『自分を信じる』の誤解 | 仙台駅前にあるカウンセリングルーム まきび

仙台駅前にあるカウンセリングルーム まきび

開設から18年。不安感・対人関係・恋愛・トラウマについて小さなご相談から改善に向けた専門的な分析・心理療法によるカウンセリングまで幅広く承ります。仙台駅前パルコ2から徒歩1分のビル内にある看板のないカウンセリングルームです。Zoom、スカイプ、お電話でも承ります。

*このブログは毎日19時に更新されます*

カウンセリングルームまきびHP:自己紹介

『自己実現』と言う言葉と同じく、『自分を信じる』というのもどこか誤解の多い言葉だと思います。

雑誌によく載っている『自己実現』≒目標達成≒自己満足のような図式は、マズローが初めに唱えた意図とは違うようですが、これは2014年12月30日のブログで書いたことと思います。

『自己実現』とはより愛他的で、献身的で、自己超越的で、社会的であるとマズローは述べています。

同じくして『自分を信じる』というのも、『自分を信じる』≒自分の中から生まれてくる衝動や欲求や考えや直感的なものを信じる、となると誤解が生じる気がしています。

なぜなら被害妄想や誇大妄想も自分の中から生まれてくる衝動や欲求、考えや直感的なものであるからです。

明らかに人の話を聞かず、立ち位置や場の空気を無視して『自分は間違っていない』≒『自分は正しい』≒『自分を信じる』となってしまう場合、自分の意見に固執していることががあります。

これは被害妄想の状態の人がよく陥りがちです。この状態の人の特徴は相手の話を聞いて吟味する姿勢が乏しいです。話し合って理解しあう視点が欠けている感じがあります。そして周りの状況、立ち位置、などTPOをわきまえていない感があります。

直感的なもの、衝動や欲求もときに吟味してみる必要があります。説明がつけられない意見もただの決めつけや妄想の類、勘違いにすぎない場合があります。

被害妄想、誇大妄想状態の人は話が一方的なので会話が成立しないので、ある意味で『自分だけを信じている』と言えなくもないですが、これは病的な状態であって健全な状態ではないのです。あくまでそこに話し合いが成立するところ、柔軟性があるところに、健全な意見や直感や考えがある気がしています。

『私がこう思う』、それだけでは会話は成立しないのです。会話とは目に見えないTPOの上に成立するものだからです。被害妄想、誇大妄想状態の人はそれを的確にとらえることができません。なぜなら自分の内側からやってくる、『相手を否定したい』、『自分が正しいと思わずにはいられない』衝動がとても強いからです。

そしてもう少し話をすすめていくと『自分を信じる』というのはその芯に自分以上の存在がいることを信じていて(昨日のブログの言葉を使えば尊敬心があり)、その中にいる自分を信じる、というのが、本質的なことと近いのではないかと、なんとなく私は理解しています。

そういう形の『自分を信じる』であるのなら、安心感があり、自分を守る必要がなく、ゆっくりと相手と意見交換ができ、その中で自分自身の状態をより吟味し、自身を高めるアイデアを得ることができるのだと思うのです。そこには自分の意見に固執する観念はないように思えます。

まとめると『気楽に生きる』、その安心感があり、自己逃避的でない『尊敬心』がある。その上にかたくなになることがなく、安全な形での『自分を信じる』ことができるのなら、マズローの言う、『自己実現』のような何かに一歩近づけるのではないか、その土台の要素のいくらかが備わった状態になるのではないかと思うのです。



*このブログは毎日19時に更新されます*