NO.295 2006年(平成18年)9月28日【VOL31-9 第5版】 | Paradigm21 Web Editorial

NO.295 2006年(平成18年)9月28日【VOL31-9 第5版】

中部21世紀フォーラム月報 INDEX FAX http://c21f.exblog.jp                       ◆◆◆◆◆         
発行/C21F会報編集委員会 代表世話人/ジャーナリスト 菅沢正雄
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¶今月の話題
 ◆九月早々に意欲をマスコミに公式リークしていたが、下旬に入って来年二月の愛知県知事選に民主党が石田芳弘犬山市長(写真60)を担ぎ出すことがもたもた決まった。元県総務部長で厚生労働省審議官の御園慎一郎氏(53)との天秤にかけられるや、支持や推薦が得られなくても市民派として必ず出ると公言してきた事情もある。
◆直後に、自民と公明が推す神田真秋現知事(54)がようやく県議会で出馬表明する顛末はおよそ間が抜けていた。32年ぶりの与野党相乗り選挙返上は評価できるが、民主サイドの候補者選びには気の抜けたサイダーのような印象だけが残った。これまでの知事選は密室で候補者が決められ、最初から勝敗の見えていて住民参加の余地がなかった、というのが石田某の第一声。◆「愛知が全国の地方のリーダーシップをとらなくてはいけない。それだけの力が愛知にはある」と力説し「地方行政の経験を生かし、中央と対峙して地方分権を推進する知事になりたい」との抱負もオタメゴカシに過ぎる。それでなくともトヨタが盟主にのし上がった地元は、世界における日本の同床異夢のミニチュアである。


◆万博の実績を迂闊に批判できないだけに神田県政ついては「モチをこねたのは前知事の鈴木礼治さん、杵でついたのが豊田章一郎さん、モチを食べたのが神田さん」との迷言を披露して悦に入っていたのもこの人らしい。自民党県議を経て95年に犬山市長に初当選し現在三期目、民間人の校長登用など話題づくりの才覚は自他共に認める。大前研一さんの主催する一新塾の講師をかって出るなどのパフォーマンスも将来を意識していたと考えると辻褄はあう。◆だが、消息通の多くは不思議なほどカネにきれいな海部俊樹元総理の対極ともっぱらの評判だった、江崎真澄代議士の秘書時代の故事来歴に眉をひそめる。当時同じ旧愛知三区で社会党から一議席を分け合っていた佐藤観樹元自治相の転落にも、石田さんが一枚噛んでいるとの指摘も聞こえている。◆自民県連の加藤南幹事長の「同期当選の同僚として、自民が支持する神田県政を批判して石田市長が出馬するのは意外」などという反応は素朴すぎる。間髪入れず、おかげさま精神とかを掲げて市民派の「あゆちの風ネットワーク」なる後援団体を立ち上げる器用さに、矜持を求めるのは酷というより不能だろう。万葉集にうたわれ愛知の語源となった「海から吹く幸せの風」をなぞらえた命名も、小泉前首相に似ていると言われれば似ている風貌も愛嬌だけは十分である。

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  ◆石油元売り大手である出光興産の株式公開にはある種の感慨がある。東証一部への上場は10月24日で公募・売り出し総額が1000億円を超える大型案件だが、ここにも東海銀行の"消滅"が大きく影を落としている。それがなければあり得なかった経営選択だからである。創業以来、経営への干渉などを嫌い非公開主義を貫き、サントリーや竹中工務店と並ぶ未上場御三家と呼ばれてきた。◆中日新聞などはなぜか韓国資本のロッテと同列に並べてしまうテイタラクにせよ、1990年代後半の金融危機と前後して二兆円の有利子負債がマスコミの餌食になった。バブル期を通じて実業の枠を超えなかった出光一族が重い腰を上げても、故佐三翁に親銀行まで呼ばれた東海銀行の対応は呆れるほど鈍かった。


