『言いたいことを言う』ことと『空気を読む』こと | 仙台駅前にあるカウンセリングルーム まきび

仙台駅前にあるカウンセリングルーム まきび

開設から18年。不安感・対人関係・恋愛・トラウマについて小さなご相談から改善に向けた専門的な分析・心理療法によるカウンセリングまで幅広く承ります。仙台駅前パルコ2から徒歩1分のビル内にある看板のないカウンセリングルームです。Zoom、スカイプ、お電話でも承ります。

*このブログは毎日19時に更新されます*

カウンセリングルームまきびHP:感想

『言いたいことを言う』ことと『空気を読む』こと
これも一言では説明できないむずかしさがありますよね。

『自分を大事に』⇒『言いたいことを言う』

この流れがよく『自己中心的』⇒『空気を読まずに言いたい放題』になってしまっていることがあるようです。

あくまで日本では、『空気を読んだ』上で『言いたいことを言う』のは許されることが多いようですが、『空気を読まず』に『言いたいことを言う』のは『自己中心的』とみなされ、マイナスイメージになったり、相手に不快感を与えてしまうことがあります。

これが不思議なのですが、我慢できずに、または空気が読めずに『言いたいことを言ってしまう』、集団になじめない人でもアメリカやオーストラリアのような英語圏では集団になじめることがあるようです。

これはなぜかというと、ある程度空気を読まなくても許される、どんな意見であれ、個人の意見が尊重される社会だからだそうです。つまり空気を読まずに発言してもいじめの対象にはなりにくく、「あ~、君はそういう考えなんだ~」くらいに受け取ってもらえるようです。もちろん人種差別のようなものは根底にあるようですが、それはまた文化的な問題になるのでここではその話題は置いておきます。

日本でイマイチ過ごしにくかった人、いじめを受けたり、集団になじめなかった人が海外で別人のように楽しく集団の中で過ごせる場合があるのはこの理由が一つにはあるそうです。

もちろん過保護な親から離れることで自由に動きやすくなった、親や友人からのダブルバインドから抜け出せたから、という理由も考えられますが、『空気を読まなくとも個人の意見が尊重される』ということは大きな理由であるようです。

それだけ日本では『場の空気を読む』、その上での発言が思ったより求められているようです。


*このブログは毎日19時に更新されます*