“神話の知恵“が求められ始めている理由 | チエでつながる, ワザでつながる、ココロでつながる、価値を生みだす           ~ 物語思考が世界をかえる

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この世に生まれて間もなく、人は「ものがたり」と出会い、そこで広い世界とのつながりを作ります。このblogでは、「ものがたり」と共にある人の可能性を探求していきます。

 

“1965年ころを境に

人々がキツネにだまされた、という

話が聞かれなくなった“と、

哲学者の内山節氏が述べています。

(『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』)

 

キツネに限らず多くの動物は、

古くから人の知が届かない“あっち側”の世界に

繋がっている存在と捉えられていて、

 

人をだますこともあれば、

時に神様の知恵を届けてくれる存在として、

有難がられることもありました。

 

1965年ころ以前の人の心の中には、

この世ならぬ“あっち側”の世界が、

かなり身近に意識されていたのだろうと想像されます。

 

科学の知識が普及し、

神様に祈るよりも薬を飲む方が、

病気を治すのに断然有効だと分かってくると、

“あっち側”の世界はどんどん“あやしい領域”へと

押しやられていきました。

 

動物の生態が明らかにされ、

地球が太陽の周りを回っていることを

小学生でも当然に知っている時代になると、

 

人がキツネにだまされることはなくなり、

人間が直面する大部分の問題を、

科学の力が解決してくれるだろうと、

私たちの多くが信じるようになってきました。

 

身近にあった“あっち側”の世界がどんどん遠ざかり、

かつて人々と世界とを感覚的・身体的につなげていた

心のウチ側の“宇宙的秩序”は

段々とその姿を失っていきました。

 

そしてそのことが、

現代人の心の中に空白を作ってしまったと、

多くの心理学者(主にユング系の)が唱えています。

 

大好きだったおばあちゃんが死んでしまった。

死んだおばあちゃんは、どこに行ってしまったのか?

 

かつての日本人なら、優しかったおばあちゃんだから、

きっと天国で待ってくれていると、

家族皆が心から信じることが出来たのかもしれません。

 

であれば、自分も行儀よく生きて神様に認めてもらい、

やがて死を迎えたら、

天国でおばあちゃんと再会しよう、と。

 

科学では絶対に捉えられない、死後の世界や霊魂の存在は、

亡くなったおばあちゃんも含めた

心の中の“宇宙的秩序”が重要な意味を担っていたのですが、

 

現代人は、

そんな想像力を一気に貧弱なものにしてしまいました。

 

人知を超えた、

現実には“分かりようのない世界“までを

包含する心の中の宇宙に、

 

自分なりの秩序や規範を与えていく

“精神のオペレーションシステム”を、

弱く頼りないものにしてしまった。

 

そしてそのことが、常にぼんやりした不安に包まれ、

いつまでも人生の目標が定めきれずに漂う、

現代人の状況を生み出していると感じます。

 

神話が、とりわけ『英雄の旅』のモデルが私たちに

提供してくれる知恵は、

現代に生きる私たちが長らく視界の外側に置いてきた

“あっち側”との関わり方を再生させてくれるものです。

 

科学と実証の重視で“こっち側”に偏り過ぎた現代人に、

人知を超えて“あっち側”の大きな力とつながる

そして、その大きな力とつながって、

人間に自信と安定を取り戻させてくれる、

 

そんな“神話の知恵”が、

いま求められてきているのだと思います。

 

次回以降『英雄の旅』の話を続けます。