"メタな視点”で出てくる本当の声 | チエでつながる, ワザでつながる、ココロでつながる、価値を生みだす           ~ 物語思考が世界をかえる

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この世に生まれて間もなく、人は「ものがたり」と出会い、そこで広い世界とのつながりを作ります。このblogでは、「ものがたり」と共にある人の可能性を探求していきます。

 

ダメモトでも

あの時チャレンジしておくべきだった。

 

あの件は、安易に譲るべきじゃなかった。

 

彼らの言い分を、もっと聞いて

判断しておけばよかった、等、

 

人生に後悔の残る出来事は沢山あります。

 

その時のことを、後から振り返ってみると、

 

その時点で展開していたストーリーの意味自体を

過小評価していたり、

 

ストーリーの内外に現れる登場人物たちとの関係に

意識が十分及んでいなかったり、

 

重要であるはずの人々の存在自体が

殆ど意識から外れていたり、

 

更に、自分のウチにある本当の心の声を

しっかり聴けていなかったことが、分かってきます。

 

単に思慮が浅い、と言ってしまえば

それまでなのですが、

 

常に様々な形の締め切りに追われて

忙しく生きている現代人は、

こうしたリスクを抱えている、

そんな側面も否定できないのだと思います。

 

また、これら“うっかり”系のケースとは別に、

どうしようかなあ、と考えてはみたものの、

頭の整理がつかないまま時間切れになってしまって、

 

どうすることも出来ずに流れに身を委ねて、

それを、後になって後悔する、

といったケースも少なくありません。

 

私たちの日常には、

案外難しい問題が多いのだと思います。

 

そんなときに、“第三者に話してみる”という行為から

大事なことに気づかされたり、

決定的に重要なヒントを得たり、

話したらスッキリして吹っ切れた、といった

経験を持つ人は、少なくないのではないでしょうか。

 

この時、私たちは知らず知らず

“ストーリーテリング”を行っていて、

日常の自分とは異なる視点で、

状況を見ているのではないかと私は感じています。

 

“組織のマネージャー”として、“二児の父親”として、

また、“楽天イーグルスのファン”として、…

私たちはそれぞれのストーリーの中の

一プレーヤーでもある訳ですが、

 

シガラミの無い場に入って、

誰かに向かって自己を語るとき、

私たちはプレーヤー目線より首一つ高いところ、

 

つまり、

いくつかのストーリーを俯瞰できる“メタな視点”で

自己を見る事が、出来ているのだろうと思います。

 

そしてそんな視点から語ることで、

後悔するリスクの小さい、より納得感が高い決定を

引き出すことが出来るようになる、というのが、

私の、経験的に得ている結論です。

 

この“メタな視点”の下では、

個々のストーリーの中の多様な“自分”は、

ストーリーの中で無意識に自分を縛っている枠を離れて

自由な語りを開始し、

 

そこではストーリーを超えて通底する自己が持つ

“ホンネ”とか“大事にしたいこと”とか“願望”などが、

日常の状態よりも“出てきやすい”、

つまり“意識に上りやすく”なっているのだろうと

考えられるのです。

 

なので特に重要になってくるのが、語る中で沸き上がる

感情的な“しっくり感”や“充実した気分、また

その対極にある“違和感”とか“失望感”の様な

“心のかたち”を現わすところです。

 

そこには間違いなく、語り手自身の価値観や生き方が

立ち現れてきているはずで、

意思決定の際に、絶対に無視してはいけない何かが

ここに見えているのだと思います。

 

カウンセラーの様なプロに頼るのでなく、

ただ、自分を正直に語っていく中で、

 

ここを確かめることが出来るところが、

“ストーリーテリング”の大きな利点ではないかと

私は思っています。