●天井の低さから来るフロアの圧迫感も致命傷。メルサとセブンをあわせた三館統合計画の一環ながら、従来のストアイメージからすると大胆なのか蛮勇なのか、評価は分かれる。タワーズの名古屋高島屋の攻勢を見据え、「ミッドランド・スクエア」の完成などにともなう労働人口急増を意識した対応ながら、高島屋がそれまで名鉄百が得意だった弁当・惣菜強化を打ち出したのとは対照的に、スイーツ・ステーションやデザートバイキングを売り込む目新しさは飽きられやすい弥縫策の憾みなしとしない。


 ●三大都市圏で基準地価が16年ぶり上昇している。それでも、その地価は1980年代かそれ以前の水準に過ぎず、利便性が高い地域に地価上昇は集中して住宅地四割、商業地三割で依然下がり続けている実態が新聞見出しなどからは見えてこない。国土交通省が集計した今年七月の都道府県地価(基準地価)は東名阪の平均で住宅地が前年比0.4%増、商業地が同3.6%と、平成に入った直後の1990年以来のプラスに転じたことばかりが強調され国民意識に刷り込まれている。●商業地の上昇率全国ベストスリーを二年連続で名古屋駅前が占め、住宅地は基準地がない中区を除く市内全15区で反転し始めた。しかし、全国平均は15年連続のマイナスで、住宅地2.3%、商業地2.1%と下げ幅が三年続けて縮小したのを下げ止まりと鵜呑みで解説するマスコミもどうかしている。●都市再開発特区による下卑た手品でこの数年30%以上で上がり続ける地価を、いとも単純に元気印ナゴヤの証明のようにメディアが解説してしまうのもどうしたものだろうか。体勢に流され、無難な体制翼賛プロパガンダの走狗になり下がっている自覚は、大半の現場で皆無だろう。


 ●名鉄海上観光船が、名古屋港内で行っている遊覧船と水上バス事業から11月末で撤退する。名港周辺を30分かけてめぐる遊覧船はともかくと、イタリア村でにぎわうガーデンふ頭と対岸の潮見ふ頭にある自然風庭園ブルーボネットを10分で結ぶ水上バスは拙速の自業自得としか言えない。●かつて金鯱の張りぼてをかぶせて自虐的人気を呼んだ垢抜けなさにさえご愛嬌はあった。1993年のピーク時に年間15万人が乗船した実績が最近は年間3万人を切るにまで落ち込んでいた事情はともかく、鉄路やバス路線の狂おしいリストラの挙げ句に残っているのは買収合併なのだろうか。●地元では三セクもどきだった市内定期遊覧バスも早々と廃止されたが、仙台や福岡はおろか富山ですらそれは現役である。名商やJR東海の須田寛さんが熱心な産業観光なる新味の切り口も、なぜか名阪近鉄バスあたりが企画した日帰りツアーで6500円。工夫のなさすぎる料金設定で呆れる。


 ●自民党政権のアヘンになってしまった公明党のプレゼンスが不気味である。このところ目立つのは、ゴールデンタイムのテレビCMで創価学会や聖教新聞の露出があからさまなことだろう。ことし二月にあった聖教新55周年パーティーで見かけた不思議な面子を思い出した。中電ビルの中野社長はグループ守旧派の大御所だし、毎日新聞傘下のキャッスルホテル大森社長。松坂屋の岡田邦彦さんあたりも丸栄後藤社長同様、大変な気の使いようだったし、名鉄の武藤部長、松坂屋の芦本部長らまで蠢く対策部隊と揶揄されていた。    ●●●


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¶EDITORIAL 夏炉冬扇

 ▼なるほど、暑さ寒さも彼岸まで。にわかに秋めいて肌寒い夜さえある。日本人の近現代を検証していると、季節感への洞察の裏返しのような驚くべき懲りないステレオタイプに遭遇する。およそ責任の所在を曖昧に組織に封じ込める習性が、太平洋戦争開戦の楽観主義を担保したのと変わらぬムラ根性である。五期目にあった福島県知事が辞めても辞めなくても、あらゆる公共事業やこの国のあり方について同じような楽観のラビリンスが見て取れる。
▼新しい長野県知事も脱ダム宣言の撤回を公約どおり打ち出したが、地味で一本気な代議士あがりの元国家公安委員長に話題性はゼロである。「改革で命落とすことない」。竹中平蔵前総務相の職員への退任のあいさつは「私はフリーターになる」という捨て台詞と同じ幼稚さだった。「動じるな。王道を歩め」の小泉的強弁も彼の改革への感慨も、メリーゴーランドを降りた子供の無邪気さしか感じない。

▼規制緩和と政府セクター民営化は、いわゆる新自由主義として南米経済に塗炭の苦しみを味あわせたことを知らない人が少なくない。よかれあしかれ糠袋で磨いた床に土足で上がりこみ、何でもペンキで塗りたてた進駐軍だったが、農民や労働者あがりの兵士たちに悪気はなかった。審美観がまるで違うのである。それが社寺仏閣に及ばなかっただけでもよしとしなければなるまい。

▼杜の都仙台では、地下鉄工事のためにご自慢のケヤキ並木を切り倒す計画が進んでいる。ケヤキの寿命を言い張り、その実コスト高のシールド工法では補助金認可が得られないから開削工法で都心を掘りつくす。多かれ少なかれ、戦前のオポチュニズムが国民を戦争に巻き込んだように、しょせんは仕事をつくらないと失業する小役人の浅知恵が、誇大妄想の収益計画をつくらせてしまうだけである。負ければ失業し、戦争をしなければ自己実現の機会が閉ざされる軍人たちの歴史の隘路に嵌まり込んだ不幸とだけ割り切るワケにはゆかない。

▼煎じ詰めれば、良かれ悪しかれ日本を支えてきたのは裁量主義である。たしかに曖昧さのなかに全てを閉じ込めてしまう憾みはあるにせよ、それこそが浪花節的発想の涙や笑いを産んだ。水戸黄門も悪代官もこの未熟さのパラダイムがなければ成立し得ない。昨今の韓流ブームの裏側には少し前まで日本人が押しなべて持っていた秩序感覚への渇望が裏返しにある。今様でないアナクロニズムが毒舌で人気の漫談師同様、オバサンたちの郷愁を誘うのである。

▼国威発揚だけに走りがちなオリンピックは勝ち組の驕りと負け組の再起に利用されてきた。きな臭い戦争の匂いがしはじめたタイミングで石原都政が動き出したイメージは太平洋戦争前の幻の東京五輪を彷彿とさせないか。タカ派の安倍政権誕生を機に、負け組の北京五輪を演出しモスクワの二の舞にする策動もないではない。すべては、仕組まれたナショナリズム迎合の狂気である。その意味では名古屋や大阪の招致失敗は経済の閉塞だけを見据えた国際感覚欠如の咎めだし、五輪の建前と本質をないがしろにした国家観欠如だけをさらけ出した。

▼不幸にならなかったのは、一人相撲だったことである。ムスリムの苛立ちもバルカン半島の民族自決の内実も、すべては人口爆発が加速するなかで世界経済のアンバランスがますます歪にならざるを得ない現実を反映している。それらもまた人類が経験した二度の世界大戦前夜の経済爛熟に酷似している。

▼ちらつき始めた徴兵制の復活と儒教的秩序感へのノスタルジアが、尊属殺人などという死語をゾンビにするかもしれない。ヤオヨロズの神におののき、諦念を説く仏教を有り難がる。ずばり日本人はあきらめが得意なのである。「背伸びして視野をひろげているうち、背が伸びてしまうということもあり得る。それが人生のおもしろさである」。アメリカ生きがいの旅と題した城山三郎さんの述懐の本質を、現代の若者は理解できるだろうか。 ▼▼▼(す)

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¶中部21世紀フォーラムのメーンセッションの一つである『フォーラム21』の月例会は第四木曜日開催を原則にしており、とくにご要望がない限り変更はございません。したがって来月のスケジュールは10月26日となります。例会場のAPAホテル名古屋錦(旧名古屋不二パークホテル052ー962ー2289)5F「錦の間」にて、午後6時半より二時間程度を予定しております。お問い合わせなどは、 Eメール c21f@web.co.jp、または菅澤正雄事務所(052-303-2062・携帯電話090ー8150ー9782)までご連絡下さい。なお、弊フォーラム・公式ホームページ『Paradigm21・Web』に未掲載の月報は http://c21f.exblog.jp/ にて仮公開させていただいておりますほか、ミラーサーバー http://blog.goo.ne.jp/c21f も稼働を始めました。

 【Paradigm21は、民間オンブズマンとして会員への言論啓蒙だけを目的としています。世論形成をめざしたモニター配信は、事務局と各委員会の諮問にもとづき決定されております/ 表題のパラダイムとは、世の中の規範や枠組みを意味し、その変化を表す言葉です】
  ■法人会員(1年間)30万円 個人維持会員(1年間)3万円 普通会員(1年間)1万円
   ■振込口座/三菱東京UFJ銀行 名古屋営業部 普通〈150〉2089ー353

