【お盆閉室のご案内】
8月13日~16日までカウンセリングルームが閉室となります。
ご迷惑をおかけいたしますがどうぞよろしくお願いいたします
生まれて間もない赤ちゃんの時、
誰もが「無条件で可愛がられ、愛される存在」としてそこにいます。
あくびをしただけで、
手を伸ばしただけで、
その手が小さいというだけで、
大人(親)は「いとおしさ」という感情がくすぐられて
幼い子を優しいまなざしで肯定します。
そこにその子がいるだけで充分で、
「存在していること自体を褒められる」という状態が、当たり前のようにそこに存在します。
「生きてるだけで偉い」とは、まさにこの状態。
そして、この
「存在しているだけで肯定される」という土台をもって、
人は次の段階へ進みます。
次にあるのは、「努力をして褒められる」の段階。
赤ちゃんが立とうとする時、
徒競走で一生懸命走る時、
親の手伝いをした時、
結果がどうだったかに関わらず
「よくがんばったね」という言葉をもらえるようになります。
そう、成長してあちこちへと動けるようになると
「存在そのものの肯定」から「言動や頑張ったことへの肯定」へと周りの意識が変わっていくのです。
すると、
人は頑張ることや何かをすることに対して前向きに捉えられるようになるので、
積極的にいろいろな事に取り組むようになっていきます。
ところが、人が大人になるにつれ、もうひとつ
「成果を褒められる」という段階がやってきます。
これは、仕事を始めると特に分かりますよね。
子どもの頃とは違って、「存在している」「頑張っている」だけではなかなか褒められなくなってくるのが社会人。
お給料が出ている以上、
「依頼された仕事が一つも出来てなかったけど、でも頑張ってるからすごいよ!」
…とは、いつまでもは言ってもらえません。
(ただし仕事を始めたばかりの時は、出来なくて当然です)
「業務が出来ている」という成果をもって、褒められるようになります。
こう書くと、なんだか大人の世界はシビアだな~と思ってしまいそうですが、
成果を肯定されるということは、ある意味「今自分が取り組むべきこと」や「向かうべき方向」が定まりやすいという意味も持っています。
それに、「存在していること」や「頑張ったこと」に対する肯定とは少し違って、「成果」に対する肯定には達成感や充足感が付いてきます。
人が自立して社会で生きていくためには、庇護されている安心感だけではいまひとつ。自分が何かをして、その成果を褒められるという経験が大きな支えになっていきます。
でもこれは、あくまで
存在の肯定→努力の肯定→成果の肯定
と順を追って成長した場合のお話です。
どこかが抜けていたり足りなかったりすると、
さまざまな影響が出始めます。
続きます。
*このブログは毎日19時に更新されます
当カウンセリングルームに所属する、女性カウンセラーの情報はこちら