◆東海アポロという耳慣れぬ連結子会社が名古屋市名東区にあるのも、四日市コンビナートから東海が締め出されたなかで知多精油所を誘致したのも、故事来歴の賜である。しかし、あろうことかシェアだけなら住友、住信と共同メインの立場にあることを言い訳に、めくるめく金融再編と裏返しの不良債権処理しか眼に入らなかった近視眼バンカーしか、この案件に対応できなかった。◆とくに、公開意向を耳打ちされてグループ証券からの相談を撥ね付け続けた土川立夫さんは、まごうことなき戦犯リスト筆頭を飾る。なるほど、因果は巡りめぐるだろうか。名鉄の総帥として全国に覇を競った土川元夫翁の次男坊で、当時は東海銀で東京営業部の元締めだったこの人も、今はセントラルファイナンスの社長として新幹線予約専用の「エキスプレスE予約」カードの縁から、JR東海の資本力の跳梁にさらされている。当時の銀行の冷淡さに業を煮やすように、資本増強や資金調達の多様化をにらんで2000年に公開方針を発表したものの、系列石油化学の先行上場構想など、水面下の紆余曲折はそれだけで一冊の本が書けるほどの濃密さだった。前三月期の連結売上高は3兆3274億円、最終純利益は273億円の存在感は、官僚たちの度胆を抜いた日章丸事件の気宇壮大さを彷彿とさせる。◆首都圏企業開拓のツールだった「わかば会」主要10社のメンバーとして故出光佐三翁が、旧東海を「親銀行」と呼びならわしていたことが、社員教育に使われる社史ではいまも紹介されている。こうした親近感に多くの東海OBたちが、邪険に無頓着なのは言語道断だと、以前に言及した。案の定というべきか、右顧左眄の頬かむりをするばかりの優柔不断が、今日の東海銀行消滅というテイタラクを招いた。このことだけは肝に銘じてもらいたい。


◆ついでながら、あたかもこの上場を見送るように、"出光の寅さん"の異名をとった不思議な万年平社員がこの九月で定年を迎えた。「仕事はやりたい奴がやればいいの。疲れるじゃない」と言ってのける、憎めない不思議な好漢のディレッタントである。一昔前、名古屋の住吉町のおでん屋で偶然に意気投合して以来、30年にもなんなんとするる細く長い親交のなかで気づいたのは、この男の奇妙で精緻な感性である。釣りバカ浜ちゃんと同じで、まるで遊んでいるかというと嘘になる。◆土鍋を焼いているだけの職人まで"作家"などと持ち上げて、温泉なぞフラフラまわりながら全国に見事な時代感性のアンテナを築いていた。記者さえもが彼のコレクションでしかなかった、独特孤高の境地と人間へのしたたかな好奇心は敬意に値する。その彼と後にも先にも一度だけ、仕事がらみの話を持ちかけられたのが今回の公開話の端緒だった。神大同窓の「やりたくて仕事をしている」然とした先輩の役員なる男も、彼には不思議なほど一目おいていた。ホモルーデンスの化石とも企業社会の懐とも言える彼の存在感は、野村證券の相田雪雄さんのようなバサラよろしき目出度き優美である。

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 ◆テレビのワイドショーでは連日のように飲酒運転事故報道が氾濫している。まず、公務員とかのケースをケシカランとまくし立て、最後はおもむろに飲酒運転検挙を煽りたてている。もちろん、世の中から恥の思想が消えかけていることに原因はあるが、これまでならローカルニュースでしかなかった代物を意図的に全国からかき集めているのだからえげつない。それはそれでタテマエの正義なのだが、その正義の背後でまたぞろ自動車に装着するアルコール呼気検知キーなどが喧伝されている。シートベルトの登場と同じ、新業界創出の仕掛けである。◆規制緩和でずたずたになったタクシー業界の救世主のように運転代行業者がにわか景気に沸き、公共交通インフラの貧弱な地方で社会認知を深めている。もちろん生産功利主義に振り回され、デフレ経済の生け贄にされてしまった運送業界のやり場のない悲鳴も聞こえてくる。流通業界にまで重宝されているカンバン方式は、労働者と納入業者をモノとして見なければ成り立たない思想である。


◆翻って、この狭い国には必要以上にクルマが溢れすぎている。それが列島改造やさらなる道路整備の口実になった。世帯主と高額納税者以外は、老人向けの電動三輪車に毛の生えた程度のスピードしか出せないクルマを売ればいい、などと言おうものなら、今度はもともと帳尻あわせで膨らませていた高速道路の需要予測が狂うと喚きだす輩が出てくる。森を見ず、木だけに囚われる救いがたき民族的屁理屈の迷宮は、それを行政判断の言い訳にしてしまう器用な和戦両用でもある。◆そもそも、法律上は過失でしかない飲酒運転は置き忘れた免許不携帯と同様で、検問につかまれば運が悪いぐらいの国民感情しかなかった。あくまで運が悪かったのである。しかし法解釈と運用いかんで、いかな曲解も可能なのは、戦前の治安維持法や憲法九条と同じではないか。当局の出方しだいではインターネット上で事実上、解禁されている無修"正"ポルノも、些細な賭けゴルフや麻雀もすべからく槍玉に上げられかねない。◆思わず知らず、警察のキャンペーンに連動したテレビ報道の氾濫も、皮肉に見れば戦争協力に終始した過去のスタンスに酷似してはいないか。むしろ、皇室関連ニュースの膨張とにじり寄るように、小泉改革の是非論がまったく掻き消されて安倍晋三新総裁や靖国問題なども国民の視界から外れてしまった。

