トヨタ 気がつけばガリバー/息つめる爽やかカンバン方式 | Paradigm21 Web Editorial

トヨタ 気がつけばガリバー/息つめる爽やかカンバン方式

 ◆「新潟県中越沖地震」被災でトヨタは国内全工場で三日間操業停止を強いられ、一部はその後も停止が続いた。ただ、その間自宅待機の社員は休日扱いにさ れ、もともと休日だった日に振り替え出勤させられた。有休取得を強要されたり、もとから申請していた有休を取り消された社員もいた。◆ただ、非主流労組に すぎない「全トヨタ労働組合」あたりが会社側に撤回を求めてゼロ回答だったと、ネットサイトの市民新聞で噛みつくのも蟷螂の斧以前という気がする。豊田労 基署が「会社に迷惑がかかる」と現場調査にすら踏み込めないのも、当然過ぎて笑うしかない。生産功利主義がトヨタの身上だったのだから、そのヒエラルキー のベクトルを簡単に変えろと言い出す方がどうかしている。◆下手をすれば、ようやく組みあがりかけたジグゾーパズルを床に叩き落としてしまうだけだからで ある。直後の週刊東洋経済で「一週間で再開/被災工場で見たトヨタの現場力」というルポを偶然読んだが、TOYOTAのロゴを背負った現場リーダーが系列 の枠を乗り越え、いかに奮闘し動員されたかが描かれている。◆しかし、なるほど案の定の感想しか出てこなかった。ラインが止まることで生じる溢出利益がい かに図りしれなくても、そこに最強のカンバン方式ゆえの貯金が加味されなければ、国や地域の帳尻はどこかおかしくなってゆく。一時は本田のフィッツに奪わ れた販売台数トップの名目を守るために、やたら何でもカローラを冠した新車を投入してしまう手管などは、弥縫策を承知のうえとはいえGMと肩を並べ抜きさ ろうと目論むトップ企業の哲学を問われてくる。◆たとえば労務に関しては、欧米の現地生産現場にトヨタ方式を安直に押しつけられなかったカイゼンに糸口が ある。いまさらながら学んだノウハウをいかに国内外に定着させるか、カイゼンに終わりはないはずである。テレビCMに露出している真っ赤なカローラ・ルミ オンが、消費者に問いかけているのは、マーケットの多様性でも大人気なさでもない。◆つまるところ、安直な価格競争とは次元の異なる、品質と文化の終わり なき競争を強いられる。ガリバーのジレンマを明るく爽やかに解きほぐすのに、時間をかけすぎても、かけなさすぎてもいけない。

 ◆燃料装置やハンドル不具合を理由に、トヨタが47万台のリコールに踏み切るニュースの扱いが軽すぎるとのブーイングがある。一部ではリコール王などと 気の毒な揶揄もあるが、トヨタの広告量の前に自主規制してしまっているマスコミの見識の方が問題なのではないか。あの戦争の時代を想起してもらいたい。軍 への直言を恫喝だけで、引き下げた。むしろ、検閲や犠牲者が出れば、それなりに国際世論に訴えることも出来た。◆それにトップ企業となった以上、こうした リスクを一番背負う。フォードや日産のコピーまがいをつくっていた時代とは違う。ただ、ニュースの露出の相対的な矮小さは、かえって開発や生産の現場で愚 直に努力しているトヨタマンをがっかりさせかねない。往々にして建前が本音を駆逐してゆくかどうかは問題ではない。タテマエをまもってこそのホンネだとい う逆説の真理にも一日の長はあるはずである。◆山本五十六提督の本音も外交努力の建前も、はじめから手前勝手な牽強付会で封じ込んだ人たちこそが狡猾な本 当の戦犯だった。市民新聞を標榜する『OhmyNews』なるウェブサイトがある。旗振り役のひとりである鳥越俊太郎さんが、外資系生保のガン保険CMに 登場して顰蹙を買ったことでアクセス数が伸びた不思議な事情については、運営資金のために泥かぶったぐらいに考えられないものか、などと高をくくってはい かがだろう。

