こんにちは〜🌸
(🌙シリーズ第2回です)
Googleのデータを見ていると、
こんな検索ワードでこのブログに
来てくださる方も多いんです。
「発達障害 可愛い」
「自閉症 イケメン」
「発達障害 顔が整ってる」
一見ポジティブに見えるこれらの言葉なんですが、
私は、いつも少し胸が
ざわっとしちゃうんですね
それは…
“見た目が良い=生きやすい”という前提の裏で、
「見た目と中身のギャップによる誤解」が
静かに広がっているように感じるからなんです。
なぜ「特性がある人に整って見える人」が多いのか?
実は、これにはいくつかの
“構造的な理由”が考えられているそうです。
共通するのは、
「外見の美しさ」ではなく、
神経や情報処理の特性が表情や雰囲気に
現れているという見方です。
胎児期のホルモン(テストステロン)の影響
脳発達と同時に骨格形成にも影響し、
ASD傾向では彫りが深い顔立ちになる場合があるという論文があります。
左右対称性の高さ
表情筋の使い方が限定的で左右差が出にくく、
整って見えやすいと言うものがあります。
また、
愛想笑いとかが苦手で、
いつも本当の感情を表情に出すから、
それが可愛く、かっこよく見えるというのも
あるんじゃないでしょうか。
感覚過敏と視覚優位のセンス
バランス感覚・色彩感覚が鋭く、“全体の調和”を自然に取る人が多く、
それが独特なチャームポイントになる…
他にも色々と考えられることは
あると思いますが
まとめると、
整っているように見えるのは、
神経の繊細さが“静けさ”や“美しさ”
として滲み出ているからではないでしょうか。
でもその“整い”が、
ときに誤解を生むことがあるんですよねー

「普通に見える」と言われる苦しさ
「見た目が普通」
「話せるから大丈夫」
「可愛いし、発達障害には見えないよ」
こう言われた経験や、
こう感じた経験がある方も
多いのではないでしょうか。
でもこの言葉、褒め言葉のようでいて、
知らぬ間に支援や理解の対象から
外されてしまう“静かな排除”につながる
こともあるのではとも
私は思っています。
“見た目が普通に見える”=“困っていない”と
いう思い込み。
それが、生きづらさを深めてしまうことが
あると…
当事者として感じてきたこと
私はサロンでは顔を出していたり
直接オフ会で会う機会があったりもするので、
あまり自分の見た目のことを
言うのはためらうのですが、
この記事の理解を深めるためにも
誤解を恐れずに、正直に書いてみると…
私は、子どもの頃から
顔立ちがくっきりしていて目が大きく、
肌も白く、背も高くて
全然困ってそうに見えないのが悩みでした

「いじめられていた」と言うと、
100%驚かれます。
他にも、「明るそう」「社交的そう」とか
私に合わない言葉をたくさん
言われてきましたしね。
でも実際の私は、
女友達ゼロのまま生きてきて、
ガチ理系の物理系・電気科出身だし、
変電所や鉄塔の研究と古戦場巡り、
黒魔術や行方不明者、
未解決事件の調査などが大好物

(頼まれてもいないのに、
つい自主的に調べてしまうタイプです💦)
どちらかというと“静かで孤独な世界”が
好きなんですよね。
だけど昔は、
「みんなにこう思われているなら、
期待を裏切らないように合わせなきゃ」と思って、
わざと陽キャぶったり、
軽い女に見えるように振る舞ってました。
バカだったなぁ…
だけど、
わたしなりに、すごく頑張っていたんですよね。
本当の私は、
騒がしい場所より
静かな時間を好むタイプなのに、
クラブとか人の集まるパーティーみたいなところに
無理して行ってました。
こんなギャップがずっと苦しかった。
今ではすっかり枯れ細り、
見る影もありませんが、
これらに加えて、若い頃は、
大きな胸やお尻が理由で性的に
誤解されやすいこともあって、
“見た目の印象と中身の不一致”に
何度も傷ついてきたこともありました。
だけど、私が陽キャを演じないと
みんなが離れていってしまうと
思い込んでいたから…
本当の自分に自信がないから…
ずっとずーっと
頑張り続けていました。
だけど、
年齢を重ね、特性理解を深めたことで
少しは生きやすくなったかなと
今では思えています。
見た目で誤解されたときの「翻訳ことば」
今の私は、誤解を感じたとき、
「訂正 → 境界 → お願い」の順で
短く伝えるようにしているんですよね。
たとえば…
「明るそうに見えるって言われますが、
実は静かな環境が落ち着きます。」
とか、
「にぎやかな場は少し疲れやすいので、
静かな席にできると助かります。」
とか…
この3ステップを意識するだけで、
空気を乱さずに誤解をやさしく
整えられるようになり、
自分らしく過ごせる楽しみが増えて、
だーいぶ楽になりました!
ほかにも、
こんな風に言い換えることがあります👇
「陽キャっぽいね」
→「そう見えやすいみたいだけど、化粧が濃いだけなんです💦じつは、1人で楽しめる趣味にばかり
偏っているんですよ」
「発達障害に見えないよ!見た目普通だし大丈夫でしょ」
→「特性は見た目では分かりにくいのですが、
情報量が多い場は疲れやすくて、頭の中が常にパーティ状態になってるんですよー」
「モテてきたんでしょう?羨ましい」
→「注目されやすいことはあったかもしれませんが、こんな感じで
理解されにくいのが課題ですかねー」
とか…
もちろん、適宜、
状況や相手によって
言い方も言葉も変えていますが、
誤解されないためにキャラを作るよりも、
誤解を“翻訳”する方が、ずっとラクで正確だなと
言うところに着地しました

そう思えるようになってから、
人間関係も少しずつ安定していき、
新しいチャレンジも
しやすくなったと思います。
構造として見ると…
“見た目が明るい=中身もそう”という思い込みは、
人に備わっている、
脳の省エネ機能によるものだそうです。
(=ステレオタイプ認知)
人は相手を一瞬で判断してしまう。
でもその“第一印象の最適化”が、
特性を持ち、見た目からはわからない
人の苦しさを
見えにくくしてしまうことが
あると思うんですね。
ここで大事なのは、
“可愛い”と“生きやすい”は別の話ということです。
外から見える印象がポジティブでも、
内側では感情処理が追いつかず“フリーズ状態”な
こともあるあるではないでしょうか…
「ポジティブに見える=困っていない」
ではない。
その誤解こそが、
孤立や支援の遅れを生んでしまうことも
あると
私は思っています。
おわりに
“可愛いのに”“イケメンなのに”…
そう思われるたびに、
【本当の自分を出したら終わりだ!】なんて
考えてしまい、
少しずつ“本当の自分”が遠ざかっていく感覚が
生まれてきます。
だけど、その違和感こそ、
誤解の向こうにある「本当の自分の声」
なのかもしれません。
どうか、見た目で決められる世界に絶望せず、
対処法という“翻訳の言葉”を持って、
あなただけの特別な世界を取り戻してほしいと
願っています

今日も読んでくださって
ありがとうございました☺️