突然ですが、私には「友人」と呼べるような人はあまり多くいません。
誰かとくだらない話をすることはありますが、「友人」というほど近しいかと言われると、さてどうなんだろうかと考えてしまいます。
多くの方にとって友人というのは、知人以上に親しい人、という意味だろうと思います。
すると当然、「親しくしてもかまわない相手」、つまりストレスのかからない相手を「友人」と思うはずなのです。
ところが不思議なことに、実際に「友人」の蓋を開けてみると、そこには「心地よい関係」どころか不快な感覚が渦を巻いていたりするのです。
例えばあるクライアントさんのお話を聞いていた時、
そのクライアントさんはニコニコしながら、友人のAさんとディズニーに行ってきたことを報告してくれます。
Aさんとは大学から10年以上の付き合いがあって、今でも仲良くしているのだそうです。
このエピソードに何にもおかしい点はないはずなのに、話を聞いているとなんだか首をかしげたくなるような変な気持ちになりました。
また別の日、今度は友人Bさんの話がちらっと出ました。その時はなんとも思わなかったのですが、その後Aさんの話が出るとまた私は「なんか変な感じ」がやってきます。よく見るとクライアントさんの顔も少しこわばっているようにも見えたので、これが「変な感じ」の正体だったのかもしれません。
思い切ってクライアントさんにAさんの話をしばらくしてもらうようお願いすると、クライアントさんがぽつりと「Aさんのことは嫌いじゃないのに、会うと疲れたり、嫌な気持ちになったりする」と教えてくれました。
このクライアントさんは、
・容姿のよいAさんと並ぶと気分が落ち込む
・なんとなく話がかみあわない
・品定めされているような気分になる
などの気持ちがAさんにあるようです。
そこで「嫉妬」や「劣等感」などの気持ちに効果がある心理療法をいくつか試してもらいます。
試した後、クライアントさんが「一番効く」と思った心理療法は、
『攻撃される恐怖』へのアプローチをするものでした。
そこで、クライアントさんが「Aさんから遊びの誘いが来ると嫌だなと思う。逃げられない気持ちになる。」と言っていたのを思い出しました。
このクライアントさんはAさんに対して「攻撃される恐怖感」を抱いていて、Aさんから攻撃されないように従順になっていたのかもしれません。
このクライアントさんのように、「友人」と自分の中で思っている相手に対して、実は不快感や恐れを抱いている人は案外たくさんいらっしゃいます。
一度友人として近づいてしまうと、それをひっくり返して「あの人は友人じゃない!私は本当はあの人が嫌い!怖い!」と思うことに罪悪感があるかもしれません。
でもその感情に気が付くことは、負の感情で強制的につながれていた関係をゆるめて、本来自分が望んでいた関係性を生み出す一歩にもなります。
もし、「嫌いじゃないけど一緒にいると不快感や疲労感がある」友人がまわりにいるなら、
ちょっと立ち止まって、考えてみましょう。
*このブログは毎日19時に更新されます
当カウンセリングルームに所属する、女性カウンセラーの情報はこちら