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¶ニュースの死角  O I ! 
 ◆出来レースのような不可解さで安倍晋三首相があっさり誕生した。郵政民営化のプロパガンダと同じで、不思議な強迫観念に取り憑かれるように、メディアは一目散にこの人を祭り上げてしまった。その実、あれよあれよと動きだした事態の推移に一番戸惑っているのは、ご本人自身かもしれない。◆しかも皮肉に現代の植民地政権を意識しているのか、補佐官や報道官を繰り出した新内閣は、教育改革に名を借りて胡散臭い若者エネルギーの捌け口を仕立てようと目論んでいるようである。政権委譲の過渡期に、ひっそり廃案になった国連安保理常任理事国入りをめざしたG4案について、誰も前首相の大失態などとは言わない。またまたカネにあかせても、東南アジア諸国はどこも共同提案国になってくれなかった。しかし、おしなべて国民感情は消極的賛成の域を出ていない。日米蜜月の同床異夢への言及も形ばかりである。


  ◆負けたら、ひたすら由らしむべし。集団的自衛権論議を尻目に、国連で応分の軍事的ビヘイビアを求める声も報じられていない。中韓ばかりか、アジア丸ごとに顰蹙と口実を与えかねない両刃の剣である。靖国問題で日本人が扱いかねている東条英機・元首相も小泉前首相も、同じ律儀さで誰も責任をとらない日本的暴走に愚直に邁進した。戦争を知らない新首相には、やはり国民的人気があった近衛文麿のような爪先立ちの危うさが感じられてならない。◆昭和29年生まれの午というのは団塊の世代としては最後のジェネレーションで、高校時代にかろうじて70年安保の洗礼を受けた最後の「戦争を知らない子供たち」だった。しかし、いまや戦争を体験した世代の方がはるかにマイノリティーになってしまった。そんななかで、愛国心を教育原理に組み込み、担当大臣まで捻り出して少子化を囃し立て、産めよ増やせよが国策というのではどうかしていないだろうか。◆中国の13億人とインドの11億を別にすれば、世界三位の米国の人口でさえようやく3億をうかがっているに過ぎない。ベストテンのしんがりをつとめる日本の1・3 億人は、英仏の倍以上のボリュームである。常任理事国入り問題以前に取り上げる べき政 治課題は山積しているのに、そこから眼をそらせ国民感情をくすぐるだけの大国 幻想もいい加減にしてもらいたい。わが国の経済力そのものは、米国の借金を半減させたプラザ合意のペテンの上に成り立ってきた。ざっくり言えば、半値八掛けぐらいの謙虚さがあってもいい。


 ◆いまや高度成長の残滓を引きずった、成長モデルオンリーの社会システムに固執しているのは官僚と政治家ぐらいなのである。宗教指導者たちの自己保身の裏返しにすぎないムスリムの八つ当り的焦燥感、世界的経済成長の跛行やエネルギー・環境問題の諸相には人口爆発が意外なほど引き金を引いている。イスラム圏ほどではないにせよ、人間というのは時代へ積極的に順応したがらないものらしい。◆国連人口基金は2006年版「世界人口白書」で、ことし二月に65億人にとうとう達したと報告している。20世紀にわれわれは人類史上最大の人口増加を経験した。過去6000年間に存在した人口のおおよそ五分の一が現代に生きているのだから、地球もたまったのものではない。1999年10月に60億人を突破したばかりなのだし2010年68億、2020年76億、2030年82億、2040年87億、2050年91億という予測データは尋常ではないし、この頃には日本人の平均寿命は軽く百歳を超えきんさん、ぎんさんモードに突入する。◆時系列でざっと歴史を遡ると1987年50億、1971年40億、1961年30億人。団塊世代の多くは世界人口30億のイメージがどこか抜け切らない。さらに言うなら江戸時代の1802年に10億人だったものが、戦前の1927年ようやく20億人を超えるのが前近代までのテンポだった。つまり、世界規模で時代の分母と分子を考えないと、知らぬ間に鬼畜米英のプロパガンダにがんじがらめになって、またぞろ一億火の玉にされる。石油危機の"便所紙"騒動と同じ蹉跌である。ダソクの蛇足、トイレットペーパーという字数の多い不便語の陰で死語になりかけているので、あえて"便所紙"騒動と書いておく。

