祖父を思い出しても、“大好きだったはずのおじいちゃん” としか思えない。おじいちゃん大好き!という感情が湧かない。
4年間もあわなかったのに、母子寮へ愛に来てくれたのを無視した小4の私。
なんて冷たい自己中な人間!という思いがずっとあった。
東京での連続講座で知った講座に参加して、祖父への気持ちがなんだか揺れた。
連続講座の講師にカウンセリングを申し込んだ。
ただ、ただ、「おじいちゃん大好き!」と泣き叫ぶ。
講師はぐちゃぐちゃの私の顔を見てるんだわ、と冷静な私は思う。
そして、「1時間たったけれど、続ける?」 に、『料金追加ってことね!でも、今、やりきらないと…』と、泣き・叫んでいても現実理解の冷静さが顔を出し「はい」とこたえる。
『おじいちゃん大好き!』と『おじいちゃん』を思い出したら、小学生になったばかりの私は生きていけなかったんだ。
連続講座を数年受けないと浮上しないぐらい心の奥深くに『おじいちゃん』を埋め込まないと、あの淋しさを生きてこれなかった私だった。と、納得する出来事だった。
そして、泣き・叫ぶ自分と、それを見ている冷静な自分が同時に存在する。
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