たとえば、空腹のつらさは
人間に「食事をする」ことを促してくれる。
眠くなってきたという感覚は
顔を洗ったり歯を磨いたりといった
寝る前の「身体のケア」への導入につながる。
新しい服が欲しい、旅行に行きたいという思いが
私たちを働かせ、生活させるための支えになる事もある。
人には欲求とか欲望とかがあって
その質や量には個人差はあるけれど
その欲によって生かされている側面があって、
むしろ、人になんの欲もなくなっちゃったら
その人が生きていけるのかどうか、わからないくらいかもしれない。
少なくとも、人生には少し迷ってしまうような気がする。
だから人は、自分の終わりのない欲に苦しむけど
その終わりのない欲によって生かされている、とも言えるのかも。
そしてその欲は、その時の自分の生活水準や社会的な流行、
身近な人の持ち物といった
様々な要素に影響されて、絶えず形を変えていく。
だって、
うおーっ!っと頑張ってお金をばんばん稼いで
都会の高級マンションで贅沢三昧をしたかと思えば、
ある年齢になってくると今度は
「質素で丁寧な暮らしにあこがれる」
なんて言って、わざと不便な環境に身を置いて畑をやったりするお金持ちがたくさんいるくらいなんだから。
要するに、今ある欲が満たされれば、
また新しい欲が用意されるということ。
(ちなみに、生きる気力がなくなってくると
「欲を欲する」状態になったりします。)
人は欲そのものを
あまり良くない物としてとらえたりするけど
むしろ欲っていうのは人を生かす動力源でもあったりする。
大事なのは、その欲が
あまりにも大きすぎたり、底なし過ぎないことかもしれない。
欲は人を生かすけど
やっぱり「その欲を得られない挫折」を味わいすぎるのは
考え物だし、
「その欲が満たされないと生きる意味がない」状態になってしまうのも、やっぱり精神衛生的には少し考えてしまうところがある。
そして、「自分が何を欲しているのか分からない」というのも
メンタルの混乱のもとになったりする。
自分の欲と、その程度を知るっていうのは
意外に大事だったりするんです。
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※このブログ内に登場するエピソードは特定のクライアントさんの経験談とは関係ありません。