母の意思が私の将来を決めた…の巻 | 仙台駅前にあるカウンセリングルーム まきび

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私にとって大学は行くもの教師はなるものと何の疑いもなく思っていた。

いつそう思ったのか、なぜそう思ったのか、全く記憶がない。

多分、記憶に残らない幼い時から、母に埋め込まれたのだろう。



家の貧しさとは何の関係もなかった。一応、高校・大学と日本育英会の奨学金は貰ったが…学費を母に出せるのか?なんて一度も思ったことはなかった。母にとっては、私を教師にすることだけが生きるよすがだった。

離婚後、私を教師にする以外、母にとって生きるすべはなかった。あの時代は、まだ、離婚は女にとって「人生最大の恥」だった。だから、女一人でも子供を大学にやって教師にすることが、世間を、離婚相手をみかえす一番のことで、どんな苦労もいとわなかったんだと思う。



母がそれほど教師にこだわったのは、自分が教師になりたかったから。しかし「教師と看護婦(師)はいかん。どんなに出来が悪くても相手はよくしてほしいからあたまをさげるから」と父親は許してくれなかったと言う。



だったら、敗戦で引き揚げてきたとき、なぜ教師にならず、口減らしのような、しかも頼りないと思い初めから嫌だった結婚したのだろう?いつかその訳を聞いてみようと思っていた。が、もう聞けない。この7月、視床出血で倒れ、まともな話はできなくなっている。そして、その訳を聞いても聞かなくてもどっちでもよくなってる「わ・た・し」がいる。


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