『私も子どもよ』長女の叫び…の巻 | 仙台駅前にあるカウンセリングルーム まきび

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長女は小6の3学期、4・5日登校しただけで卒業式まで登校拒否…当時、不登校という言葉はなかった。

こたつで低温やけどがきっかけだった。



その頃、NHKラジオで教育相談が毎日放送され、どの回答者も「登校刺激するな」だった。

若い担任も「どの本読んでも登校せよと言うなと書いてあり、どうしていいのかわからない」と。



私は娘に「小学校は義務教育だから3学期全部休んでも卒業できるから大丈夫」と言い続けた。



ちょっとスーパーへ食糧買出しに行くにも「お母さん、どこ行くの?」と不安がるがついては来ない。

そんな中で、体操教室にお願いして3学期の間だけ参加させてもらい、ここへはバスに乗って一人で通うようになった。



初めは私も不安だったがラジオを聞いたりしているうちに、

「私も子どもなのよ!」という長女の叫びではないかと思うようになった。



双子が生まれた時から、ずっと、我が家の一番の働き手だった。おしめを替え、ミルクを飲ませ・・・

長女のそんな働き手としての在り方が、私でさえ、当然としてしか見てこなかったように思う。



4人を並ばせ「一人10数える間よ」と一人ずつおんぶするのが毎日の行事になった。

私と同じ身長になってる長女をおんぶ。

それ以外にしたことってあったかな???

教科書を開いたことは一回もなかった気がする。



友達は『やけど』と思ってるから、時々遊びに来てくれた。そのうち「先生たちはお日さんの当たってるところにかたまってる。私たちは日陰のまま寒い。そろってないとか言われて立ったり座ったりばっかり」と卒業式の練習の愚痴を長女も私も笑って聞くようになった。

卒業3日前日「明日から行く」と言ったが朝になると登校はできなかった。その午後の友達の言葉「明日PTA会長さんからお菓子が出るんだって」に卒業前日登校。



卒業式後、引越し、誰一人知らない中学に入学した。



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