昨日の続きです。
正論を言う母親、
心配しすぎな母親、
子の意見に否定ばかりする母親、
一見タイプが違うように見えますが、
どの母親も「正しい母親」であることを昨日書きました。
「正しい」とは何か?と言うと、
「母親の言ったとおりになる」とか
「客観的には常識的なことを言っている」とか
「母親が子供を審判する」ということです。
正論を言う母親の前で子供は、
「母親が正しくて、自分が間違っている」と思わざると得ません。
自分の意見にあらゆるデメリットを述べられた子供は
「じゃあやらないほうがいいんだろう」
「母親に心配させてしまって悪いことをした」と思い込みます。
否定ばかりする母には
何を言っても「違う」「おかしい」と言われるので、
自分が間違えたり、何か恥ずかしいことをしてしまったように感じます。
一般的に思われているよりも、「母の一言」が子に与える影響は大きく、
母親に「向いてない」「それで大丈夫なの?」と言われるとその通りに失敗する、という現象がよく起こります。
そして母親に「ほら、お母さんの言ったとおりになったでしょう」と言われることで、
子供はとても惨めになり、母親の賛成を得られる物だけを求めるようになります。
正論を言っているから母は正しい。
私のためを思ってくれるから母は正しい。
母のいう通りになるから母は正しい。
「母親は正しい」と思うほど、「自分がおかしい」という感覚も子供の中に出てきます。
この状態になってしまうと、子供はどんなにひどい母親に対しても「うちのお母さんはおかしい」と思えなくなります。
そう思うことに強い罪悪感が出てくるのです。
正しい母親の元で育った子供は、
この罪悪感の壁が高く、なかなか家族のことをカウンセリングで話せなかったりします。
むしろ、
妙に家族のことをかばったり、
母親のことを心配したり気遣ったりして、
大人になっても母親優先で生きづらい思いをしているのに、
「でも私も悪くて…」と母親を擁護します。
心の中は罪悪感とトラウマでいっぱいで、
「母親にもっとこうしてほしかった」という気持ちがあふれているのですが、
母が正しい、と思うからこそ、その一言がとても言いづらいのです。
(そしてこの子供を「母親思いの良い人」と捉える人が周りにいると、
「これが正しいんだ」とまた思い込まされてしまいます。)
「自分が傷ついたこと」と、「母親の正しさ」は同じ天秤には乗りません。
傷付いた体験を口にすることが、母親を貶める事にはなりません。
自分が楽に生きることが、母を見捨てる事にもならないのです。
「正しい母親」の元で育った子にとって、とても大事なことです。
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