NO.294 2006年(平成18年)8月24日【VOL31-8 第5版】

     中部21世紀フォーラム月報 INDEX FAX                           ◆◆◆◆◆         
発行/C21F会報編集委員会 代表世話人/ジャーナリスト 菅沢正雄
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¶今月の話題
 ◆大垣共立や三重銀行を介して、ユニー傘下のコンビニに普及してきた手数料無料のコンビニATM「ゼロバンク」が、早くも破綻しようとしている。地元では意外に知られていないものの、サークルKサンクスの百%子会社ゼロネットワークスが運営母体ながら、ビジネスモデルそのものは東京スター銀が立ち上げてた経緯がある。◆米投資ファンドであるローンスターが旧東京相和を換骨奪胎して再生させ、名古屋にも支店を開設して話題を振り撒いているにせよ、春先には証券大手で早々と外資を受け入れた日興コーディアル・グループへの転買収が取り沙汰されたのは記憶に新しい。「東京スター銀の無料ATM/三菱UFJが契約解除通告/銀行間手数料膨らむ」(日経8/22)という記事は、三面扱いだから金融面のトップニュースの一つだった。◆日興とは歴史的にスリーダイヤの絆で結ばれている三菱東京UFJ銀行が先陣を切ったところもミソである。東京スター銀行に対し自行の顧客が無料ATMを利用できる契約を、ひと月余りの猶予だけを残して10月初日で解除すると通告したわけだ。

 ◆無料ATMは東京スター銀の顧客でなくても平日昼間の利用手数料がかからず、急速に広がっていた。ところが、利用が増えるにつれ三菱UFJが負担する手数料が予想以上に膨らみ、「自行のATM運営に障害が生じかねない」とメガバンクが泣き言を並べだした。大手他行も足並みを揃えるのは時間の問題で、コンビニ無料ATMの普及に暗雲が立ち篭めてしまったのである。◆オリコに続いて七月末にダイエーOMCが自社CD四百台をアウトソーシングしてスター銀へ委託すると報じられたのも、小さくない影響を与えたろう。実はスター銀が管理する格好で来年二月までにサークルKとサンクスに設置する首都圏のATM台数は1400台強だが、大垣共立・三重二行を介してユニーの金城湯池である愛知・岐阜・三重のサークルK・サンクス店舗は1500をくだらない。◆しかも、旧東海銀行ユーザーのシフトはUFJ統合後の地域店舗のスクラップの反動もあって、首都圏とは比較にならないニーズがあった。全国約1600の提携金融機関の平日・土曜の時間内引き出し手数料が無料との触れ込みに、もっとも敏感だったのは地元名古屋地区だった。しかもATM利用無料のカラクリは、自行カードホルダーがゼロバンク経由で現金を引き出す度に提携銀行から、運営母体の東京スター銀行が銀行間手数料105円を巻き上げる外資専横 システムにある。

 ◆需要が塊っていればいるほど、自己矛盾を曝け出す宿命を抱えているうえ、メガバンクにとってはスケールデメリットしか産まない。もちろん引き出し専用の一方通行なのだから、欠陥むき出しのオタワケATMネットを認可した金融当局もどうかしていた。いわば、外資ご用達のただ乗り容認政策としか思えない。◆金ピカが大好きでアイデア・オリンピックに興じてきた感のある、大垣共立の土屋三世が愛知・岐阜でゼロバンク運営に乗り出した嗅覚は、自行ユーザーの少なさを逆手にとったインターバンク手数料目当てのシナリオの破綻には無頓着だったのだろうか。◆拙速に外資の上前をはねるような愚直さも考えものだし、当初から不満がくすぶっていた他行が最大手に追随するのは時間の問題でしかない。ゼロバンクをうたった以上、顧客転嫁はむずかしい以上、次のシナリオは黒船外交による銀行間手数料引き下げとなるのだろうか。

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◆笹島を新たな官庁街にしてはどうか。大垣共立銀行グループの共立総合研究所主任研究員の江口忍さんが、不思議なお手盛り提言をしている。もともとは隔月発行の調査情報パンフレットに何度か発表してきた「変貌する名古屋駅前」シリーズを土台にした代物だが、岐阜にいるから名古屋のことがよく"見える"が持論で、高島屋出店後の一人勝ちも商圏人口の動態利便から予測していたとのたまう(中読「風向計」6/23)。◆名古屋市出身で長期破綻と前後して97年に共立総研へとらばーゆしてきた。中部経済の伝統的愚直を礼賛して見たりと、田舎教師然とした風貌は41歳にしては老成して見える。いわく、名古屋駅前は空前の再開発ラッシュをうけて、2008年春までにJRタワーズに肩を並べる三棟の超高層ビルが稼働する。就業人口も栄地区から逆転しオフィス街の格でも凌駕する。◆名駅通りの路線価伸び率が26・4%と銀座さえ上回るご時勢。ここまでなら、都市再生特区の手練手管に乗じたトヨタ主導の駅前再開発のお先棒をほど良く担ぎ上げているにすぎない。その駅前地区から南に数百メートル離れた三角形の22ヘクタールの広大な土地が、旧国鉄笹島貨物駅跡地「ささしまライブ24」である。一部は旧国鉄がらみの事業団に権利が残っているものの、実態はかねてから名古屋市や関連公社が持て余してきた事情はよく知られている。

 ◆廃線同様だった西名古屋港線をむりやり三セクのあおなみ線に仕立てて開業した言い訳よろしく愛知万博に際しては、サテライト会場をこじつけて観覧車をつくったりポケモン遊園地を誘致して格好をつけた。ただ、平成17年度をメドにした土地区画事業や道路整備も、ほとんどその場しのぎのご都合主義で進められてきたにすぎない。◆中経連を巻き込んだ再開発も頓挫したままライブ構想の事業主体となっている名古屋市は、ここを①ホテル・コンベンション施設のビジネス支援・国際交流ゾーンに加え、②商業・文化・にぎわいゾーン、③複合都心居住ゾーン、緑地に中川運河を使った水上交通発着場まで想定した④親水・都市防災ゾーンに分けて整備する青写真を公表している。◆なるほど懲りない箱モノ行政の典型のような御粗末さには、背筋が寒くなる。名古屋駅からの立地も中途半端で周囲を鉄道線群や操車場、都市高速に囲まれた閉鎖的な立地で駅前再開発の波も及びそうにないから、道州制をにらんだ官庁街にしてはどうか。名古屋城南に隣接した"三の 丸"エリアにある県庁や市役所同様、老朽化が進んだ政府の出先機関までを道州制導入を 機に整理統合すれば、遠来の人々のアクセスも向上する。◆地下鉄も整備された栄地区の繁華街と市役所周辺の連続性は、ささしまライブ用地に比べ民間による有効活用がはるかに容易だとの指摘はそれなりの説得力もある。折りに触れて岐阜からやってくる生活実感はわかりやすい。「官庁街を移すことで行政の中身が変わるかもしれない。人の考え方や視点というものは毎日見ているものに影響される。今の三の丸からは、どの方向も緑豊かで整然とした景色が広がるが、ささしまライブからはどうだろう。きっと東側と西側では見える景色が全く違うはずだ。地下鉄の路線図ひとつ見ても、名古屋という都市がいかに東ばかりに目が向いていたかがわかる」。

 ◆移転費用についての試算もまずは念入りで、愚直を地でいっている。三の丸周辺売却で3000億円を調達して、ライブ用地を600億円で買収して出る2400億円で移転建設費をま かなう算盤を弾く。だから「費用はかからない」、三の丸の三分の一という笹島跡地の狭さは高層化で帳尻が合うはずだとの御託宣である。とはいえ、前者の六万坪を坪単価500 万円、後者の2万坪が坪300万円で算出する根拠は、官製地上げの「胡乱に扁舟を把って 繋住する」実態からすればいささか説得力に欠ける。◆しかし、伊勢湾台風の強迫観念に名鉄と近鉄の権益地図がのしかかり、東にだけイビツに延び切った地域開発の方程式も万博で一段落したのは事実である。東海銀行と名鉄が割れ鍋に閉じ蓋よろしく地元プロジェクトを仕切ってきた五摂家時代も今は昔ながら、かねて提唱してきた庄内緑地周辺への官庁街シフトも都市景観に欠かせない親水では一日の長がある。水利権を放棄して久しい庄内川の水質も、食べられたものではないにせよ鮎の回帰が取り沙汰されるほど改善されている。◆ともかくも、江口某による一連の提言が愉快に爽やかなのは、官僚の権益意識や中日などへの官有地分配のしがらみを呆れるほど無邪気に無視しているせいだろう。蛇足ながら三の丸に関しては、旧陸軍錬兵馬場だったとか聞いている、低層の公務員宿舎群が手付かずで放置されていることも無視できない。

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¶ニュースの死角  OI! 
 ◆ニュースの感覚に関する限り、およそ日本人は木を見て森を見ない。いや見ようとしたがらない。責任の所在を曖昧さの中に閉じ込め、パロマや岐阜県の裏金事件のように何か表面化すると、木だけを切り倒して、生態系の迷宮には踏み込ませない。ムラ社会の知恵が誰も全体を見渡せないところで、建前の断罪を取り繕う。◆それを助長して、社会正義のような顔をしているテレビ局のワイドショー感覚が、ニュース番組のゲストコメンテーターたちにしたり顔の意見を求める。ニュースというものは、そもそも正確に原稿を読んで最低限のアドリブを加えれば済むはずのものではないか。こうした悪弊は活字メディアまでを呑み込んで、記者の自己責任では決して完結しないことが当たり前になりかけている。◆時代への無頓着と無理解が、しつらえられた国民性そのものまで蝕む病根となった。それこそが、大東亜戦争の引き金を引き、靖国神社問題のヌエのごとき不可解さを演出している。感覚を研ぎ澄ました哲学不在は美意識だけなら評価されても、哲学的思索の放棄は、論理矛盾を承知で憲法九条の理想主義を筵旗のように押し立てる政治的無邪気さに似ている。かてて加えて、日本民族という明治維新の発明がこの国に特有の政治的日和見とファジーを加速してしまった。

