入海神社と入海貝塚 | 古墳んぽ~古墳と野の草を観察しながら散歩

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行ってみたかった入海神社。”いりみ”と読むんだそうです。

 

 

 

 

 

参道の途中に夜啼き石がありました。

 

昔は緒川城にあって、夜になると犬の遠吠えのように鳴いたそうです。

 

 

 

 

 

鳥居

 

 

 

 

 

 

御祭神    弟橘媛命

 

 

 

 昔、日本武尊が東征の折、当地の穂積忍山宿禰は水軍を結成し、娘の弟橘比売命をお后として同行させた。

 

その途中荒天に遭い、全軍の安泰を祈って弟橘比売命は海に身を投げ入れた。

 

 

 その後、弟橘比売命の櫛がこの地の紅葉川の辺りに流れつき、この櫛を祀ったことことに始まると伝えられる。


 

 

ここに出てくる紅葉川はどの川をさすのかは不詳だそうです。

 

 

 

 

 

 

 

さねさし 相武の小野に 燃ゆる火の 

 

火中に立ちて 問ひし君はも

 

<訳>
相模の小野に燃える火
 
その火の中に立って、私に問い掛けてくれたあなたよ

 

 

 

 

弟橘比売命が海に身を投げ入れた時の歌ですね。この「相模の小野」の候補地はこちら。

 

 

 

 

千葉県には弟橘姫の伝承が多いのですが、愛知にも櫛の漂流伝承があったんですね~。

 

 

 

 
 

ここに来たかった理由は、弟橘姫の伝承があるからでした。

 

 

 

 

 

龍神社・南山神社・北山神社・津島社・天神社・子安社

 

 

 

 

 

宗像社・八幡社

 

 

 

 

右:招魂社

 

 

 

 

ご神木

 

 

 

 

境内には、入海貝塚があります。もう一つの理由は、これです。

 

 

 

 

 

 

入海貝塚(いりみかいづか)

 

約7000年前の縄文時代早期



境内の拝殿・本殿東の段丘崖に沿って幅約10m、長さ約80mの貝層が弧を描くように分布している。

 

 

 

 

 


土器や石器、骨角器、土偶、石の鏃、シカやイノシシの骨が出土している。

 

縄文土器は「入海式土器」と呼ばれ、東海地方の縄文時代早期末の基準土器。
 

 

 

 

 

貝は75%がハイガイ、15%がカキ、残りがアサリやシジミ

 

 

 

 

 

上層には弥生式土器の散布もみられ、宮西貝塚へも貝層は続いている。

 

 

 

 

 

中央が広場のようになっています。

 

”段丘崖に沿って貝層が弧を描くように分布”ということですが、環状貝塚とはまた違うのかしら?環状貝塚は、中出てこないのかな?こないのかな?

 

 

 

 

あとで調べてみたら、”おまんとまつり”といってでは境内を疾走する鈴を背負った馬に若衆が「ハイヨー」の掛け声と共にしがみつき、馬と共に走るといったお祭りがあるそうです。

 

そのために広場のようになっているんですね。