「食べ過ぎてしまう」の後ろにある悲しみ | 仙台駅前にあるカウンセリングルーム まきび

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開設から18年。不安感・対人関係・恋愛・トラウマについて小さなご相談から改善に向けた専門的な分析・心理療法によるカウンセリングまで幅広く承ります。仙台駅前パルコ2から徒歩1分のビル内にある看板のないカウンセリングルームです。Zoom、スカイプ、お電話でも承ります。

過食をやめられないと、お悩みが「食べ過ぎるのをやめたい」になります。

 

 

だから、過食をやめたい多くの方が、

 

「今日から食べない」

「運動をする」

「この服が着れるようになるまで我慢する」

 

などの決意をするのですが、少し経つと元の状態に戻ってしまいます。

 

 

それは本当は、意思の弱さの問題ではないけれど、

「食べ始めた時期」ではなくもっと前にきっかけがあるんだけれど、

自制心でどうにかしようとする人は自分を責めがちなので、なかなかそこに気づけなかったりします。

知識としては知っていても、なんだか自分に当てはまらないような気がしちゃうんですよね。

 

カウンセリングではよく、

食べ過ぎてしまう背景にある悲しみに気づこうね、というお話になります。

 

問題は、「やめられない」ことじゃなくて、「やらないと生きていけない」状態の中にある。

過食は悲しみの受け皿です。

過食を無理やりやめてしまったら、その悲しみは「過食に代わるもの」を探してしまいます。

 

過食って、身体も心もボロボロになってしまいますよね。

お肌が荒れてしまう方もいるし、胃も痛い。

口の中や手を気にされる方もいます。

食べ過ぎるごとに、吐き戻しをするごとに、自分を肯定できなくなっていくような気持ちにもなります。

 

それって、ものすごく大変なことなんですよ。

自分がボロボロになるような手段を取るしかないほどの悲しみって、いったいどれだけつらかったのか。

 

でも過食をしてしまう人はそこが分からない(過食で悲しみがコーティングされている)から、「なんでやめられないの」と思ってしまいます。

そしてその怒りや悲しみが、また過食を呼んでしまう。

 

過食をしてしまう人達は、誰にも見てもらえなかった悲しみを一人で背負ってしまった人達です。

そしてその悲しみをどうにか背負い続けるために、痛みで必死に自分を麻痺させている人達です。

 

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