幸せに生きるために、星の数ほどの多様な努力の種類があります。
若い頃から勉強も仕事も頑張って、高い地位についてお金を稼ぐ人もいれば、
誰かを癒す立場になることで自分を癒そうとする人もいる。
理不尽な場面でも笑顔で居続ける人もいるし、
仕事も手伝いもせずに家の中に閉じこもる人もいる。
これら全部が、幸せになるための努力です。
「幸せになりたいんじゃなくて、コンプレックスでしょ?」
「家に閉じこもったって未来が無いでしょ」
という感想が浮かぶなら、多分自分に厳しい人なんだろうなと思います。
どんな生き方も、幸せになるためにやっている。
それがたとえ「全てが失敗する人生」であったとしても、です。
全てが失敗する人生を歩む時、本人がどんなにつらくても、心は静かに期待しています。
何を?
例えば、
「親の期待という枷が外れて自由になれることを」
「どん底に落ちることで、親が愛情で助けてくれることを」
「全てがダメになった時に、自分が生まれ変われることを」
期待しているかもしれません。
心は、「幸せになるためにどうしたらいいの?」を過去の傷から逆算して考えようとします。
そして、最近思うのは、「過去の傷を受けた時」の心で考えているんじゃないか?ということ。
つまり、
5歳で受けた傷は5歳のあなたが、
10歳で受けた傷は10歳のあなたが、
「こうならないためにはどうしたらいいの」と必死に考えたことが、反映されているのかな?と思ったりします。
今の生き方がどんなにつらくても、それは過去の傷ついたあなたが、その時の年齢のまま考えた「最良の案」なのかもしれません。
そう思うと、自分の不器用な生きざまの中に、優しさがたくさん詰まっている事に気が付きますね。
今なら、5歳のあなたには思いつけなかった幸せを、思いつけるかもしれません。
5歳のあなたには出来なくても、20歳、30歳、40歳、50歳…のあなたなら、もっといい方法で自分のことを助けてあげられるかもしれません。
*このブログは毎日19時に更新されます
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