身近な人に裏切られて苦しい思いをした人がいます。
誰もが当然享受するはずの初歩的な愛を受けられなかった人がいます。
どんなに自分を責めて泣いても、一つも許せず、何も変われずに悲しむ人がいます。
そういう人達が、「あきらめたような顔」をしてカウンセリングにやってくる。
人を信じていなくて、自分の幸せも分からなくて、四方八方がうまくいかずに苦しいけれど、もう動き方がわからない状態です。
でも、
「まあ、こういう人生なので」と力なく言うそんな人たちの目の中で、静かな怒りがメラメラと燃えているのを私は知っています。
「見ないふりをしてきた怒り」のエネルギーはとても強い。
いつまでも消えない燃料になるから生き延びることはできるけれど、その代わり内側がいつも燃焼していて死ぬほど苦しい。
そんな苦痛を感じながら、「自分が悪いんですけど」と言うしかない人達のやるせなさを思います。
他人に与えられた怒りや悲しみに、自分の命をすり減らされてはいけません。
コントロールできないほどの自責の念に、押しつぶされてもいけません。
「生殺与奪の権を他人に握らせるな」と冨岡義勇も言ってたはずです。(鬼滅の話)
あなたは、どうにもならないことを証明するためにカウンセリングに来たわけじゃない。
どこにも出せない怒りを弔って、焼けただれた自分を愛し、本来の生き方に戻るために来たのではないのですか。
あなたの人生は、あなたが舵を取らねばならない。
もしかしたら今のままでも生きていけるかもしれないし、苦しみに役割を与えれば慰められるかもしれない状況で、
それでもカウンセリングに来ようとしているその意味を、誰よりも自分が分かっているのではないかと思うんです。
そう、LiSAだって、「震える手は掴みたいものがある」って歌ってました。(鬼滅の話)
カウンセラーには、出来ることと出来ないことがあります。
最終的に生きやすくなることを望むかどうかすら、クライアントさんが決めることです。
だけど、さまざまな思いを抱えてカウンセリングルームに立ったクライアントさんを、どんなカウンセラーも歓迎します。
人に傷つけられた人が、自分の判断を信じられない人が、他人を頼ることを選び、その選択を自分の意思で行ったことを肯定します。
自分と向き合い、誰のものでもない自分の人生を生きるために、一歩踏み出したことをカウンセラーは忘れません。
*このブログは毎日19時に更新されます
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