 ◆大阪的なだし味のうどん、醤油味が特徴の東京の蕎麦文化に代表されるように、この国には少なくとも東西の対立軸が厳然と存在する。それらは日本海側と太平洋側では自ずと別の嗜好や生活文化を産み出したし、中国と四国を跨いだ瀬戸内圏なども揺るがせにはできない。おおまかに俯瞰するなら、大和朝廷の残滓を色濃く残す西日本は弥生世界であり、彼らに征服されていった東日本は縄文世界だと解説する学者もいる。◆弥生人が上下の秩序に縛られ貧富の格差社会を是認したのに対し、縄文人らは人間は平等だと考え自然と調和した生き方を重んじた。考古学的にも裏打ちされた歴史である。興味深いのは大和に先んじ古代神政制を敷いたとされる出雲朝で、彼らは大国主命を最高神とする地域のまとまりを内向きのベクトルとしてだけとどめた。四世紀半ばには壮麗な祭祀の伝統を残して、大和朝廷の傘下に組み込まれた。◆その証左と言うべきか、出雲の末裔たちの方言アクセントは東北弁に似ているという。信心深く人情細やかだが、閉鎖的な郷土愛を伝統にしてきたからこその歴史的奇跡と呼べるかもしれない。同じ島根県でも石見や隠岐地方は関西弁に近く、山国で古来行商や漁業を得意として石見気質は楽天的で出雲に比べればはるかに開放的だし、島国の隠岐の人々は素朴だが島を出たら成功するまで帰ってこないという意気込みをみせるという。

 ◆平成の世の中になっても、出雲の公式行事では大社の宮司が県知事の上座に座わるほど重んじられているのも、思いがけない伝統の力である。ことほどさように日本人のありかは多様なのに、田舎の伝統祭事までが市町村大合併の再来で再び、葬られかけている。合併した自治体の内実というものは、押し並べて責任のなすり合いばかりが目立つ。◆ジャンケンで収拾したという酷いが、いかにも多様さを担保するムラ社会共存の知恵を垣間見る現実もある。グー・チョキ・パーの秩序感覚は、日本的三竦みのどこにも責任者がいない世界をすべからく担保してきたのである。戦国時代の農民がピクニック感覚で軍事衝突を見学したのも、山崎合戦や小早川秀秋の故事も縄文と弥生のDNAが交錯した生きるがための文字どおりの日和見主義である。◆そもそも、古来からコメ文化圏の政治はおしなべて日和りを占い、時に雨乞いに狂い踊る。丸山真男や山本七平ら先人の思索的営為も虚しく平成の若者たちの無頼ぶりは、住民を踏みつけにして憚らなかった沖縄戦下の秩序喪失の狂気と軌を一にしている。たとえば高速道路の不正突破が地元だけでも十万件近いとの統計が公表された。◆ETCの強行突破は万引き感覚で呆れるし、旧公団の不実を咎め不払い宣言を言い訳に有人ゲートを通り過ぎるなら、高速道路を利用しないでおくのが筋である。それどころか、一度や二度なら摘発もされまいと図に乗る愉快犯を誘発する世相のアナキズムに二律背反はつきものらしい。◆結果としてマスコミ報道が手口を教える少年犯罪と同様の死角は、総会屋とヤクザを締め出し過ぎた企業や社会のトガメにも似ている。日露戦争への反対トーンを一変させた朝日新聞の内実はポピュラリズムに迎合する販売促進だったし、支那事変以後も朝日は戦争礼賛で発行部数を倍増させた。お祭り騒ぎで緒戦の勝利を楽しんだナショナリズム宴のあとを襲ったのは、権力テロの前に日和見を演じて嵐を生き延びる才覚を磨くことだけだった。それらは丁半博打ですらない歴史の試練だった。

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¶SUMMING UP 
 ●大手商社主導の流通再編が加速している。原油高騰の焼け太りによる潤沢なキャシュフローが原資というのも皮肉である。象徴的なのは再生機構から丸紅が筆頭株主に躍り出てトップ以下、役員三人の派遣でダイエー丸抱えが鮮明になってきた。しかも、10月にもイオンや米ウォルマートへの株式10%売却で提携先模索が俎上にのぼっている。●もともと再建スポンサーで連合を組んできた、投資ファンド・アドバンテッジパートナーズとのタッグ続行も検討された経緯があり、その資金の行方も不気味である。三井物産はヨーカ堂やセブンイレブンを傘下にもつセブン&アイ・コーポレーションにおもむろに資本参加し、三菱商事が昨年ライフの持ち株比率を引き上げた。このほか、伊藤忠もコンビニ分野で地元ユニーとの関係強化に踏み出している。●リストラの断行で真珠湾奇襲成功の幻想から大手スーパー四位に掏り上がったユニーは、ミッドウエー盲敗のような人材払底の時限爆弾を抱え込んだまま、東海銀行解体と同じ憂き目さえ近づいてきた。急成長株のバローが業界再編の一角を賑わしそうなのも、もともと主力行が農林中金で政府系金融解体のなかで、いつ何時外資が登場しても不思議ではないからである。ダイエーが嚆矢をはなったGMSの業態陳腐化とスケールデメリットは、いよいよ外資ファンドを巻き込んだ構造改革を隠れ蓑にしてベンダー再編に直結していくに違いない。       

 ●松坂屋の自社株公開買い付けの雲行きが怪しい。七月下旬に着手して以降、TOB価格741円を一気に抜き去り、850円前後でもみ合いながら900円から大台乗せまでうかがう勢いなのである。実質的な筆頭株主だった村上ファンド元代表・村上世彰被告の逮捕後、600円台で落ち着いていただけに、市場関係者も首をかしげている。●「第二の村上出現/…警戒感も」と囃子たてる新聞論調まであって、TOBそのものが裏目に出かねない最悪の事態まで織り込んだミニマネーゲームとの観測もあがった。八月早々にはTOB開始と前後して、村上ファンドの持ち株比率が9・90%から7・05%に下がったことが大量保有報告書で判明した。●にもかかわらず、株価は800円に迫る一方、TOBに応じなかった村上サ イドの大部分の持ち株は、相対取引に持ち込まれたとの憶測が水面下の疑心暗鬼を増幅してしまった。もっともその売却先は、八月末に株主名簿を作成する時点であっさりベールを脱ぐ。ただ、「村上ファンドが売却していることが、当社株の流通性を高め株価の上昇につながっているのではないか」とコメントしてのける松坂屋幹部のお気楽さには閉口させられた。●持ち株会社化のスケジュールが公表されていたタイミングも微妙だった。アナリスト筋は買い付け価格を30円上回るだけでも椿事だとばかりに、取引先企業の買い支え説まで苦し紛れに披露していた。一株あたりの平均取得額845円以上を提示して折り合 い不能とみた村上サイドが、名古屋地裁に買い取り価格決定を申請したのは両者の思惑のすれ違いを白日の下に晒し直した。●裁定価格での買い取り義務がある松坂屋広報の「特殊な状況が終息に向かっている」などというコメントも呑気を通り越した田舎臭さで呆れるばかりだ。それでなくとも外資攻勢に揺れる流通分野は、日米同盟に見え隠れする属国化への傾斜でますます波間に漂っている。

 ●中部商品取引所による大阪商品取引所の吸収合併のスケジュールが、来年早々で固まった。それにしても「中部大阪」を冠する新しいタイトルは、まことに居心地が悪く語感もよろしくない。なるほど合併による妥協の産物なら、東海東京証券のような前例もあるにはある。しかし、それもこれもあくまで過渡期の暫定措置のはずである。●もちろん本拠地は名古屋のままだが、いまや石油製品が主力となった中部商取には旧名古屋繊維、名古屋穀物、豊橋乾繭の三取引所合併時の上場商品は全て姿を消している。それでいて三所統合が1996年だし、2000年のガソリン・灯油の新規上場からでもさしたる歳月は実感できない。矢継ぎ早の海外との提携模索や、世界初をうたった鉄スクラップの先物市場開設などの積極策も、取引単位の小型化を工夫した石油への傾斜で国内二番手シェアを稼ぎ出した幸運があっての結果論にすぎない。●たしかに内実は、天然ゴムやアルミ・ニッケルなど五商品を扱っている大阪側が、市場間競争からピーク時の四分の一以下に低迷して、中部サイドに擦り寄るように申し入れた合併ながら、世界指標だった名繊・毛糸市場の毀誉褒貶を肝に命じてほしい。「大阪取引センター」でゴムやアルミニウムなどの商品取引をあらかた引き継ぐ新体制にも疑問は残る。久々の関西との連携案件だけに、いたずらな拙速と妥協は地域の足枷にすらなりかねない。     
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¶EDITORIAL 夏炉冬扇
 ▼どうやら日本は単一の言語・文化をもつ民族国家ではない。島国という地勢にも助けられて、明治維新後の欧米文明受容のなかで喧伝された和魂洋才じたいが、西洋とのコントラストのなかで仕立てられた民族独自性のプロパガンダだった。日本文化論の武光誠さんの主張は、ナショナリズムを煽り立てて護憲を反古にする政局の死角をついている。


