自分ではない何かになりたくて、人はいろんな想像をします。
アニメや漫画の中の人物になったつもりで
ストーリーを思い描いたり、
スポーツ選手になったつもりで
自分のヒーローインタビューを想像したり、
誰かえらい人に素質を認められて
周囲から羨望のまなざしを向けられることを考えたり。
誰にでもある、このような想像は
すればするほど、
「そうなれない(なれなかった)自分」を
際立たせて、
「こうあるべきだったのに」とか
「何かを成せるはずだ」という気持ちを
鋭くさせます。
まるで、
今の自分の存在が
「恥ずかしいケアレスミス」かのように感じるので
消しゴムでごしごしと消して、ミス自体が無かったことにしたくもなります。
何者かになりたいというのは
今の自分ではだめだという気持ちの表れですが、
実際は
「自分ではない何者か」になろうとする方が
今の自分を育てることの何倍も、不快な思いをします。
夢を見るのは確かに楽しい。
その中にいっときの救いもあるでしょう。
「本当は自分にもすごい力があるんじゃないか」と思いたくなりますよね。
でも、現実の自分をおざなりにしたら、
ただの夢の住人になってしまいます。
今まで生きてきた私達には、生きる素質がちゃんとあって、それを不器用ながら証明しつつここまで来ました。
奥歯をかみしめ、時に涙を落としながら、何年も何十年も生きた自分をどうして否定できるでしょうか。
自分で思っているほど、自分というのは悪くない。
それでも自分が嫌いなのは、ただ、あなたが求めすぎているというだけです。
何者かでなければ自分を愛することが出来ないだけです。
*このブログは毎日19時に更新されます
当カウンセリングルームに所属する、女性カウンセラーの情報はこちら