他人に愛してほしいのは、自分で愛せないから | 仙台駅前にあるカウンセリングルーム まきび

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開設から18年。不安感・対人関係・恋愛・トラウマについて小さなご相談から改善に向けた専門的な分析・心理療法によるカウンセリングまで幅広く承ります。仙台駅前パルコ2から徒歩1分のビル内にある看板のないカウンセリングルームです。Zoom、スカイプ、お電話でも承ります。

昨日の続きです。

(あ~、週に1回グルテンフリーのブログあげるんだった~忘れてた~)

 

「愛されたい、だけど自分が変わってしまったら意味がないのではないか。」

そう考える方達がたくさんいます。

 

なぜ意味がないかというと、

着飾ったりきれいになったから愛してくれる=本物の愛ではない

と感じるからです。

 

これは見捨てられ不安ともつながっていて、

自分のアラが見えたらすぐ捨てられてしまうんじゃないか、とか

表面的な部分を好かれているとすぐに他の人のところに行ってしまうんじゃないか、とか

「捨てられる」事について考えてしまうクセがついているかもしれません。

 

ここからもう少し深堀していくと、

「ああ、この人は自分のことが大嫌いだから変われなくて苦しいんだな」ということが分かってきます。

(個人差があるので、あくまで例です)

 

嫌なのに変われないのが苦しい、ではなくて、

「嫌だから、変わることが出来なくて苦しい」ですね。

これだけだとなんだか矛盾しているように聞こえます。

 

自分のことを自分で愛せないと、

その愛を他人からもらう事にこだわりが出てきます。

 

なので他人から愛してほしい、という気持ちが強くなります。

 

でも、「自分が嫌いな自分を愛してくれる人」にこだわるということは、

「自分が嫌いな自分で居続けなくてはならない」事にもなりますから、

愛されたいと思えば思うほど、変わることが出来なくなっていきます。

 

この仕組みが心にあると、表面的には

「相手のために自分を変えるのは面倒、そこまでしたくない」

「ありのままの自分を愛してくれないんじゃないかと不安」

「それでも誰かに愛されたい気持ちが消えない」

という矛盾した悩みを抱えているような気持ちになります。

 

わがままでも、怠慢でもなく、

今までの人生経験から作られたストーリーがそこにあるから

その道から外れて「変わる」ことが怖くなって動けなくなってしまう。

 

そしてその奥には、傷つかないための安全装置が必ず作動していて、

本人の意思の強さとは関係なしに、「変わらない」を選択してしまう仕組みがある。

 

本当はみんな、もっと簡単に、軽い気持ちで変わっていけるのです。

 

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