▼江戸期の幕藩体制がそれぞれに擬似"国家"を意識していたように、室町までの日本は荘園性の尻尾を引きずった盆地世界のモザイク的累積で成り立っていた。尊皇攘夷が開国に掏り変わったペテンも、内実は大和朝廷幻想を錦の御旗に持ち出した関が原の意趣返しだったと考えてみてはどうだろう。


▼幕末以来の政治テロの伝統が、またぞろ蠢きだした世相も不気味である。かねがね空論の系譜と呼んできた「武士に非ず」とか非国民、国賊の罵声で歴史を決する悪弊も、どうやら意見が対立すると怒って「議を言うな」と席をたった薩摩の泥臭い慣行がルーツらしい。天皇を祭り上げて現人神に仕立てて行く過程で、薩長軍閥にとっては誠に好都合な民族主義連呼は、言論封殺と表裏一体をなすレトリックだった。


▼それはあくまで政治的タテマエだったので、明治人まではそれを承知で国家主義を演じていたと考える方が自然である。手品の仕掛けも知らず、負けなかっただけの日清・日露戦争後の大国幻想に、手前勝手にのめり込んでいった軍部の狂信に振り回され続けた日本人も哀れである。敗戦のような受け身の被害分配だけを通じて、国のまとまりが担保されるのも皮肉にすぎる。


▼しかし、否定を通じてでも、日本人を歴史的に位置づけるような座標軸と思想的伝統は皆無だと、丸山真男さんは喝破した。1961年にまだ一冊百円だった岩波新書から上梓された『日本の思想』の衝撃は大きかった。靖国の亡霊に揺れたこの夏、天皇機関説のいまさらながらの意義に思いをめぐらしながら、安保の世相を反映してか高校時代の現国の副読本だったこの本をじっくり読み返した。  (す)
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 中部21世紀フォーラムのメーンセッションの一つである『フォーラム21』の月例会は第四木曜日開催を原則にしており、とくにご要望がない限り変更はございません。したがって来月のスケジュールは9月28日となります。例会場のAPAホテル名古屋錦(旧名古屋不二パークホテル052ー962ー2289)5F「錦の間」にて、午後6時半より二時間程度を予定しております。お問い合わせなどは、 Eメール c21f@web.co.jp、または菅澤正雄事務所までご連絡下さい。なお、弊フォーラム・公式ホームページ『Paradigm21・Web』に未掲載の月報はhttp://c21f.exblog.jp/ にて仮公開させていただいておりますほか、ミラーサーバー http://blog.goo.ne.jp/c21f も稼働を始めました。

【Paradigm21は、民間オンブズマンとして会員への言論啓蒙だけを目的としています。世論形成をめざしたモニター配信は、事務局と各委員会の諮問にもとづき決定されております/ 表題のパラダイムとは、世の中の規範や枠組みを意味し、その変化を表す言葉です】
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NO.291 2006年(平成18年)5月25日【VOL31-5 第5版】

   中部21世紀フォーラム月報 INDEX FAX                                          ◆◆◆◆◆         
  発行/C21F会報編集委員会 代表世話人/ジャーナリスト 菅澤正雄
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今月の話題
 ◆銀座松坂屋の高層化計画に地元商店主らが「景観が壊され銀ブラの楽しみも損なわれる」と反発、中央区までが銀座ルールを見直して不認可の方針を固めた。190メートルの 高層ビルへの建て替え計画は鼻から暗礁に乗り上げてしまった。従来の都市再生特別措置法などに高層化を認める例外規定の廃止で万事休す、の四面楚歌なのである。騒ぎを見越したかのように飛び出したのが筆頭株主に躍り出た村上ファンドの不気味な買い占めだから堪らない。◆役所リークで一連の報道が表面化する直前の四月中旬には、証券アナリスト向けの決算説明会で岡田邦彦社長(写真)から説明を受けた面々から「松坂屋に銀座を生まれ変わらせるような、革新的な再開発が出来るかどうか疑問だ」とばっさり切り捨てられる一幕があった。反論というより、壊れた時計仕掛けのように「勝算あり」とだけ繰り返した不思議な自信を、「東京での企業評価とのギャップを垣間見た」と漏らしてくれた人もいる。◆いわゆる銀座ルールは98年に景観統一のためにビルの建て替えに規制を設けたもので、都市計画法に基づく条例化が根拠になっている。それでなくとも丸源が跳梁しサラ金が跋扈して、古きよき銀座は遠くなりにけりのご時勢である。道路幅に応じ高さ最大56メートル、容積率1100%までに制限することで行政と住民の足並みが揃っているのだから、村上ファンドの恫喝を恐れた悪あがきも大概にしておくべきである。

 ◆たしかに昨年秋、銀座八丁目にオープンした高さ120メートルの銀座三井ビルなどの 例外もないではない。再開発地区が都計法の特定街区などに指定されると、例外的に高層ビルが認められるからだ。しかし、名古屋でさえ不毛の不徳を連発して憚らない岡田体制が、銀座に連綿と地縁を築いてきた三井ほどの政治力と"徳"を合わせ持つことなど悪趣味なシュールリアリズムとしか論評しようがない。◆禁止区域は昭和通りより西の銀座中心部で、商業ビルを十階建てにあたる56メートル以内に一律に制限するため、年内にも新ルールを適用する方針という。つまりはタワーズ出現以前の名古屋駅前の景観イメージである。松坂屋側の呑気な夜郎自大の反発は、理想主義者ではあっても商人の才覚が欠落した岡田邦彦さんの不幸な欠点を炙り出すばかりに思えてならない。◆対照的に三越銀座店の増床計画は、本館と裏手の別館を一体開発して売り場面積を大幅拡充しながら、高さ制限を掻い潜ってみせた。もちろんこちらは、あっさりゴーサインが出る模様で、松坂屋サイドのゴネ得の分は悪くなる一方である。いまや野放図だった看板などの屋外工作物規制まで新ガイドラインで取り沙汰され、住民代表で組織する「銀座デザイン協議会」とやらで俎上にのぼっているのだ。

 ◆ともかくも、理解得られるよう努力すると再三言明しながら、高さ約66メートルの箱形ビルやくだんのお手盛り高層ビル案に固執するばかり。果ては「高層計画が認められなければ、銀座店の収益力は改善しない」との根拠は、本業そっちのけの地上げバブルよろしくホテルやオフィスを入居させるデベロッパー発想でしかない。◆もともと撤退の風評まであったにもかかわらず思い込んだら命懸け、その一辺倒をまるで譲る気配がなく、高層化=銀座店の赤字脱却の妄想に取り憑かれてしまった現状は哀れさえ極める。2010年のリニューアルオープンをにらんだ逆算そのものが、地域感情を逆撫でするだけの不粋さとなることをよくよく考えてほしい。三月末に指名公表した茶村俊一専務(写真60)を社長に昇格させる若返りも草臥れたような表情からも明るいばかりではない。◆逆にもう70歳という割に若々しい岡田さんの理想主義の前では、本店長を経験するなど現場にたけた現実主義は「やりにくければグリップを強める」だけとなりかなない。いかにも面白みには欠ける本店営業部長の登板だったが、代表権のあるナンバー2として昨年六月セントラルファイナンスの社外重役に就いた時点で、それなりの可能性は取りざたされていたことも見逃すべきではなかろう。それにしても会長・社長以下、代表権のある小林允・川中英男両専務を含めて大半が執行役員というのも、はめ殺しの納骨堂のような本店正面同様、おかしな光景である。

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 ●三菱UFJ証券社長に東海銀行出身の青木広久専務執行役員(56)が昇格する人事は、旧東海陣営にとっては久々に明るいニュースである。しかし、昨年10月の旧国際を母体にした三菱証券との合併から半年あまりで、前任の藤本公亮社長(63)がいきなり退任するのはいささか不可解だとの声が上がっているだけに、今後の処遇に畑違いとは別の不安は残る。岐阜県生まれで東大法卒、昭和47年入行後ニューヨーク支店長代理などを経て東南アジア母店長をこなした国際畑一筋。常務執行役員から2002年の旧UFJつばさ証券発足にともない専務執行役員で転出している。●東京本部では四期年上の土川ジュニアが次長で仕切っていた時期に、外国営業二課長として知遇を得ており、明るいが線の細い最後の青年将校世代との声がある。しかし、事実上グループを離脱しながら人的関係は続いている、旧丸万の流れを汲む東海東京証券との仕掛けを任されたのではないか、との憶測も一部には出てきた。


