悲劇のヒロインの世界、主人公は誰? | 仙台駅前にあるカウンセリングルーム まきび

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昨日の続きです。

 

自分に軸がある人は変わっていけるけど、

他人に軸がある人は変わりたいのになかなか変われない

というお話を書いていました。

 

 

ここで、「悲劇のヒロイン」の場合はどうなんだろう?と考えてみます。

 

悲劇のヒロインは、恵まれない境遇や不憫な状況こそがウリの立派なヒロインです。

 

転じて、最近は「可哀そうなアピールをすることで周囲の気を引く人」という意味も持っています。

 

「困っている」と言うのは口だけで、何にも動かない人。

周囲から同情されたり優しくされたりすることを望んでいる人。

 

困っている状況から抜け出さないことできちんと恩恵を受けているのなら、これは自分に軸があるということなのでしょうか。

 

 

いいえ、悲劇のヒロインも他人が軸になっているだけです。

 

もし自分と自分を比べることが出来るなら、とっくに置かれている状況の苦しさにギブアップして、どうにか改善しようともがいています。

 

「誰よりも不幸」という他人比較の視点があるからこそ、悲劇のヒロインの役割を果たし続けることが出来るんです。

 

つまり、「他人が軸」というのは、

まるで自分が他人の視点から物を見ているような感覚がある、ということになります。

 

自分はここにいるのに、他人の視点を通さないと自分を見ることができない。

 

他人の視点から見ているから、他人と自分との比較しかできない。

 

だから、他人の視点にコントロールされていて、思うように生きられない。

 

 

もし、悲劇のヒロインが「見せかけのヒロイン」だったら、

悲劇のヒロインは良くも悪くも「注目を集める係」であって、誰かの囮にすぎないのかもしれません。

 

不幸な境遇や不憫な結末から抜け出せない「ヒロイン役」にみんなが注目している陰で、本当のヒロインがゆっくりお茶を飲んでいる。

 

誰もが、これは自分の世界で私が主人公だと思い込んでいるけど、

「私」が主人公ならば、「変わりたいのにいつまでも変われない」なんてことは起きない。

 

本当は他人の世界でにせもののヒロインをさせられているだけなのかもしれません。

 

 

じゃあ、

「誰かの囮」の誰かって、本当のヒロインって、誰?

 

自分の世界の中心をのぞいてみると面白いかもしれません。

そこに誰がいますか?

 

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