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¶SUMMING UP 
 ●名鉄百貨店が西日本最大の化粧品売り場を目玉に、本店本館の二階から五階を改装オープンした。化粧品売り場だけで1700平方メートルは圧巻だと胸を張るものの、しょせんは伊勢丹との提携で疎遠になったセゾングループ・有楽町西武の二番煎じですらないとの酷評がある。地元百貨店では初の試みという予約制トリートメントルームが無料なのいいが、各ブランドの販売員に実演コーナーを提供するだけでは売り場の丸投げ思想が抜けきらず新味には乏しい。●天井の低さから来るフロアの圧迫感も致命傷。メルサとセブンをあわせた三館統合計画の一環ながら、従来のストアイメージからすると大胆なのか蛮勇なのか、評価は分かれる。タワーズの名古屋高島屋の攻勢を見据え、「ミッドランド・スクエア」の完成などにともなう労働人口急増を意識した対応ながら、高島屋がそれまで名鉄百が得意だった弁当・惣菜強化を打ち出したのとは対照的に、スイーツ・ステーションやデザートバイキングを売り込む目新しさは飽きられやすい弥縫策の憾みなしとしない。


 ●三大都市圏で基準地価が16年ぶり上昇している。それでも、その地価は1980年代かそれ以前の水準に過ぎず、利便性が高い地域に地価上昇は集中して住宅地四割、商業地三割で依然下がり続けている実態が新聞見出しなどからは見えてこない。国土交通省が集計した今年七月の都道府県地価(基準地価)は東名阪の平均で住宅地が前年比0.4%増、商業地が同3.6%と、平成に入った直後の1990年以来のプラスに転じたことばかりが強調され国民意識に刷り込まれている。●商業地の上昇率全国ベストスリーを二年連続で名古屋駅前が占め、住宅地は基準地がない中区を除く市内全15区で反転し始めた。しかし、全国平均は15年連続のマイナスで、住宅地2.3%、商業地2.1%と下げ幅が三年続けて縮小したのを下げ止まりと鵜呑みで解説するマスコミもどうかしている。●都市再開発特区による下卑た手品でこの数年30%以上で上がり続ける地価を、いとも単純に元気印ナゴヤの証明のようにメディアが解説してしまうのもどうしたものだろうか。体勢に流され、無難な体制翼賛プロパガンダの走狗になり下がっている自覚は、大半の現場で皆無だろう。


 ●名鉄海上観光船が、名古屋港内で行っている遊覧船と水上バス事業から11月末で撤退する。名港周辺を30分かけてめぐる遊覧船はともかくと、イタリア村でにぎわうガーデンふ頭と対岸の潮見ふ頭にある自然風庭園ブルーボネットを10分で結ぶ水上バスは拙速の自業自得としか言えない。●かつて金鯱の張りぼてをかぶせて自虐的人気を呼んだ垢抜けなさにさえご愛嬌はあった。1993年のピーク時に年間15万人が乗船した実績が最近は年間3万人を切るにまで落ち込んでいた事情はともかく、鉄路やバス路線の狂おしいリストラの挙げ句に残っているのは買収合併なのだろうか。●地元では三セクもどきだった市内定期遊覧バスも早々と廃止されたが、仙台や福岡はおろか富山ですらそれは現役である。名商やJR東海の須田寛さんが熱心な産業観光なる新味の切り口も、なぜか名阪近鉄バスあたりが企画した日帰りツアーで6500円。工夫のなさすぎる料金設定で呆れる。


 ●自民党政権のアヘンになってしまった公明党のプレゼンスが不気味である。このところ目立つのは、ゴールデンタイムのテレビCMで創価学会や聖教新聞の露出があからさまなことだろう。ことし二月にあった聖教新55周年パーティーで見かけた不思議な面子を思い出した。中電ビルの中野社長はグループ守旧派の大御所だし、毎日新聞傘下のキャッスルホテル大森社長。松坂屋の岡田邦彦さんあたりも丸栄後藤社長同様、大変な気の使いようだったし、名鉄の武藤部長、松坂屋の芦本部長らまで蠢く対策部隊と揶揄されていた。    ●●●