●名古屋市内の貸し出しシェアでは、地元三県の地銀・第二地銀9行が三月末時点で三菱東京UFJ銀行を上回り、旧東京三菱銀行との合算でも前年同期9.0%減 少して32.3%まで下がり続けている。この分母にして実に、一年で2.6ポイントもの低下である。どこか貸し渋りを鮮明にしながら、収益基盤の強化に乗り出しているのは、地域にとってもグループ基幹企業のトップに座わった青木さんにとってもいかにも皮肉な現実だろう。●ついでながら、地元金融界では名古屋銀行も、24年ぶりのトップを交代を発表した。満州馬族の倅との微笑ましい風説もある加藤千麿頭取(68)が代表権をもったまま会長に退き、後任には簗瀬悠紀夫副頭取(60)を昇格させる。加藤二世も第二地銀協会長や全銀協副会長をつとめるなど、業界では重鎮の一人としてそれなりのプレゼンスと貫禄が出てきた。夜の社交界でも艶名を馳せているだけに、「体力の限界」を口にしつつも実質的には院政を敷くだけで実態は何も変わらないとの観測がある。滋賀大OBの梁瀬さんは加藤家の遠縁にあたり、名銀の指定金融機関騒動で話題を撒いたあの旧下山村出身である。およそ蛇足だが、時代がかった頭取の肩書きはそろそろお役御免にしてもらいたい。

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 ●人事の季節の中で、日本車両製造では生え抜きである生島勝之常務のトップ昇格が公表されている。昭和44年阪大工卒で鉄道車両の本流を歩いてきた人で、62歳とさほど若い印象はないが、伝統の名門企業からすれば立派な若返り人事と評してよい。現在の本社を建て替えるまでは、冷房は30度まで入れず木造校舎のような応接室では来客に軍隊湯呑みを出す昔ながらの気風がのこっていた会社である。●もっとも周囲が驚いたのは、JR東海から転出していた松田和久社長(写真)が会長ポスト空席のまま、いきなり取締役相談役に棚上げされることだろう。代表権のあった二人が同時に返上するというのは、いささか荒ら業の印象を拭いきれない。たしかに国鉄OBだった篠原治さんの跡をうけたプロパーの清水靖夫社長は会長になってすぐに、今回の人事の道筋をつける目論みがあったのか、早々と相談役に退いている。


●中部経済同友会の代表幹事をこなして、財界活動入りを期待されていたタイミングはおよそ意表をついていた。しかし、生島さんの二年先輩で管理畑の"キタニアン"川竹真二郎・常務が副社長に持ち上げることから、前任者の木内公さんまで相談役となる。寝業師の清水さんを含めて総勢四人という相談役の"量産"は、合併企業でもない限り、やはり異様な椿事である。●天野一族のオーナー経営知られたかつての来歴も、はるかに今は昔。ともかくも名工建設のような旧国鉄=JR東海支配のくさびだけは、当面取り除いた恰好となった。ちなみにJR東海の持ち株比率は1%そこそこにすぎない。それにしても、天野ジュニアが在籍していたことさえも知らない広報マンが「会長などなくとも何の問題もない」と言い放ち、平然と跋扈する会社になっているのはグローバリズムよろしき諸行無常の証左なのだろうか。
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ニュースの死角  
 ◆数年前まで、東京へ出張すると世田谷の三軒茶屋で、一週間ほどの長逗留を決め込んでいた。桜田門外の変にゆかりの彦根藩が治めていた地域で、首都高のある大通りを一歩入れば、江戸時代の区画がそのまま残っているような風情の土地柄である。商店街も不思議なほど昭和30年代と変わらない時代がかった魚屋や八百屋がそのままである。地方へ行くとすっかり金太郎アメに町並みを変えてしまうチェーンストア・ビジネスも、区画から道路まで万事手狭な事情に助けられてコンビニと弁当屋が居心地悪そうに並んでいるだけだった。◆大衆消費社会を支えた資本主義が爛熟すると同時に、世の中から屋号をもった個人商店がばたばたと消えて行った。牛乳や生鮮食品、果ては駄菓子まで時代の鋳型にはめ込まれたチェーンで購われ、洗濯屋や蕎麦屋までが資本の弱肉強食に翻弄されている。バブル期に青春を送ったホリエモン世代が、時代の空気に追い立てられるように迷い込んだ資本主義の迷宮と末路への予感である。◆しかし、なんと言っても街並みと光景を最も蝕んでいるのは、サラ金看板の乱立とけばけばしいパチンコ店の増殖だろう。彼らもまたチェーンビジネスの落し子である。京都でも高山でも観光資源のためにも、景観保存に余念のない土地にもそれらは必ずあるが、サンチャの場合と同じでどこか肩身を狭くさせるだけの地域の雰囲気というものがある。これらを敢えて地域のチカラと呼びたい。◆おしなべて、古いものを時代に寄り添わせて残して行く原動力のひとつは地域の祭りである。そこから親近感と共同体が生まれ、日本的なモノクロ原風景が支えられる。戦前から山車行列が自慢だった、名古屋祭りを旅回り芝居もどきのグロテスクな仮装行列にしてしまったのはデパート資本と小役人だが、それは伝統のからくり人形を鉄とコンクリートで閉じこめてしまうような困った猿知恵だった。高山のように再び山車を祭りの主役の蘇らせるべきだ、とかねがね考えている。

 ◆赤や虎もどきの派手なサラ金広告の氾濫が、時代の光景として街並み景観ばかりか世の中そのものを蝕んでいる。出資法と利息制限法という曖昧さを放任してきたこの国の金融行政も不可解だが、その理由の大半は天下り先でもある銀行系列のカード会社が、サラ金並みの割賦や融資で潤ってきたからにすぎない。そもそもグレー金利など論議以前のテーマだし、税金投入で生き延びた銀行からせいぜい2%かそこらで調達した原資を、返す当てもない庶民に30%近くで貸し込み借金漬けにして搾り取る。◆絵に描いたような悪徳のビジネスモデルに大卒社員が疑問を抱かないのは、メガバンクの傘下におさまった振りをして、銀行と変わらないようなコマーシャルが氾濫しているからだけではなかろう。株式公開を間近にするとパチンコチェーンにまで就職で殺到するほど、大卒の値打ちじたいがかつての高卒並みにデフレ化し、ゆとり教育とやらで社会の幼稚化はますます深刻になってしまった。ホテルのロビーのような三菱UFJの富裕層向け豪華店舗の出現も、東海銀行のDNAならあり得なかったような差別化である。松坂屋の別館地下にディスコが蔓延るテイタラクを嗤えない。◆もちろん、欧米モデルの商売としてそれは間違っていないものの、本来日本人を支えてきた儒教的な徳の思想が、アングロサクソンもどきのあけすけな損得勘定にすり替えられてしまったところに病理がある。小説家の夏川関央さんに言わせると「儒教は法治ではなく人治」だから、近代法治国家を標榜する和魂洋才は二枚舌の上に成り立ってきた。まぎれもなく、日本の近代化の要諦は法治を建て前にした人治主義だった。だからこそ、それでも武士か非国民という一喝に竦んでしまう"空論の系譜"も説明がつく。ただ徳などというものは形なき権威で、そこで天皇家を胴元にした家の思想が装飾として必要になる。実態はともかく、せめてもの自称である二宮尊徳が下世話に偉人でしかないのも頷けよう。

 ◆実は電力・ガスに限らず、銀行も鉄道会社も百貨店までもが、ある意味で徳を備えた公益事業たらんと自覚していた。トヨタが台頭するまで名古屋に君臨していた五摂家が、功利主義の損得だけで動けなかった、あるいは動かなかったアイデンティティーがそこにはあった。悪徳を自負するような輩は別にして、かつては高利貸したちにさえ、稼業への後ろめたさと裏腹の、世間への憚りと遠慮があったという気がしてならない。それをぶち壊したのも、氾濫するマクドナルドや牛丼屋の看板のごときチェーンビジネスの錯覚である。◆それらは意外にも視覚から世間を麻痺させてゆく。三菱のシンボルカラーで統一された旧UFJの店舗に、逆さクラゲがトレードマークだった東海銀時代のノスタルジアの欠片さえ感じさせない違和感が拭えないのも同じ理由からだろう。地元ユニーは暗黙でジャスコや旧ニチイと棲み分けの紳士協定を結んでいたものだったが、ジャスコやセブンイレブンの大量出店は地域の印象まで様変わりさせている。◆名古屋駅前の景観を10階で揃えてきた規制も、時代遅れといえばそれまでながら、国民資産をわがモノにしたJR東海のタワーズが白い双子の巨塔として聳え立ったのを皮切りに、当てつけのようなトヨタの浅黒い巨塔も出現した。それでも、かつては東洋一のターミナルと胸を張ったビルに、サンタ柄のバスが階段を上がるようにとことこ駈け登って行く光景は相変わらずだし、ビジネスホテルの林立する駅裏の景色もさほどに変わり様もない。むしろ、JRも名鉄も二両連結の電車をちんまり走らせている。この田舎臭さにほっとするという人は少なくない。弓型を取り入れた牛島ルーセントタワーの愛敬のある姿を含めて、この光景に誰もが郷土意識を感じる時までまだまだ時間がかかりそうである。

