クライアントのAさんは中学校でいじめられた経験がありました。
どんなことがあったのかを聞くと、
「えーと、無視されたりとか、たまに蹴られたりとか…いじめと言うほどのものではなかったですよ…蹴られるのも全然痛くない位の強さでしたし…」
と教えてくれます。
え?それはどう考えてもいじめじゃないの?
と私が言っても、「そうですかね…」とあいまいな返答です。
とはいえ中学校3年間、この方はずっといじめのターゲットになっています。
閉鎖的な環境の中で敵意や嘲笑を受け続ける苦しみはどれほどだったでしょうか。
ところが、ここにもAさんは「う~ん」と微妙な返答をします。
「当時はつらかった気がするけど、そんなに…」
確かにAさんは、こちらをむいてニコニコと話をしています。
あんまりこの話は重要じゃないよね、と言わんばかりです。
Aさんのいじめを受けたことによる心の傷はもう癒えたということなのでしょうか。
それとも、Aさんの言う通り「大したものではなかった」のでしょうか。
Aさんにティッシュをお渡しします。
直前までにこにこしていたはずのAさんの目に、いっぱい涙が浮かんでいました。
「自分の話をするときに、なぜか泣いてしまうことがあるんです」
特につらいと思っていないはずなのに、話しているうちに涙が出てきて困るんだそうです。
「自分でもどのタイミングで泣くのか分からないから、リスキーすぎて誰にも自分のことを話せないんですよね」
そこまでいうとAさんはまた笑って、そのあと静かになってしまいました。
本人の心と体では支えられない位のトラウマを負うと、
そのトラウマを「一回忘れよう」ということで記憶の奥にしまってしまうことがあります。
それは記憶喪失のようにはっきりと「記憶がない」状態になることもありますが、「ぼんやりとしか覚えていない」「昔のことだから忘れた」程度の曖昧さで現れることもあります。
Aさんが、中学のいじめが自分のトラウマになっていることに気が付くのはここから1年後でした。
続きます。
※クライアントさんご本人からお申し出をいただき、このブログを書いています。
許可なくクライアントさんのカウンセリング内容を記載することはありません。
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