カウンセリングをするうえで、当然カウンセラーは
「この人に今よりも幸せに生きてほしい」
というような気持ちを抱くのですが、
しあわせに生きる、ということをよく考えてみると、
果たして「しあわせ」とは何だろうか?という問いが待ち構えています。
「しあわせ」は、人生の旗印にするにはあまりにも抽象的で、
見えるような、見えないような、あいまいな言葉のようにも感じます。
そして当然、しあわせの形は千差万別。
押し付けるものでもなければ、見つけてあげるものでもありません。
だからカウンセラーはクライアントの幸せこそ望んでも、
しあわせの形を勝手に決めつけるわけにはいきません。
ただ私は、カウンセリングをする中で
「しあわせがよく分からないんです」
「しあわせとはなんでしょうか」
と訴えるクライアントさんに、
しあわせが分からない状態であっても何か現実味を感じられる応えはないか、
それでいてクライアントさんの「らしさ」の妨げにならないものはないか、
と、なんとなく探し続けているところがあります。
それで、
しあわせとは何か、という問いにすぐ応えることは難しくても、
しあわせかどうか、ということならば、一つの目安を思いつくことができました。
「夜が明けることを肯定できるか」
これがひとつの目安ではないかと。
私達は「今日の延長線上に明日がある」と感じる生き物ですから、
明日というものをある程度肯定して、すんなり迎え入れようとするならば、
すなわち今日が悪くない一日であったと言えるのではないか。
そう考えたわけです。
この、「肯定」は、ウェルカムでなくてもいいんです。
明日が来ること、つまり今日の夜が明けることに対して抵抗がない、
フラットな気持ちで当たり前に床につけること。
それは、生き続けることへの抵抗が少ないということにもなります。
もちろん、これだけでは「しあわせ」とは言い切れませんね。
例外もたくさんありそうです。
でも、少なくとも夜が明けることを肯定できるなら、
しあわせの土台くらいはあるかもしれません。
私は小さいころ、学校に行きたくないと思うと夜が憂鬱でした。
帰宅したばかりの時間が一番うれしくて、夜が更けてくると落ち込みます。
ああ、寝たら朝になってしまう。また学校か。と。
あの頃は全く、夜が明けることを肯定できていませんでしたね。
でも今は、何も考えずに明日を迎えることができます。
さすがに毎日「明日も楽しみだな!」と思っているわけではありませんが(笑)
なんかつらい、なんかいやだ、と思いながら布団に入ることはめったになくなりました。
私はクライアントさんに、「生きろ!」「しあわせになれ!」とは言いませんが、
どうせ生きるのであれば、「すんなりと明日を迎えることができる」という静かで代え難いしあわせを感じてほしいなと思います。
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