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 SUMMING UP 
 ●ポッカコーポレーション堀雅寿社長が前期決算発表の席上で「三年以内にも再上場のレベルに持って行きたい」と言及して話題になっている。経営改革を眼目に経営陣による企業買収(MBO)を行い、昨年末に上場廃止を仕掛けたばかりである。前三月期連結売上高は0・1%減の982億円、最終税引き後利益は19億円と株式売却益により前期の赤字から、黒字転換したのはたしかである。しかし、大きな話題を巻きおこした米国手法による非公開化から、わずか半年で再上場を口にする無節操はあまりに資本市場を愚弄している。

 ●中日新聞社の組合差別が槍玉に上がっている。新聞労連と東京新聞労組が救済を申し立てていた複数の事件に関して不当労働行為を認定する東京都労働委員会が救済命令を出したのである。東京本社写真部記者が2003年夏に大阪支社へ不当配転されたケースでは、中日労組(新聞労連未加盟)を脱退し東京新聞労組に加入した前年秋、当時の写真部長が「お前なんかいつでも飛ばせる」などと恫喝したらしい。●とりあえず原職復帰は棄却された痛み分けだったものの、旧都新聞の吸収合併以来の軋轢を再燃させかねない。業務用携帯電話の基本料個人負担化に及んでは、手法そのものが幼稚な合理化で呆れてしまう。しかも、地元労組とは事前協議を重ね、東京サイドには当て付けのように「労使協議事項ではない」と団交を突っぱねている。あろうことか、会社負担とされた業務通話料や留守番電話設定料についても経費支払いを拒否するに及んでは、メディアとしての見識を疑われるだけの無分別なオソマツである。

 ●中部商品取引所では昨秋世界初が触れ込みの鉄スクラップを上場したが、“産業インフラの中商取"のブランド確立に向けて、業界初のサポートナビプログラムなどを打ち出し ている。新手の委託者向け「夢∞(無限大)キャンペーン」は、5月から二か月の期間中に応募規定にある取引に応じ、抽選で毎月百人ほどにサマージャンボ宝くじをプレゼントする。証券界ではありふれた手練手管だが、官体質の脱却をめざして株式公開を視野に入れているのは、リップサービスで知られる経産省の天下りトップらしく目立ったものになっている。              ●●●

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EDITORIAL 夏炉冬扇 
 
 ▼日本中いたるところで、近隣や子どもを巻き込んだいかがわしい手口の事件が増えている。一億総中流の共同幻想が、いともあっさり格差社会へひた走っていることへの罵りと反感は、意外なほど社会を蝕んでしまった。敢えて社会の底辺からの嗚咽と呼んでもよかろう。時代のヒステリーなどとという生やさしいものではない。過疎地域医療のモデルケースと言われた北海道せたな町診療所の蹉跌は、行革のアメと鞭になす術がなかったという点で現代の縮図となった。

▼市町村大合併という米国手法の功利化に日本的なムラ意識がからめば、ヤクザのシマ争いとかわらぬ莫迦げた多数決と力の論理が地方の光景から住民感情までを蝕んでいくのは分かり切っていた。開拓使官有物払い下げにまつわる薩長悪乗りの後始末よろしく、10年も先の国会開設と抱き合わせだった明治14年の政変を思い起こさせる。

▼中韓との近隣友好との建て前も、政治家のその場しのぎに付き合うだけのメディアの見識こそが問われている。なるほど戦後占領政策の落し子だった教育基本法見直し論議がくっきり影を落とすほど、マスコミに限らず時代を担うべき人たちとって、あるべき国際関係への言及は不能命題となってしまった。

▼北朝鮮などは実刑判決を受けた奈良の騒音オバサンと同じような迷惑な存在だが、だからと言ってきな臭い軍国主義の手垢の残る"愛国心"を持ち出せば逆効果になりかねない。それは顔に日の丸をペイントして悦に入っている、サッカーワールドカップに熱狂する若者たちの遊び心で十分である。中国との海底ガス田紛争も韓国との竹島領有権問題も、白村江から文禄・慶長の役や江華島事件にいたる顛末をなぞらえれば、日本特有のアナタまかせで無責任、不揃いな外交ポーズのなせる業にすぎない。

▼かといって彼らだけを責めるのは酷で、もともとは馬鹿ではなかったはずの外務官僚をダメにしてしまったのも、この国のかたちである。およそ外交なぞというものは古代以来、軍事バランスとの二卵性双生児として継承されてきた。それとて、無用な戦争を回避する打算と詭弁が産み出した、妥協の産物なのである。しかし、硬直した日米安保のもとで無邪気にベルサイユの呪文のような憲法九条を筵(むしろ)旗のごとく押し立てているだけでは、経済力の圧倒的優位が崩れた国際政局のなかで「イワンのばか」の二の舞いしか待っていない。

▼占領下のご都合主義でないがしろにした国民的不戦の願いも、構造疲労から行き場を無くし始めている。悪趣味な手品のように降って湧いた戦争放棄を横目に、姑息な既成事実の積み上げしか出来ない防衛庁の省格上げや陸海分割が画策されているのも不気味である。もはや飽和化して官製地上げの様相まで帯びてきた地下鉄の延伸に、共産党までが拍手を送る。こうした愚者の楽園に明日などない。われわれは不戦の理想と現実にまっすぐ向き合うこともなく、戦後のいじらしい反省だけを後生大事に抱き締めてきただけである。

▼ベルサイユ体制と違って危うい僥倖だけに支えられた不戦の成功体験は、日本人を太平洋戦争と同じ歴史的迷妄に駆り立てているのではないか。「成功は失敗の母である」という逆説を言った人がいる。日清・日露の勝利幻想が大東亜共栄圏への野心を担保したように、本来はつましく健気な職工視線の節約の便法に過ぎなかったトヨタかんばん方式が最強と持て囃されるなかで、GMやフォードの凋落から何を学ぼうとしているのだろうか。豊田章夫さんの時代は目前である。  ▼▼▼(す)


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 中部21世紀フォーラムのメーンセッションの一つである『フォーラム21』の月例会は第四木曜日開催を原則にしており、とくにご要望がない限り変更はございません。したがって来月のスケジュールは6月22日となります。例会場のAPAホテル名古屋錦(旧名古屋不二パークホテル052ー962ー2289)5F「錦の間」にて、午後6時半より二時間程度を予定しております。お問い合わせなどは、 Eメール c21f@web.co.jp、または菅澤正雄事務所までご連絡下さい。なお、弊フォーラム・公式ホームページhttp://c21f.web.co.jp/ 『Paradigm21・Web』に未掲載の月報はこのサイトのほかミラーサーバーhttp://blog.goo.ne.jp/c21f でも仮公開させていただいております。

【Paradigm21は、民間オンブズマンとして会員への言論啓蒙だけを目的としています。世論形成をめざしたモニター配信は、事務局と各委員会の諮問にもとづき決定されております/ 表題のパラダイムとは、世の中の規範や枠組みを意味し、その変化を表す言葉です】
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Paradigm21 中部21世紀フォーラム月報NO.289 2006年(平成18年)3月23日

No289 2006年(平成18年)3月23日【VOL31-3 第3版】
中部21世紀フォーラム月報 INDEX FAX                              ◆◆◆◆◆  発行/C21F会報編集委員会 3月31日改稿最終版
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今月の話題
 ◆中部経済新聞の一面を飾ったインタビュー記事で、JR東海の松本正之社長が「中部財界の重鎮の一人」(3/22)という枕詞で紹介されていたのは、いかにも首を傾げたくなる噴飯ものだった。たしかにトヨタが筆頭株主に座わって以来のここの紙面は、どこか専属広報紙の側面を帯びてしまった。とまれ、しょせんは豊田ビル再開発に連動したビル資産の買収に力点があったことは事情通の多くが知っている。◆三重県尾鷲の出身で、戦前の『ダイヤモンド』や『東洋経済』を経て雑誌『財界』を創刊した三鬼陽之助さんが、くだんの中経から呼び寄せた伊藤肇さんらが若い時期に洛陽の紙価を高めるがごとき働きをしたのも、今は昔。編集記者陣の見識以前と切り捨てられそうな椿事だが、実は葛西敬之会長(写真)を差し置いて、不可解な軽量級"重鎮"を演出した意図をおもむろに勘繰る向きもないではない。◆たしかに五摂家の崩壊のあと、JT体制といわれるほどJR東海はトヨタと並ぶ地域財界の大黒柱となった。しかし設計変更をしてまでタワーズより二メートル高くしたミッドランド・スクエアは、ランドマークになった駅ビルの眺望を台無しにしたし、それをJRサイドは「なんでも一番じゃないと気が済まないんでしょ」と皮肉に見ている。なるほど万博のさなかに醜悪な工事現場を晒してきた新ビルの威容は、出来上がってみると「見事に安っぽいカラスのねぐら」をイメージさせる代物である。

