「つらいことに耐えるのは“えらい”」
「我慢強いことは美しい」
「耐えていればそのうち強くなれるはずだ」
こんな気持ちの裏には、「いい子にしていなければ」という思いがあったりします。
幼いころから家族内のバランス調整役という責任を無意識に背負っていたり、
母親が情緒不安定で、子供らしくいることが叶わなかったり、
親がそもそも「忍耐の美学」を強く抱いていて子供にも求めていたり、
そんな背景を抱えているケースがまま見られます。
こんな人たちは、ある時は働きすぎたり、またある時はいじめに耐えたり、あるいはDVっ気のある恋人と一緒にいたりして、傍から見れば「苦労人」「まじめ」「いつも巻き込まれる人」という印象を持たれがちです。
当の本人は、嫌だなあと思いながらなんでも受け入れます。
忍耐力があることや我慢強いということは素晴らしく、人間としてよくできている。
立派な人間にならなければ。
もっとつらい人もたくさんいるのだから。
このくらいの苦しみで喚かない良い子でいなければ。
だって耐えられないと生きていけないのだから。
そんな気持ちが本人にとっては「美学」あるいは「生きる術」として身についています。
でも、もし「心が鍛えられたらいつか苦しくなくなるかもしれない」、なんて気持ちで我慢しているなら、少し立ち止まることも必要です。
いくら耐えても、苦しみはいつもあなたに新鮮な傷をつけていきます。
思い返せば、きっと今までもそうだったはずです。
弱い心を強くするために耐えようとして、ただひたすら傷を増やしてきていませんか。
私は弱いから、と口癖のように言う人がいますが、弱い心とは傷のついた心の事です。
傷を治すのに必要なのは、新たな傷ではありませんね。
もし強くなりたい、もっと心の強い人間になりたいと思うなら、
必要なのは傷の上に傷を重ねることではなくて、
眼を開いてその傷をよく見ること、そして適切な処置で癒されること。
痛みを無視せず、未熟なまま癒される自分を許す度量。
それもまた強さだと思いませんか。
忍耐の美学を捨てて、新しい生き方に手を伸ばすこと。
今まで耐えてこられたのなら、その程度の強さはすでに持っています。
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