下野薬師寺 | 古墳んぽ~古墳と野の草を観察しながら散歩

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下野薬師寺 

 

 

創建は天武天皇白鳳8(680)年

 

皇后(後の持統天皇)がご病気になられたため、薬師如来のご威徳をもって病気平癒を祈念するために勅願により建立されました。祚蓮上人が下野国のこの地を選び、伽藍配置の図式を奏上したと伝えられています。

 

 

 

 

下野薬師寺創建に関わった人物として、下毛野朝臣古麻呂も忘れちゃいけませんね。

 


 

 

回廊

 

瓦葺回廊の規模が東西約110m、南北約102m

 

回廊の中心部に金堂が存在すると考えられていたが、最近の調査で創建当初の塔であることが判明した。

 

また、回廊内には規模の異なる基壇建物が存在することが明らかになり、下野薬師寺の伽藍配置が一塔三堂形式である可能性も考えられる

 

 

 

一部回廊が復元されています。

 

 

 

 

 

 

回廊

 

 

この日は雨だったので、綺麗な色が出ませんでした(泣)

 

 

 

 

 

講堂

 

 


 

現在の下野薬師寺山門

 

 

 

 

東の方へ向かいます。

 

 

 

 

 

 

幢竿(どうかん)

 

仏教行事を荘厳に飾るための幡をかかげる幢竿が置かれた

 

高さ9m程度の幢竿が建てられたと考えられる

 

 

 

 

 

再建の塔

 

創建の塔の消失により、9世紀後半に伽藍東部に再建された

 

基壇規模1辺12.6m

 

現存する法隆寺五重塔の基壇と規模が類似することから、同規模の五重塔であったと考えられる

 

 

 

 

 

 

また西へ。生け垣が続いています。これは外郭施設(板塀)で、規模が東西約250m南北約350mあったそうです。

 

 

 

 

 

この地域は、南北に流れる東側の田川と西側の浅い浸食谷に挟まれた洪積地

 

下野薬師寺は台地上にあり、伽藍の建物は低地から見上げられ、人々の目に大変壮大に映ったと思われる

 

 

 

 

 





下野薬師寺歴史館 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

平成18年度発掘調査出土資料

 

北西回廊(復元)の北側の円形土坑から見つかった

 

 

 

 

 

 

 

 

創建時の瓦

 

 

 

 

 

 

螺髪

 

螺髪の大きさから高さ2.4mほどの丈六仏坐像があったことがわかる

 

 

 

 

 

復元回廊の原寸大模型(右)

 

 

 

 

 

 

 

戒壇

 


仏教が隆盛するに伴い、

 

僧侶としての戒律を守る者が少なくなり、税を免れるために勝手に出家し僧を名乗るなど問題が現れ始めた

 

そこで朝廷は、正式に僧侶としての資格を与える“受戒”を行える鑑真和上を、唐から招請した

 

 

 

和上は、畿内の東大寺、九州諸国の筑紫観世音寺、そして東国の下野薬師寺の3カ所に戒壇を作った

 

下野薬師寺は、東海道の足柄峠、東山道の碓氷峠より関東・東北の僧に戒を授けることのできる大変重要度の高い寺院となり、ますます隆盛を極めることとなった

 





 

 

鬼面文鬼瓦

 

 

初期は蓮華文が使われたが、奈良時代には鬼面文を飾るものが主流になる

 

 

 

 

 

文字瓦

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

風鐸

 

 

ここは、道鏡が流されたお寺としても有名ですよね。

 

僧侶ではじめて太政大臣禅師・法王となったのですが、宇佐八幡宮神託事件で失脚。下野薬師寺に別当として左遷され、2年後に死去、庶人として葬られました。

 

 

 

 


焼けた瓦

 


下野薬師寺は、9世紀中頃に大火災に見舞われ、伽藍の中心部が焼失

 

また、国家仏教の衰退とともに天台宗など新興宗派が興り、それぞれが独自に戒を授けるようになった

 

 

それに伴い、これまでの「三戒壇」の地位もゆらぎ、次第にその役目が失われていった

 

 

 

 

 

基壇の内部構造

 


 

 

 

ご当地キャラがお見送り(笑)