 ◆葛西さんとトヨタとの静かな軋轢は中電を含めた三社の合同プロジェクトとなった中高一貫校「海陽学園」をめぐっても昨年夏場から囁かれている。もっとも熱心だった中電の太田宏次さんが不可解な古美術品事件で財界活動から身を引いた直後から、葛西さんの教育論議はメディアでも突出しはじめた。◆同じ時期に毎日新聞だけが、出向していた文科省キャリアの働きを「官民交流法に抵触の疑い」(7/19)と、まくしたてたのも奇妙な偶然だった。ほかならぬ毎日は、旧豊田ビルと共同で新ビルを立ち上げたパートナーだからである。買ったばかりの骨董古美術を売り値で再査定させれば、それなりの差額が出るカラクリを承知で、朝日とともに太田事件を囃子たてたのも経済記事では永年、名古屋で泣かず飛ばずだった毎日だったという印象がある。◆JR東海の監査役でもあった太田さんに同情的だったと言われる葛西さんのビヘイビアに変化が出てきたのも、この頃からである。名古屋ネタに弱いと定評の一流とは言えない経済誌『財界展望』までが、これ見よがしに「好況名古屋の陰でトヨタとJR東海会長の確執が進行」と風船爆弾よろしき観測記事を掲げたのも奇妙な符合という気がしてならない。冒頭の松本さんに関しては、就任二年に満たないだけに「ようやく新社長のイメージが薄れてきたばかり」である。

 ◆ことさらに本物の重鎮に育ってきた葛西会長を差し置いての扱いは、単純なゴマ擂り提灯記事と素直に受け止めるのには誰でも躊躇する。両者の軋轢を敷衍するかのように、さらに吃驚仰天させられたのが月刊誌『WEDGE』四月号に掲載された「企業よ勝ち急ぐな/トヨタ軍団に影が差し始めた」なる事実上のトップ企画である。見出しだけを見るなら、サブトップのそれは「再生なった鉄鋼業界よ/今こそ攻めの投資だ」だから、ニュアンスの差は歴然である。◆いわくもいわく、急速な本体の戦線拡大・疲弊する部品企業にさらなる"負荷"、レクサス投入を早めた背景に国内不振を託つトヨタの焦り、量を追って品質劣化してはブランドに傷、とボロクソ論調でたたみかけている。新幹線のグリーン車で無料配布しているこの雑誌がJR東海の広報別働隊として「勝ち急ぐトヨタには、足元を見直す冷静さが求められる」とまで喝破しては、逆に地域の盟友としての冷静さを失っているとしか思えない。◆冗談のような話だが、第一版締め切りの前日に取材対応してくれた広報マンは、"事件"の存在すら無邪気に知らなかった。役員はじめ大半の幹部からも、「葛西さん自身、事前に知らされていないだろうし、杞憂に過ぎるのでは」と呑気な反応が返ってきた。しかし現実に、記事に気づいた東京の連中から何本も解説しろ、とかの電話やメールが記者に舞い込んでいる。つまり、オレンジのペンキを塗り立ててシンデレラキャンペーンを張っていた民営化の意気込みと気概は風化してしまい、民僚意識が再び鼻につくほど跋扈しはじめている。

 ◆組織の世代交代と膨張と裏腹に情報感度は鈍くなって、初期脳梗塞のごとき事態に陥っているのかもしれない。そういえば、雑誌発行人もいつまにか初代広報部長でジェイアール東海エージェンシー社長の今村元さんから、編集長格の松本怜子なにがしに変わっている。この女史は創刊直後も日航機内誌からの"とらばーゆ"早々、リンナイの内藤明人さんを名商"会頭"と書かせてしまい、弁明に這いずり回るようなディテールの甘い人だという記憶がある。◆ともかくも、トヨタが権力の宙空に浮かんでいるのを見透かしたタイミングは、最悪と言わざるを得ない。『WEDGE』そもそもの狙いが旧国鉄時代の手垢を引きずった車内誌利権の反古にあったとはいえ、名鉄のラッシュ時並みのダイヤで16両編成の巨体を走らせている東海道新幹線じたいの"媒体"価値と底力は小さくないのである。毎月のように、グループの顔として葛西さんを祭り上げて顰蹙をかった前科も記憶に新しい。◆意外に知られていないが、葛西さんは財界代表ポストとして今年二月から国家公安委員に就任している。しかし「根っからの国鉄官僚としてはアメ玉をしゃぶらされているという感覚は皆無だろう」し、経団連会長会社からの暗黙の配慮だとも受け止めるはずもない。それならそれで、名古屋にとっておもむろに悩ましい暗闘となりかねないのが気がかりである。

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 ◆トヨタとの合弁ビルプロジェクトで毎日新聞の財界マターに関するビヘイビアに変化が出てきた証左というべきだろうか。毎日一紙だけが「東海三菱銀行・設立? 実現性ないよ」(3/22)なる見出しで東海銀行残党の動静を報じて注目されている。旧東海OBの間で三菱UFJフィナンシャル・グループ(MUFG)の傘下「東海三菱銀行」の設立を求める動きが出ており、松谷昭・元東海銀行副頭取や、東海銀出身で元東海総研理事長の水谷研治・中京大学大学院教授らの黒子役を炙り出している。◆りそなグループの「埼玉りそな銀行」を雛型に、金城湯池を蝕まれた東海銀行復権を画策しようとしているようだが、三菱東京UFJ銀行サイドの言質を担保に「時代錯誤で、実現可能性はない。懐かしいという人はいるかもしれないが、それを許してくれる世界ではない」(名古屋首脳)とばっさり切り捨てるというマッチポンプ記事である。名古屋首脳というコメントクレジットも嘘臭いばかりで、支援要請を呼び掛けている地元財界代表として箕浦宗吉名商会頭の「もう合併してしまったことで、変わらない」と不思議な発言を尾村洋介記者の署名入りで紹介している。◆もちろん「企業の経営危機の際、地域経済への影響を踏まえて対応するには地域に密着したそれなりのスケールの銀行が必要だし、名古屋経済の規模を考えると地銀では対応しきれない」との主張は、杉原武・前UFJホールディングス社長(写真右)らを中心にした水面下の復権運動としてわれわれも再三取り上げてきた。少なくとも松谷さんは歴代の人事部長では唯一、主流だった組合閥から拒絶されたいわくつきの人物だし、水谷某に至っては紛れもない加藤時代のA級戦犯なのだからお話にもならない。

 ◆なかんずく、表向き彼らが構想に加担しているとしても、それこそ「いまさらながらの罪滅ぼし」というべきオタメゴカシでしかありえない。しかも、このテーマにはMUFGが切り捨てにかかっている旧東海傘下の第二地銀である中京や岐阜の処遇が、喉に刺さった小骨のように悩ましく覆い被さっている事情を見逃せない。「これまで通り、応分のことをやらせていただく」と昨年秋、名証で記者会見した畔柳信雄社長は、中部財界とのかかわりに前向きな姿勢をみせた。◆2002年に三和銀と合併してUFJとなった後も、登記上の本店を名古屋に置いたことで財界活動への大義名分を残してきた。しかし、地元財界筋は「新銀行になって東海銀行のDNAは消滅しているし、従来と同じスタンスの財界活動などは期待しようもない」と自嘲気味に吐き捨てる。名誉顧問の小笠原日出男さん(写真左)は名商副会頭に居残り、中経連副会長ポストも杉原さんが検査忌避事件で辞退するまで旧東海の名跡を受け継ぐ指定席だったところに、ようやく二年ぶりに三菱東京UFJ銀行・名古屋駐在の佐々和夫専務執行役員が滑り込んだ。◆ただ、従来の枠を一人増やし定款定員いっぱいにしてまで、中西勝則・静岡銀行頭取を同時に登用したのは意味深長な牽制だとの声が聞かれる。小笠原氏の後継候補として佐々専務を打診していた名商も、格落ち兼任には否定的で梯子を外されてしまった格好となった。とまれ「新銀行は地元企業とは到底言えない。副会頭ポストどころか旧東海製鉄のように常議員が精一杯の落としどころ」というのがもともと名商首脳陣の本音である。

 ◆しかし、旧東海出身の佐々さんの早期更迭も囁かれるなかで、またぞろ名誉顧問などといった不気味なシナリオも見え隠れしてきた。三和や三菱人脈が伝統の名商副会頭に就くことなど「本音ではあってほしくない」といったアレルギー反応も財界筋から出ているだけに、まだまだ悩ましい話題だろう。◆「東海銀行からUFJになり、今度は三菱。やはり陰が薄くなってきたと言わざるを得ない」と述懐していた箕浦名商会頭が「会頭はもう無理でも副会頭なら」と口篭もってきたのは、日銀OBらしく地域金融プレゼンスへの期待を込めたリップサービスにすぎないし、副会長を13人体制にしてポストを空けている中経連も金融部門では百五などの存在感がにわかに大きくなってしまった。なるほど札幌、盛岡、仙台、奈良、高松などの商工会議所は今も地元銀行の頭取などが会頭を務めているし、岐阜の十六銀や大垣共立も同じような存在感を示している。◆しかし、名古屋がそれだけローカルスタイルを踏襲しながら、それが都銀であったり中日のような全国紙を凌ぐ最強ブロック紙を輩出する"偉大な る田舎"土壌こそが問われているのかもしれない。 それでなければ、ことしの元旦早々、 故伊藤喜一郎元東海銀頭取の遺族である伊藤忠彦 ・自民党代議士らが8000万円の悪質な遺産隠しなどと新聞で書き立てられる異様さなども説明できない。

