他人と自分を比較することで、客観的な視点から「差」に気が付けることがあります。
例えば憧れているアイドルの容姿に近づきたいと思ったら、
アイドルの写真と自分の写真を見比べてみます。
「私の方が釣り目なんだな」
「このアイドルはよく見たら私より髪の色が薄いかも」
と、その「差」に気が付くことで、
「化粧でたれ目にできるかな」
「今度アイドルの写真をもって美容室に行ってみよう」
という「改善案」を分析できます。
このように他人と自分を比較してみると、今まで気が付かなかった自分の特徴と対処法を発見できるというメリットがあります。
具体的な「改善ポイント」を掴むことで、最短距離で自分を変化させることも可能になります。
でもその一方で、
「あの人と比べて私は不細工だな、目が小さいし髪もぼさぼさで、太っている」
「あの人の旦那は話を聞くのがうまくて優しいのに、私の旦那は分かってくれない。結婚した意味あったのかな。」
「あの人に比べて私には才能がないな。努力するしか道がない。」
同じように他人と自分を比較しているのに、「いつまでたっても変われない」という人もいます。
この差って一体何でしょうか?
表面的にみると、「前向きな比較か、後ろ向きな比較か」という違いがあるように見えますね。
前者は、「変わりたいから比較をしている」
後者は「自分はダメだと言うために比較をしている」
そんなイメージが浮かんできそうです。
では、「前向きな比較をする人」と、「後ろ向きな比較をする人」では何が違うのでしょうか。
それは、他人に軸があるか、自分に軸があるかです。
他人といくら比較しても、自分や自分を取り巻く環境が変わっていかないのは、他人を世界の中心において、自分を比較対象としてしか見れなくなっている状態です。
他人が世界の中心だから勝手に変わることが許されないし、
自分は比較対象でしかないので、他人と比べれば比べるほど「自分は恵まれないな」と思う、その気持ちだけが増えていきます。
自分に軸を持っている人は、他人と自分を比べているように見えても、実際は自分と自分を比べています。
憧れているアイドルのような素敵な「自分」になりたいから、動く。
それはつまり、今の自分よりも良くしたいという事です。
過去の自分と今の自分。
今の自分と、努力した未来の自分。
いつも自分と自分を比べることが出来ていると、自然とやることが見えてきます。
でも、他人に軸をとられている人は自分と自分を比べることが苦手です。
他人が世界の中心にいるので、必ず他人と自分を比べなければならなくなります。
他人の夫と自分の夫を比べることは出来るけど、「夫がいる自分」と「夫がいなくなった時の自分」を比較することが出来なかったりします。
他人と比べて「自分は不細工」だと思うことは出来るけど、
「このままの自分」と「努力した自分」を比較することが出来なかったりもします。
そして結構問題なのは、
自分と自分を比べられないということは、自分の変化も受け入れられないということ。
憧れの容姿に「自分が」なりたくて髪色を変えた人は、
「ちゃんと近づいてる。前の自分よりいい感じだ。」
と思えている時に、
他人が軸になっている人は、
「髪色を変えたけど結局あの人のようにはなれなかった。」
と落ち込んでしまって、
自分が変化したという事実や
そのためにしたこと
その時の気持ちなどを
全部簡単に捨ててしまいます。
他人が軸になっているということは、
自分が良くなる事ではなくて
他人になることを目指してしまっているから、
「他人になれなかった」という結果が全てになってしまいます。
続きます
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