 ◆ところで、このサイトに知る人ぞ知る、トヨタ社内駅伝に関する詳しい言及がある。気の遠くなるようなネット検索の末に辿りついた関連記事の一つだが、 「利益2兆円生む"プチ北朝鮮”の実態」 というタイトルのいかがわしさの分だけ割り引いても考えさせられた。内容を割愛して紹介しておきたいーー。◆トヨタで働く若手社員から必ず話題にのぼるの が、部対抗の駅伝大会。社内では60年以上の恒例行事で、あらゆる部署から駅伝チームが編成され、米国合弁工場をはじめ世界中トヨタから豊田市に選手が召 集される。社内駅伝の狙いは独自のアイデンティティーと規律の揺りかごにすることだろうし、嘘のような四畳半の独身寮ではプライベートが可能な限り制約さ れている。ネットショッピングさえ時に停職事由になり、カイゼン哲理の要諦を叩き込まれる。◆若手にとっては「なんで東京の会社に就職しなかったんだろ う」の一日となり、追い出されないよう頑張れの企業風土がサラリーを不安感で推し量るような躾けを刷り込んで行く。差がつくのは40代と囁かれ、福利厚生 をはじめ全てが「分かっているだろう」という世界だと気づく。練習までもが、グループ内で自己完結しながら巡り巡るアイデンティティー醸成の道場というし つらえである。◆毎年12月上旬の某休日には、出場のいかんにかかわらず選手を応援する職域総動員のイベントには、二万人ちかい人が集まるらしい。休日出 勤手当てが出ないのはもちろんだが、この日をめざして一年前から手弁当の練習が始まる。「工場は気合いが入っており、駅伝選手は毎日、昼休みに走って鍛え る昼休みの本社のまわりを走っている人が多いでしょう。技術系は実験設備にシャワーがあるが、事務系は汗臭くなるのが困りもの」。◆なぜそこまで頑張るの か、がいかにもトヨタらしい神話を積み上げていくし、どうしても事務系に対抗心をあおられる工場系の頑張りは、駅伝で活躍した期間工の正社員登用などで担 保されている。

 ◆馬力と気魄だけでは、いかに王者に君臨しても風格なき狂える獅子となりかねない。出来そこないの石像からさえ悟り学ぶことはできる。城山三郎さんの 「小説日本銀行」をなぞれえば、豊田家累代の恐るべき几帳面な貪欲さが風化しかけているのを誰も責めることはできまい。いまや相談役になっている奥田碩さ んが、豊田家というのは旗印だという意味深長で不思議な謎かけを披露している。◆財界をはじめ時代や社会と可能な限り隔絶してわが道を突き進んだ頃とは、 世界にも日本にもトヨタは大きくなり過ぎてしまった。それゆえに抱え込んだガリバーの苦悩である。本社のスタッフから開発部門、生産現場にいたるまで、そ れぞれが気の遠くなるような律儀で愚直な努力を積み重ねていることは知っている。問題はそのそれぞれを有機的に機能させるような仕組みが、クルマづくりと いう現場に限られていることではないか。◆ホイジンガーの提唱した"ホモ・ルーデンス"の系譜を引き継ぐモノづくりなら、必ずや資本株式主義の爛熟がもた らした大衆消費社会の今日的迷宮の鍵をこじ開けられるかもしれない。たとえば、金融資本主義がサブプライム問題を世界にリスク分散した挙げ句の出来事は、 石油や商品マーケットに必要以上にダブつかせた名目マネーを不用意に暴れさせただけである。実態経済の千倍では利かないような市場の膨張は外為証拠金取引 の繚乱にも似て、最後は国家レベルのマネーゲームというハルマゲドンが首を擡げはじめている。◆あらゆる局面で名誉ある孤高などありえない今日になって は、乾いたタオルをなお絞るの哲学の理念だけを掬い上げないと、擦り切れてしまうタオルの末路は洒落にならない。