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 ◆中部電力が三田敏雄常務(59写真左)を六月の株主総会後に社長に昇格させる人事を固めた、と中日新聞が久方ぶりにトップ人事を抜いた。副社長からの昇格が慣例だった中電で、末席常務に持ち上がってわずか一年半、16人のゴボウ抜きで社長に抜擢された川口文夫社長(65)の登板劇に匹敵する意外さである。就任から五年になる川口さんは、太田宏次さんの唐突で不可解な退場で空席のままになっている代表取締役会長に就く。◆たしかにタイミングとしては一週間ほど早い前打ちだが、川口さん時と違って下馬評にも挙がっていなかった三田常務の登板を察知したのは、五摂家のスポークスマンの地位を失って以来、名鉄人事の大誤報という一敗地に塗れた中日としては渾身のスクープと評してもよい。なるほど、年齢的には川口さんの社長就任劇に酷似した設定だが、傍流ながら脚光を浴び始めた通信畑が長いと言った解説がつけやすいキャリアでもない。◆川越火力発電所など三か所の発電所長を務めるなどいわゆる"火力屋"ながら、昨年六月からは常務取締役販売本部長として電力自由化の最前線で陣頭指揮をとってきた。しかし、再三再四の競争入札敗退がどのように踏み絵になったのか、という疑問がないわけでもない。その直前の二年間を東京支社長として電事連など業界外交に踏み出しそれなりの評価を勝ち得た方がキャリアディベロップメントとしては大きかったのかもしれない。

 ◆それにしても私学では慶応閥のなかで成蹊大卒というのも、不思議なほどとぼけた経歴である。地元で同窓と言えば、エイデンの岡嶋昇一社長と安藤証券の安藤敏行社長というジュニア経営者ぐらいしか思い浮かばない。それだけオール電化戦線で実績があったということなのだろうか、と思いきや人物像の紹介に複数のメディアが、尾鷲三田火力の命名は同じ中電で副社長まで昇りつめた父親に因縁だと広報リークもどきのエピソードを紹介している。いわば二世の"縁故"採用ということなら学歴の説明もつくし、そこにかつての春日民社党の亡霊を指摘する事情通までいる。◆さらに、三重県南端への地縁アピールが尾鷲原発構想の蒸し返しではないか、とのうがった観測もないではない。芦浜、海山と相次いで頓挫したなかで、共同開発をめざした珠洲を含めて原発立地候補をすべからく失ったお家の事情があるからだ。管内の東西の端にしか適地がないうえに、最後の望みの綱と見られていた浜岡に隣接する静岡県御前崎への可能性も、志賀原発運転差し止め判決で風前の灯になろうとしている。立地バランスに眼をつぶっても、事実上の廃炉を表明した浜岡1ー2号基にかわる新立地が急務とはいえ、浜岡じたいが活断層のうえに建設されたのではないかとの古証文まで取り沙汰される不幸に見舞われている。

◆いずれにせよ、中電社内の反応は川口人事の折りにも増して意外性以上に、トヨタへの臣従が強まることへの警戒感がある。いまさらながら中日のスクープなど信じられないとばかりに、前打ち暴走説が魑魅魍魎よろしく巷間からすぐに消えなかったのはむべなるかな、というべきだろうか。それでなくとも毎日O記者が幻の社長人事で大スクープを気取った昔がたりのほかにも、何度もマスコミ辞令をつかまされた松永亀三郎"社長昇格"など中電人事の周辺は不思議なほど賑やかな故事来歴がある。◆中日朝刊が独走を切った当日朝7時には日経がHP速報で正直に後追いしたものの、ヤフーニュースの検索サイトで調べた限り、共同通信22日10:08/読売10:36/中日11:49/産経15:32が第一報と紹介されており、中電自らの当日ニュースリリースは昨年一月末に公表済みの但し書きのある浜岡原発四号機の耐震裕度向上工事と定期検査だけが公表されているに過ぎない。何を差し置いても爆笑せざるを得ないのは、インターネット世界特有のドキュメント事情を敷衍した中日後追い扱いの不憫さだろうか。

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¶ニュースの死角  

 ◆東海銀行の消滅に続くような旧旭一シャインであるトムスの東京移転に戸惑っている伊勢町関係者は少なくない。鈴丹・カーマ・トリイ・エイデンなど地元大手流通企業の利権分散も、金融フレームによる庇護者を失った地域の末路というべきだろうか。旧丸万から主幹事証券さえ入れ替えたバローの公取摘発も背景には、イオンなどの謀略の匂いを嗅ぎ付けた事情通がいる。先月号で取り上げた丸八証券のうそ臭い地域密着と野村證券人脈による深慮遠謀説も位相は同じである。◆先頃発表されたばかりの東海東京証券の人事をみていても象徴的なのは、地域の情報共有の上に立ったビジネスモデルが崩壊し始めていることだろうか。株式公開を間近に非上場御三家を返上する出光の愛知精油所の煤煙測定値改ざん事件も内外から不可解さが指摘されている。地元県市と結んだ公害防止協定違反なのだが、委託調査の結果を担当者が独断で改竄した愉快犯のようで椿事である。◆しかも、内部の再調査を愛知県に報告して、それをまた県が再検査して「周辺の大気測定値に変化はなかった」にもかかわらず、おもむろに公表された顛末がある。報告後十日以上かけたタイムラグも不思議で、謝罪会見にいきなり"元所長"らがあらわれたのも間が抜けていた。◆むしろ、桃花台新交通システムの廃線と同じで、篤かった東海銀行の庇護消滅が引き金になっている。こうした舞台裏に言及する事情通もいる。わかば会主要10社のメンバーとして故出光佐三翁が、旧東海を親銀行呼んでいたことが社員教育に使われる社史ではいまも紹介されている。

 ◆一連の地域事情とベクトル変化を覆い隠すような先駆けは、メディアのニーズ・マーケティングによる取材放棄と営業最優先にも連動している。地場証券の定義さえ、問われるテレビ愛知の株式新番組の話題も、不可解なうら寂しさを伊勢町に振り撒いただけとなった。地元企業の広報や秘書といった窓口も、目先の目論見だけで自らのアイデンティティーを抹殺しようとするばかりで、合従連衡という功利主義の餌食になるのを待っているばかりである。◆トヨタの春闘をめぐる悪趣味な手品のごときオタマゴカシもどうかしている。「理屈抜きの満額回答」をマスコミは囃子立てたものの、為替変動1円で100億円が20億円の利益還元でベアを"賃金制度カイゼン分"との屁理屈を振り回した。しかし、宣伝効果だけで元を取ったようなもので、6500円にのぼりつめた株価をみても、企業評価に労働分配率を付け加えなければどうかしている。売り上げに占めるそれは付加価値率を減らし、労働生産性を下げる。日米の分配率は米国の従来平均値だった65%で並んだ93年を境にわが国が逆転、昨年ようやく62%強でアメリカの低位安定に再接近した。四半期ベースで71%を弾き出した99年に対して10ポイントの下げだし、御用学者のオーバーラン説だけが財界総理会社を後押ししている。

 ◆なるほど日米安保で身動きできない同床異夢と隔靴掻痒の政治状況は悲惨そのものだと言える。ワールドベースボールでアメリカの国技を守ろうとした審判の厚顔無恥も、どこかで敗北主義が匂うし、メキシコ戦ではかえって反骨を煽って日本にタナボタの準決勝進出を許した。ともかくも、日本人は愛国心という言葉を衒いのなかでしか使えなくなってしまった。◆そしてアンポ体制の国力幻想のなかで、つねにアメリカのご機嫌をうかがうしかなくなった。それさえ、プラザ合意に端を発した米国のご都合主義のなかで、ゼロ金利誘導で当然家計部門の金融資産は海外流出するはずだった。日本人の不合理な我慢強さが理解できないのは気の毒とはいえ、ファニーではなくてクレイジーという彼らの言い分ももっともである。◆中国との境界問題をかかえたガス田開発をめぐるいざこざが膠着状態なのは、日米安保と言いつつも中国との衝突は米国の利益に反するからに過ぎない。しかも、靖国に拘泥して軍国時代をあげつらうのも歴史的には数十年前まで日本の常套手段だった政治的謀略の真似をしているだけだとの、本音さえ見え隠れする。

 ◆しかも、国内の改憲再軍備論者にとっては、向こう20年以内にはやってくるだろう日米蜜月の終焉への危惧だけを増幅してしまう。資本主義の終末の予感はそのまま、アメリカの覇権喪失を意味するからである。司馬遼太郎さんが「軽々に冷やし中華などというべきではない」と困ったことを言っている。中華とは歴史的思想であり、儒教的情念のイデオロギーだからである。 ◆バンビーノと親しまれたベーブ・ルースの来日以来、「70年を経て実現したWBCは野球の母国で盟主である米国の脱落という予想外の展開の末、決勝で日本がキューバを破って初の覇者となった。きのうは瞬間視聴率が50%を超えた準決勝の日韓戦以上に熱い視線がテレビに注がれた。日本野球が世界の頂点にたどりついた喜びは大きい」。日経のコラム春秋(3/22)はやみくもなお祭り騒ぎに戸惑いながら、ソフトパワー大衆文化の影響力が覇権を支える重要な要素としたJ・ナイ氏にならえば、メジャープレーヤーを掻き集めた米国の低迷はその求心力が低下した証しなのか、「イラク戦争の開戦から三年を経て内外から高まる単独行動主義への批判に揺れる大国の姿も重なる。米国一極から多極化へ野球も転機を迎えたのか」と精一杯の皮肉を込めて大衆資本主義の終焉に言及している。