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¶EDITORIAL 夏炉冬扇

 ▼なるほど、暑さ寒さも彼岸まで。にわかに秋めいて肌寒い夜さえある。日本人の近現代を検証していると、季節感への洞察の裏返しのような驚くべき懲りないステレオタイプに遭遇する。およそ責任の所在を曖昧に組織に封じ込める習性が、太平洋戦争開戦の楽観主義を担保したのと変わらぬムラ根性である。五期目にあった福島県知事が辞めても辞めなくても、あらゆる公共事業やこの国のあり方について同じような楽観のラビリンスが見て取れる。
▼新しい長野県知事も脱ダム宣言の撤回を公約どおり打ち出したが、地味で一本気な代議士あがりの元国家公安委員長に話題性はゼロである。「改革で命落とすことない」。竹中平蔵前総務相の職員への退任のあいさつは「私はフリーターになる」という捨て台詞と同じ幼稚さだった。「動じるな。王道を歩め」の小泉的強弁も彼の改革への感慨も、メリーゴーランドを降りた子供の無邪気さしか感じない。

▼規制緩和と政府セクター民営化は、いわゆる新自由主義として南米経済に塗炭の苦しみを味あわせたことを知らない人が少なくない。よかれあしかれ糠袋で磨いた床に土足で上がりこみ、何でもペンキで塗りたてた進駐軍だったが、農民や労働者あがりの兵士たちに悪気はなかった。審美観がまるで違うのである。それが社寺仏閣に及ばなかっただけでもよしとしなければなるまい。

▼杜の都仙台では、地下鉄工事のためにご自慢のケヤキ並木を切り倒す計画が進んでいる。ケヤキの寿命を言い張り、その実コスト高のシールド工法では補助金認可が得られないから開削工法で都心を掘りつくす。多かれ少なかれ、戦前のオポチュニズムが国民を戦争に巻き込んだように、しょせんは仕事をつくらないと失業する小役人の浅知恵が、誇大妄想の収益計画をつくらせてしまうだけである。負ければ失業し、戦争をしなければ自己実現の機会が閉ざされる軍人たちの歴史の隘路に嵌まり込んだ不幸とだけ割り切るワケにはゆかない。

▼煎じ詰めれば、良かれ悪しかれ日本を支えてきたのは裁量主義である。たしかに曖昧さのなかに全てを閉じ込めてしまう憾みはあるにせよ、それこそが浪花節的発想の涙や笑いを産んだ。水戸黄門も悪代官もこの未熟さのパラダイムがなければ成立し得ない。昨今の韓流ブームの裏側には少し前まで日本人が押しなべて持っていた秩序感覚への渇望が裏返しにある。今様でないアナクロニズムが毒舌で人気の漫談師同様、オバサンたちの郷愁を誘うのである。

▼国威発揚だけに走りがちなオリンピックは勝ち組の驕りと負け組の再起に利用されてきた。きな臭い戦争の匂いがしはじめたタイミングで石原都政が動き出したイメージは太平洋戦争前の幻の東京五輪を彷彿とさせないか。タカ派の安倍政権誕生を機に、負け組の北京五輪を演出しモスクワの二の舞にする策動もないではない。すべては、仕組まれたナショナリズム迎合の狂気である。その意味では名古屋や大阪の招致失敗は経済の閉塞だけを見据えた国際感覚欠如の咎めだし、五輪の建前と本質をないがしろにした国家観欠如だけをさらけ出した。

▼不幸にならなかったのは、一人相撲だったことである。ムスリムの苛立ちもバルカン半島の民族自決の内実も、すべては人口爆発が加速するなかで世界経済のアンバランスがますます歪にならざるを得ない現実を反映している。それらもまた人類が経験した二度の世界大戦前夜の経済爛熟に酷似している。

▼ちらつき始めた徴兵制の復活と儒教的秩序感へのノスタルジアが、尊属殺人などという死語をゾンビにするかもしれない。ヤオヨロズの神におののき、諦念を説く仏教を有り難がる。ずばり日本人はあきらめが得意なのである。「背伸びして視野をひろげているうち、背が伸びてしまうということもあり得る。それが人生のおもしろさである」。アメリカ生きがいの旅と題した城山三郎さんの述懐の本質を、現代の若者は理解できるだろうか。 ▼▼▼(す)

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¶中部21世紀フォーラムのメーンセッションの一つである『フォーラム21』の月例会は第四木曜日開催を原則にしており、とくにご要望がない限り変更はございません。したがって来月のスケジュールは10月26日となります。例会場のAPAホテル名古屋錦(旧名古屋不二パークホテル052ー962ー2289)5F「錦の間」にて、午後6時半より二時間程度を予定しております。お問い合わせなどは、 Eメール c21f@web.co.jp、または菅澤正雄事務所(052-303-2062・携帯電話090ー8150ー9782)までご連絡下さい。なお、弊フォーラム・公式ホームページ『Paradigm21・Web』に未掲載の月報は http://c21f.exblog.jp/ にて仮公開させていただいておりますほか、ミラーサーバー http://blog.goo.ne.jp/c21f も稼働を始めました。

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