勝堂古墳群
江戸時代には48基の古墳があったと記録されている
現在は6基の古墳が残っており、愛知川中流域の右岸で最もっとも規模の大きな古墳群
まずは、赤坂古墳から。
赤塚古墳
直径約32m・高さ約5.2mの円墳
6世紀後半頃
両袖式横穴式石室
羨道:長さ2.4m以上・幅約 0.9m
玄室:長さ約4m・幅約2m・高さ1.6m以上
入れませ~ん 😭
これは・・・?
ふき石の記載はないので、後世のものでしょう。
弁天塚古墳
直径約20m・高さ約4.3mの円墳
内部主体の構造は未調査のため不明
古墳の周囲には濠がめぐり、さらにその外周に 堤がめぐる
6世紀後半頃
弁天塚古墳の脇にある石の囲い?
石室???
おから山古墳
径約30mの円墳
裾すそ部が削られて おり、築造当初は40m級の円墳であった可能性もある
主体部は両袖式横穴式石室
玄室の奥行き約4.4m、幅約2m、 高さ1.7m以上側
壁は石が4段に積まれ、奥壁に1枚石が立てられ る
玄門部天井は羨道部天井より1段下がっている
これらの特徴から、行者塚古墳の後(7世紀前半頃)に築造されたと考えられる
行者塚古墳
一辺23m・高さ5.3m の方墳
後世、墳頂に行者堂が建造され、裾が削けずられていることから、築造当初は30m以上の円墳であった可能性もある
主体部は片袖式横穴式石室
玄室:奥行き約6m・幅約2m
側壁は石が4段に積まれ、奥壁に1枚石が立てら れている
玄門部の天井は羨道部の天井より1段下がっている
これらの特徴から、行者塚古墳は6世紀末頃の築造と考えられる
朝日塚古墳
直径約20m級の円墳と考えられる
6世紀後半頃
昭和 29 年の道路築造時 に土取りがされ、その時に土器が出土
主体部には朱が充填されていたといわれ、現地に大型の石材が残っていることから朱彩された横穴式石室で、床面には礫れき が 敷いてあったと思われる