「私は、私なりに」を認められなかった…の巻 | 仙台駅前にあるカウンセリングルーム まきび

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「私はいいかげんで運がいいだけの人間」とずーっと思い込んでいた。

それは『母が定める基準』を満たせないからだったと今は思える。

『愛』とは『自分を犠牲にして尽くす』こと。

『努力』とは『苦しんで傷ついてやる』こと。



私は自分が犠牲になるなんて、苦しむなんて、傷つくなんてまっぴら!と思う。

そんなことになったら、母のように「うまくいかないのは○○だったから」「あの人がああ言ったから」と母の血をひいてる私は自分以外に責任を押し付けてしまう、と思っていた。

母は、道徳を超えて修身を生きよと私にだけは詰め寄るのに、『自分は、間違うはずは、ない!』と信じているとしか思えなかった。



しかし、経済的には立派この上なかった。一銭の扶養手当ももらえない中、実家の10人の家事をしたうえに生活費を入れ、子ども二人を育て、家を買い、退職後には年に数回海外旅行ができるほどの貯蓄をした。それが、昔は薄給の代表だった田舎の公務員で30歳を超えての採用だったのに、です。

医者には「若い時からむちゃくちゃ苦労したでしょ。からだがぼろぼろ」と言われたと私に言った。

このように母が立派なおかげで私は下宿までして大学に通えた。

そんな母の恩に報いることはなく、努力もせずに生きていると自分を責めていた。



佐々木先生の「お母さんの言う努力はしなかったのでしょう。でも、何の努力もなく高校・大学と奨学金を得、公立の進学校から国立大に入学したと言うなら『嫌み』以外の何物でもないですよ」は、ぐ、ぐっと胸を突いた。

私は私なりの努力をしてきたんだ・・・


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