「自己」は多様な物語の統合体 | チエでつながる, ワザでつながる、ココロでつながる、価値を生みだす           ~ 物語思考が世界をかえる

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この世に生まれて間もなく、人は「ものがたり」と出会い、そこで広い世界とのつながりを作ります。このblogでは、「ものがたり」と共にある人の可能性を探求していきます。

 

アフリカ駐在の折、

自分のウチにある複数の声が衝突し、

思い悩んだけれども、

最終的には双方の間で折り合いをつけ、

自分としてはまずまず

納得できる形で決着ができた。

 

という話を前のブログに書きました。

https://ameblo.jp/c-b-collaboration/entry-12797113300.html

 

かつての上司らしき人の声と、

父親の声が自分の中で衝突し、

 

その時の文脈の中で、

どうしようどうしようともがく中に、

異なる声を両立させうる

“新しい自分”が出現していたのだと、

語りながら段々分かってきました。

 

自分のウチ側で

2つの声が飛び交っていたのは確かですが、

これらの声はあくまで、

自分のウチの声であって、

 

現実にはかつての上司も父親も、

それらの声の一片すら知る訳もなく、

当然ながら、

発言の責任など、

取ってくれる訳もありません。

 

かつての上司は、

職場や仕事を舞台とした私のひとつの

ストーリーのメインな登場人物であり、

 

父は幼少の頃からの

家庭や私生活を舞台とする私の

別のストーリーに、

欠かすことが出来ない登場人物です。

 

とはいえそれぞれの声は、

私の頭の中にのみ“実在“する

想像上の声であり、本物ではないわけです。

 

しかし、その想像上の存在が、

私の人生に対して

とてつもなく大きな影響を

及ぼしていることになります。

 

つまり、こんな風に言えるのだと思います。

 

現代を生きる私たちは、

職場のストーリー、

日常生活のストーリー、

仲間との間に生まれるストーリー、

親との間のストーリー、

子育てのストーリー等、

 

多様なストーリーを自分のウチ側に

同時展開させていて、

場面場面で

それらのストーリーが交差する中で、

バランスを取ったり、

 

様々に調整を加えながら、

人生を送っているのだ、と。

 

自分のウチ側に現れてくる登場人物たちは、

そこでは確かに想像上の存在だけれども、

大方の場合、それら登場人物と私達は

現実世界でも繋がっている訳で、

 

私たちは、それらの“本物”とか“本物を含めた

組織や社会“とのやり取りを通して、

自分の知識を確かめたり、

想定していた仮説を修正したり

自己に関わる認識を改めたりしている

とも言えるでしょう。

 

販売担当者、主任、ITセミナー受講者、

父親、PTA役員、等様々な役を

引き受けて生きている私達現代人は

 

その場その場で自らが持つ「顔」に対応した

複数の物語を

同時並行的にウチ側に展開させていて、

 

現実世界とのやりとりを取りながらも、

ウチにある多様なストーリーで

「役」を担う自分を

何とか一貫した存在とすべく、

奮闘している存在、

とも言えるのだと思います。

 

その意味で「自己」は、

自分とつながって展開する

多様なストーリーの統合的な存在

と言えます。

 

そしてその“統合”をどうやってするかが、

現代に生きる個人の

重要で深刻な課題なのだと思います。