おいしそうなスイーツの写真を見て、期待に胸を膨らませてから食べてみると、
「あれ?思ってたほどじゃない…」
なんて思うことがあります。
思ってたほどじゃない、という感覚があるということは、当然ですが「自分の頭の中でスイーツの理想の味を想像していた」ということになりますよね。
そして、現実に食べたケーキが、理想の味に届かなかった、と。
現実が、頭の中の世界に及ばない。
こういうことが人生にはよく起こります。
そりゃそうですよね。
頭の中の世界は、どこまでも理想的に作り上げることができますから。
人のあらゆる悩みや不満の多くは、この「頭の中の理想と違う」ことで問題が大きくなっていると考えることもできます。
子供が問題行動ばかり起こすとき、親の頭の中には必ず「言うことを聞くいい子」という理想が浮かびますよね。
「嫌われたかも」とびくびくするとき、頭の中には「こんな自分だったらきっと嫌われないのに」とか「これを言わなければ嫌われなかったのに」という理想の姿がありますよね。
もう何もかも嫌だと思うとき、「この世から消えてスッキリする自分」が頭の中を占領することがありますよね。
よくあるのが、他人と自分を比べることで悩んでいた方が、よくよく考えれば、本当は頭の中にある「理想」と比べて悩んでいた、なんてケースです。
そのくらい、頭の中の世界は魅力的。
では、頭の中に理想があるのはよくないのか?というと、そうではありません。
よくないのは、理想に没入して現実が敵になってしまうときです。
頭の中でなら、どこまでも理想の世界を思い描くことができます。
でも、それをするたび、「そうではない現実」と向き合うのが少しずつ怖くなっていく。
するとますます頭の中に安全で素敵なイメージが膨らんで、
現実世界とのギャップが深まっていく。
「いや、理想は理想、現実は現実でしょ?」と言いたくなる人ももちろんいると思います。
でも、実はそんなに簡単な話ではないんですよね。
もしかしたら、この話は「期待をした分だけがっかりする気持ち」に置き換えたほうが、理解しやすいかもしれません。
期待って、頭の中で考えているだけのことなので、天井がないんです。
現実と違って、なんの制約もない。
だからどこまでも最高を描けてしまう。
そして、最高を描いた分だけ現実のちょっとしたことがすぐ気になって、ちょっとしたことで人一倍落ち込んでしまったり、小さなことでピリピリしたり、安定を保つのが難しくなる。
それが頭の中の「最高」と比較されるから、現実が最低なものに思える。
そうやっているうちに、現実=触るのも見るのも怖いものになってしまいます。
こうやって、自分の世界に閉じこもるようになってしまうと、外の世界が非常に苦痛なものになったり、現実の自分を大切にできず雑に扱うようになってしまいます。
でも、私たちが生きられるのは現実だけ。
現実は本来敵ではなく、味方につけるべき存在ですよね。
頭の中に広がる理想もいいけれど、そんなことに頼らなくてもいい現実世界になったなら、人生も乗りこなしやすいように思います。
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